スポーツ伝説

10月16日~20日の放送内容

【NBA ラッセル・ウェストブルック選手】

 バスケットボールは試合経過だけでなく、得点・リバウンド・アシスト・ブロックショット・スティールの5部門でいかに数字を残したか、という個人成績で見ていく楽しさもあります。この5部門のうち、2つの部門で1試合2桁の数字を残した場合をダブル・ダブル、3つの部門で2桁をマークするとトリプル・ダブルと呼び、選手の活躍度、チームへの貢献度を示すバロメーターになります。中でもトリプル・ダブルは、一流選手でも達成することが難しく、より総合力が問われる記録です。昨シーズン、このトリプル・ダブルの達成回数で伝説を残した選手が、かつて得点王にも輝いたことがあるオクラホマシティ・サンダーの背番号「0」、現在28歳のウェストブルック選手です。
 昨シーズンのウェストブルック選手は、1試合平均31.6得点を記録し、キャリア2度目となる得点王を達成。得点以外にも10.7リバウンド、10.4アシストをマークして、55年ぶりとなる「年間トリプル・ダブル」という偉業を成し遂げました。また、ウェストブルック選手はレギュラーシーズン82試合中、半数以上にあたる42試合でトリプル・ダブルを達成。こちらも“不滅の記録”と呼ばれたオスカー・ロバートソンの41回を上回り、NBA新記録を樹立。これらの偉業が評価され、シーズンMVPに選ばれました。

   
 
【NBA カワイ・レナード選手】

 昨年7月、NBAの歴史に残る選手が現役引退を発表しました。サンアントニオ・スパーズの英雄 ティム・ダンカン選手です。スパーズはダンカン選手が入団した1997年から19年連続でプレーオフ進出を達成。いかにダンカン選手の存在が大きかったかを物語る数字ですが、昨シーズン、その大黒柱が抜けたにもかかわらず、スパーズは球団史上7回目のシーズン60勝以上を達成。見事、20年連続でプレーオフ進出を成し遂げました。その立役者の一人が、フォワードのレナード選手です。
 レナード選手は、2011年にスパーズに入団。2013-14シーズンのNBA制覇を達成し、22歳という若さでNBAファイナルMVPに輝きました。翌2014-15シーズンには、ディフェンスの際に相手ボールを奪うスティール部門でタイトルを獲得。この活躍によって、シーズン中、ディフェンス面で最もチームに貢献した選手に贈られる最優秀守備選手賞に輝いたのです。昨シーズンは、残念ながら3年連続での最優秀守備選手賞こそ逃しましたが、新たに新設された最優秀ブロック賞の初代受賞者に。現時点で、攻守ともに優れたNBAベストプレーヤーと評されています。
   

   
【プロ野球 菊地原毅投手】
 
 西鉄ライオンズ・黄金期の大エース“鉄腕・稲尾”こと、稲尾和久投手が1961年に作った、シーズン78試合登板。これは当時の日本記録で、しばらく誰も抜けないだろうと言われていました。しかしそれから40年後、ついにこの大記録に肩を並べるピッチャーが現れました。広島カープのサウスポー、菊地原投手です。
 菊地原投手は1992年、ドラフト2位で広島に入団。一軍登板の機会はなかなか巡ってきませんでしたが、5年目の97年に、ようやくプロ初登板を果たします。99年には21試合に登板。プロ初勝利を含む3勝を挙げましたが、翌2000年の一軍登板は9試合のみ。二軍暮らしが続く中、転機が訪れたのはプロ9年目の01年。この年にカープの指揮官に復帰した山本浩二監督のもと、貴重な左の中継ぎとして、78試合に登板。実に40年ぶりに、稲尾投手の大記録と肩を並べたのです。先発・リリーフの両方で活躍した稲尾投手の記録を、短いイニングしか投げない中継ぎ投手が抜いてもいいのか、という議論も一部で起こりましたが、05年に阪神・藤川球児投手が80試合、07年には同じく阪神の久保田智之投手が90試合に登板。この90試合が現在の日本記録ですが、菊地原投手がタイ記録を作っていなければ、藤川・久保田両投手の“稲尾超え”は実現していなかったかもしれません。

  
   
【プロ野球 鹿取義隆投手】

 1978年、江川卓投手の入団を巡る騒動で、この年のドラフト会議を欠席することになった巨人軍。そのため有望な新戦力を獲得できず、やむなくドラフト外で獲得した選手の一人が、明治大学出身の鹿取投手です。
 ブルペンで10球も投げれば肩ができ上がるため、主に中継ぎとして重宝され、1年目から38試合に登板。時には抑え、時には谷間の先発でも起用されました。プロ9年目の87年、王貞治監督のもと、セ・リーグ最多の63試合に登板し、リーグ優勝に貢献した鹿取投手。王監督がたびたび告げた「ピッチャー・鹿取!」は、当時の流行語にもなりました。


   
【サッカー 籾木結花選手】

 今年4月9日、自身の誕生日にフル代表初ゴールを決めるという勝負強さを発揮したのが、なでしこジャパンの新エースとして期待される籾木選手です。籾木選手は、ベレーザの背番号「10」。現在なでしこの監督を務める高倉麻子選手や、澤穂希選手など、代表の中心選手としても活躍した、女子サッカー界のレジェンドたちが受け継いできた番号です。この栄光の背番号を弱冠20歳にして託されたことからも、籾木選手への期待の高さがうかがえます。
 2016年、籾木選手はなでしこリーグカップで大会通算7得点をあげ、ベレーザ優勝の立役者に。そしてこの年、U-20女子ワールドカップに挑んだ“ヤングなでしこ”のエースナンバー10をも託されました。籾木選手はその期待に応え、日本の銅メダル獲得に貢献。今年に入り、満を持してフル代表にも初選出されています。18年には女子アジアカップ、19年には女子ワールドカップ・フランス大会。そして20年には東京オリンピックと大きな大会が目白押しのなでしこジャパン。再び、世界の頂点を目指すためにも、新エースの更なる飛躍に期待です。


         
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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