スポーツ伝説

4月25日~29日の放送内容

 今週は、過去にプロ野球の新人王を獲得した選手たちについてお送りしました。


【木田勇投手】

 1980年にパ・リーグ新人王に輝いた木田投手は、1年目の開幕からローテーション入り。当時のパ・リーグは前後期制をとっており、木田投手は前期だけで開幕4連勝を含む10勝を挙げました。150キロ近いストレートとパームボールを武器に、シーズン3度も毎回奪三振を記録。これは史上初の快挙でした。
 ルーキーの活躍で、日本ハムは80年後期優勝へマジック1と王手をかけ、10月7日に近鉄との直接対決に臨みます。結局は近鉄に後期優勝をさらわれてしまいましたが、木田投手はこの年、チームの勝ち星の1/3にあたる22勝を挙げ、新人王はもちろん、最多勝・防御率1位・最高勝率の三冠と、最多奪三振、さらにはパ・リーグMVPも獲得しました。2年目の81年は、チームはリーグ優勝しましたが、木田投手は10勝止まり。以後、目立った活躍はできず、90年限りでユニフォームを脱ぎました。



【平井正史投手】

 1995年、オリックスのリーグ優勝に貢献、新人王を獲得した平井投手のデビュー戦は、94年9月に藤井寺球場で行われた近鉄戦でした。首位の西武を追うチーム同士の負けられないゲームは、6対6の同点のまま9回裏に突入。オリックスはノーアウト満塁という絶体絶命の場面で、一軍ではまだ一度も投げていないルーキーの平井投手をマウンドに送りました。平井投手はなんとか最初のバッターを三振に打ち取りますが、続くバッターに犠牲フライを打たれてサヨナラ負け。記念すべきプロデビューはほろ苦いものとなりました。1年目は8試合に登板。翌95年は抑えに回り、53試合に登板して15勝27セーブを挙げ、最優秀救援投手賞を獲得。チームをリーグ優勝に導き、2年目ながら資格のあった新人王に輝きました。翌96年は前半不調でしたが、後半に復調し、パ・リーグ連覇と日本一に貢献しています。
 2002年オフに中日に移籍すると、07年に落合博満監督のもとで中継ぎとして活躍し、自身2度目の日本一を経験。13年には11年ぶりに古巣のオリックスに復帰し、翌年に現役を引退しました。現在はオリックスの二軍コーチを務めています。


 
【川上憲伸投手】

 川上投手は、徳島商業高校時代は4番のエースで夏の甲子園に出場。卒業後は明治大学に進み、エースとして東京六大学リーグで4年間通算28勝を挙げました。その当時、同学年のライバルだったのが、慶應義塾大学の主砲・高橋由伸選手。97年のドラフト会議では、川上投手は中日ドラゴンズを逆指名、高橋選手は読売ジャイアンツを逆指名し、同じセ・リーグで大物ルーキー対決が実現することになりました。
 プロ1年目の98年、「新人王を獲る」と宣言していた川上投手は、開幕からローテーション入り。14勝6敗、防御率2.57、124奪三振という新人としては文句のない成績を収めました。一方、高橋選手も126試合に出場。打率は3割ちょうどで打撃成績はリーグ8位とベスト10入り。ホームランも19本放ちました。どちらも堂々たる成績でしたが、新人王に輝いたのは川上投手。決め手となたのは、直接対決での成績でした。大学時代は川上投手に対して分がよかった高橋選手ですが、プロになってからは22打数1安打と、川上投手が圧倒していたのです。川上投手はその後も中日のエースとして活躍、一時はメジャーにも挑戦しましたが、帰国後は中日に復帰。しかし度重なる故障で昨年オフに退団し、現在も引退は表明せずにリハビリにあたっています。
  


【山口鉄也投手】

 2005年オフに育成選手として巨人軍に入団した山口投手は、1年目の06年から二軍で好投。防御率1.61の好成績を挙げ、首脳陣にアピールしました。飛躍のきっかけをつかんだのは、そのオフのこと。当時巨人にいた工藤公康投手に誘われ、アメリカのアリゾナで一緒に自主トレを行ったのです。その時、工藤投手のピッチング精神を学んだ山口投手は、目からうろこが落ちたと言います。
 07年4月、ついに1軍デビューを果たした山口投手は、中継ぎとして登板した5月の阪神戦で念願の初勝利をあげました。この年は32試合に登板。08年はチーム2位の67試合に登板し、リリーフのみで11勝をマーク。リーグ2連覇に貢献し、育成枠出身選手では初となる、セ・リーグ新人王を受賞しました。以後、去年まで8年連続でシーズン60試合以上に登板。これは前人未到の大記録で、現在その背中には、恩人である工藤投手がジャイアンツでつけていた背番号47がついています。



【伊藤智仁投手】

 1993年、セ・リーグ新人王に輝いたヤクルトスワローズの伊藤投手は、130キロ台のスピードで真横へ滑るように曲がっていく高速スライダーを武器に、92年のバルセロナオリンピックに出場。1大会27奪三振の大会記録を作り、日本の銅メダル獲得に貢献しました。この年、ドラフトの目玉となった伊藤投手を、ヤクルト・広島・オリックスの3球団が1位指名。ヤクルトが交渉権を引き当て、入団が決まりました。
 4月20日の阪神戦でデビューし、プロ初登板・初先発で初勝利を挙げると、前半戦だけで7勝を挙げ、防御率は驚異の0.91。1試合平均の奪三振数は10個を超えていました。「スライダーのスピード、コントロール、全て一級品」と、さすがの野村克也監督も思わず絶賛したほどです。その伊藤投手がファンの記憶に刻まれる伝説を作ったのは、93年6月9日の巨人戦でした。伊藤投手は序盤から巨人打線を翻弄し、4回までに10個の三振を奪いますが、ヤクルト打線も先制点を奪えず、試合は0-0のまま終盤戦へ。結局、1試合で16三振を奪いながら、伊藤投手は負け投手となりました。その後、7月右ひじを故障し戦列を離れますが、実質3カ月しか投げていないにもかかわらず、新人王を受賞。伊藤投手のピッチングは、それだけファンに強烈なインパクトを与えたのです。



来週のスポーツ伝説は……

  5月2日(月) 大 相 撲 宇良和輝関
  5月3日(火) 大 相 撲 魁聖一郎関
  5月4日(水) 大 相 撲 大栄翔勇人関と遠藤関
  5月5日(木) プロ野球 北別府学投手
  5月6日(金) プロ野球 大野豊投手
            
                       お楽しみに!!
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