スポーツ伝説

5月2日~6日の放送内容

【大相撲 宇良和輝関】

 今場所から新十両への昇進が決まった宇良関は、京都の鳥羽高校から関西学院大学に進み、学生相撲で活躍。2013年にロシアで開催された武術と格闘技の世界大会『ワールドコンバットゲームズ』に出場し、相撲85㎏未満の部で世界一に輝きました。15年に木瀬部屋に入門すると、3月に初土俵を踏み、序の口・序二段・三段目を1場所ずつで通過。幕下もわずか3場所で抜けて、初土俵からわずか7場所・歴代4位のスピード出世で新十両昇進を決めました。
 小柄な体格のハンディをカバーするのは、アクロバティックな動き。中でも居反りは、宇良関の名を一躍有名にしました。居反りとは、相手の懐にもぐりこみ、背中に乗せて担ぎ上げ、後方に反って倒すというダイナミックな技。大学時代に披露して大きな話題となりましたが、プロ入り後はまだ一度もお目見えしていません。大相撲の長い歴史の中で、十両以上で居反りが決まったのは過去3回だけ。93年初場所で十両・智ノ花が決めて以来、23年も出現していません。この大技が今後いつ飛び出すのか、今場所からの取り組みに注目です。 



【大相撲 魁聖一郎関】

 今年3月の春場所で11勝4敗の好成績を挙げ、今場所も活躍が期待されている魁聖関は、ブラジル出身。おじいさんとおばあさんが日系3世です。身長194㎝という恵まれた体格から、勧められて相撲を始め、ブラジルで行われた相撲の全国大会で見事優勝を果たしました。19歳で来日すると、友綱部屋に入門。序の口・序二段は1場所ずつで通過しましたが、三段目と幕下で3年ほど足踏みし、2010年の7月場所で十両に昇進します。すると九州場所で十両優勝を飾り、翌11年5月の技倆審査場所で待望の新入幕。初日から9連勝を飾り、佐田の海が作った新入幕初日からの連勝記録に31年ぶりに並びました。
 ブラジル育ちながら、リオのカーニバルよりも浅草の三社祭の方が好きだという魁聖関。来日から8年経った一昨年には帰化が認められ、日本国籍を取得して正式に日本人になりました。新たな日本名は、菅野リカルド。新たな可能性と共に、夏場所で更なる飛躍を目指します。
 
 

【大相撲 大栄翔勇人関と遠藤関】

 大栄翔関は3月の春場所で10勝を挙げ、幕内3年目にして初めて勝ち越しを決めました。相撲の名門で知られる埼玉栄高校ではレギュラーとしてインターハイに出場。団体準優勝に貢献した後、追手風部屋に入門すると、2012年初場所で初土俵を踏み、入門1年後には幕下まで昇進。順調な出世ぶりを見せました。
 ところがその年の春場所、同じ追手風部屋にアマチュアで華々しい成績を残した遠藤関が入門。史上2人目となる幕下10枚目格 付け出しでデビューすると、あっという間に幕下を通過し、十両優勝を決めて新入幕を果たします。弟弟子に先を越されてしまった大栄翔関ですが、ここは素直に胸を借りようと決めました。遠藤関と連日のように稽古に励み、ついに14年の名古屋場所で十両に昇進。さらに7場所かけて新入幕となり、2年早く入幕した弟弟子にようやく追いつきました。現在、番付は大栄翔関の方が上ですが、これで今度は弟弟子の遠藤関が発奮すること間違いなし。夏場所は、同門の2人の活躍に期待です。 



【プロ野球 北別府学投手】

 北別府投手は、19年間の現役生活中、5度もリーグ優勝に貢献し広島カープを支えたエース。1975年にドラフト1位で入団すると、3年目の78年には10勝。それから11年連続で2ケタ勝利を記録し、92年には通算200勝を達成。引退までに通算213勝をマークしました。以降、2004年に巨人の工藤公康投手が達成するまで200勝投手は現れなかった為、北別府投手は“20世紀最後の200勝投手”と呼ばれています。
 北別府の大きな武器となったのは、抜群のコントロール。キャッチャーが構えた位置に正確に投げ込んでくるため、ほとんどミットを動かさなくて済んだと言います。“精密機械”と呼ばれるようになった北別府投手は、82年に20勝を挙げて初の最多勝に輝きますが、この年、投球回数267回1/3に対して、与えたフォアボールはわずか44個。この少なさはまさに緻密なコントロールの賜物でした。2012年には野球殿堂入りを果たしています。 



【プロ野球 大野豊投手】

 母子家庭で育った大野投手は、高校を卒業すると地元の信用組合に就職。仕事の傍ら軟式野球部で活躍しましたが、やはりプロへの夢は断ちきれませんでした。入社して3年目、高校時代の恩師のツテでカープの入団テストを受けさせてもらえることになると、見事に合格を果たしました。
 ルーキーイヤーの1977年、シーズン終盤の9月に一軍に昇格。広島市民球場での阪神戦で10点リードされた中、敗戦処理の為にマウンドに立ったのがプロデビューでした。直後に二軍に落とされたため、1年目の防御率は屈辱的な135.00。もうプロは辞めようかと悩んだという大野投手を救ったのは、78年に南海からカープに移籍してきた抑えのエース・江夏豊投手でした。同じサウスポーの大野投手に、配球の意味から打者心理までを伝授した江夏投手。そのお陰で大野投手は徐々に成績を上げて行き、82年に先発へ転向すると、87年と88年には13勝をマーク。1年目に防御率135.00だったピッチャーが、88年には1.70で最優秀防御率のタイトルに輝いたのです。97年にも、防御率2.85で再びタイトルを獲得。98年に引退するまで、22年間で通算148勝、138セーブを挙げ、13年には野球殿堂入りを果たしています。
 


来週のスポーツ伝説は……

  5月 9日(月) バレーボール 全日本女子
  5月10日(火) バレーボール 迫田さおり選手
  5月11日(水) 競  泳 池江璃花子選手
  5月12日(木) 競  泳 金藤理絵選手
  5月13日(金) 競  歩 谷井孝行選手
            
                       お楽しみに!!
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