スポーツ伝説

9月25日~29日の放送内容

【サッカーJリーグ ドゥンガ選手】

 ドゥンガ選手は、サッカー王国・ブラジル代表として、90年のイタリアワールドカップに出場。この時は決勝トーナメント1回戦でアルゼンチンに敗れ、主力だったドゥンガ選手は厳しい批判にさらされました。しかし次の94年アメリカ大会ではキャプテンを務め、みごと優勝。個性的な面々をまとめあげたリーダーシップは、イタリア大会での批判から一転、大いに賞賛を集めました。ワールドカップを制した翌95年には“ブラジルのキャプテン”“世界一のボランチ”という肩書きを引っさげ来日、ジュビロ磐田に加入します。
 当時のジュビロは若手選手が次々と試合に出始めた時期で、ドゥンガ選手は彼らをピッチ上で鼓舞し続け、ジュビロを優勝争いができるクラブへと導いていきました。97年、ジュビロはついにセカンドステージでの優勝を達成。チャンピオンシップも制し、Jリーグ年間王者の座に輝きます。ボランチとして、そしてピッチ上のリーダーとして攻守にわたり存在感を発揮したドゥンガ選手は、ベストイレブンはもちろん、シーズンMVPも獲得しました。ジュビロは翌98年もファーストステージを制し、ドゥンガ選手も2年連続でベストイレブンを受賞。90年代後半から2000年代初頭にかけての、ジュビロ黄金時代の礎を築いたのです。


 
【サッカーJリーグ ギド・ブッフバルト選手】

 1994年から97年にかけて、浦和レッズで活躍したギド・ブッフバルト選手は、90年に西ドイツ代表のディフェンダーとしてイタリアワールドカップに出場。決勝では、当時世界No.1プレーヤーと呼ばれたアルゼンチンのマラドーナ選手と渡り合い、見事完封。西ドイツの3回目のワールドカップ制覇に大きく貢献しました。94年のアメリカワールドカップには、東西統一を果たしたドイツ代表として出場。大会終了後、新たな活躍の場に選んだのは、前年にスタートしたばかりのJリーグでした。
 創設当初のJリーグで、最下位争いが定位置だった浦和レッズ。そんな低迷するクラブを立て直す救世主として期待されたブッフバルト選手は、日本デビュー戦となった鹿島アントラーズとの試合でいきなり結果を残します。それまで一度も勝てなかった鬼門・カシマスタジアムで、レッズは初めての勝利をもぎとったのです。その圧倒的な守備力は“赤い壁”と呼ばれ、ディフェンスラインは安定。ブッフバルト選手が加入した直後の94年セカンドシーズン、レッズはJリーグ開始以降、初めて最下位を脱出。翌95年ファーストシーズンでは一気に3位へ躍進し、年間順位も4位という好成績を残しました。ブッフバルト選手も、95年・96年と2年連続でベストイレブンを受賞。在籍した3年余りの間で、浦和レッズに勝者のメンタリティを植え付けました。
 ブッフバルト選手はその後、2004年に監督としてレッズに復帰。1年目のセカンドシーズンには、初のステージ優勝を達成。年間優勝こそ逃しましたが、翌05年、天皇杯での優勝を果たします。そして迎えた06年シーズン、レッズはJリーグ創設以降初めてとなるリーグ年間王者に輝き、ブッフバルト監督は現役時代に手が届かなかった栄冠を、指揮官としてついに手に入れたのです。
   

   
【バスケットボールBリーグ 田中大貴選手】
 
 日本のプロバスケットボール・Bリーグ。その栄えある開幕シリーズ2試合で、どちらも二ケタ得点をあげて存在感をみせつけたのが、アルバルク東京の背番号24・シューティングガードの田中選手です。
 3年後に迫った2020年の東京オリンピックには、現時点では開催国枠の保証がなく、世界大会を勝ち上がり、自力で出場権を獲得することが必要です。そのためには、Bリーグのレベルを上げることが必須。そのカギを握る“リーグの顔”田中選手の更なる活躍に期待です。
 
  
   
【バスケットボールBリーグ 富樫勇樹選手】

 バスケットボールでは圧倒的に小柄なサイズでありながら、高速ドリブルと正確なシュートを武器に昨シーズン、Bリーグでひと際大きな輝きを放ったのが、千葉ジェッツふなばしのポイントガード・富樫選手です。中学卒業後、バスケットボールの本場・アメリカの高校に留学した富樫選手は、過去にNBA選手も輩出した強豪校 モントロス・クリスチャン高校で、1年生にして出場機会を勝ち取るなど、本場でもその実力が通用することを証明してみせました。高校を卒業した2012年、日本に戻った富樫選手は、当時bjリーグに所属していた秋田ノーザンハピネッツに入団。日本を代表するガードへと成長を遂げていきます。
 14年夏、富樫選手の姿は再びアメリカにありました。バスケットボールの世界最高峰リーグ、NBAに挑戦するためです。富樫選手はダラス・マーベリックスの一員として、NBAサマーリーグでプレー。残念ながら正式契約には至りませんでしたが、その後もNBAの下部組織であるNBAディベロップメントリーグのテキサス・レジェンズでプレーするなど、アメリカで更なる経験を積みました。そして去年、日本に新たに誕生したBリーグの千葉ジェッツに入団。リーグ戦でも好調を維持すると、1月に行われた天皇杯では優勝候補を次々に破り、チームを優勝に導いたのです。この天皇杯優勝で勢いに乗った富樫選手は、直後に行われたBリーグのオールスターゲームでMVPを受賞。リーグ制覇にこそ手は届きませんでしたが、個人としてリーグのベスト5に選ばれるなど、充実したシーズンを過ごしました。
   

   
【メジャーリーグ ベーブ・ルース選手】

 1918年、ピッチャーとして13勝を挙げ、打っては11本のホームランを放った、当時ボストン・レッドソックスのルース選手。メジャーを代表するホームランバッターとして知られるルース選手ですが、元々はピッチャーで、レッドソックス時代は16年・17年と2年連続で20勝以上を挙げています。投手時代からバッティングの良さには定評があり、時々代打で登場することもありましたが、野手として出場することはありませんでした。
 しかし1918年は、第一次世界大戦の真っ最中。戦争の激化に伴って、徴兵で駆り出される選手も多くなり、レッドソックスも選手不足で苦しむようになります。そこで監督が、先発のない日に外野を守る気はないかと持ちかけたのです。この提案に二つ返事で乗ったルース選手は、5月から初めて一塁手として先発出場すると、2試合連続でホームランを打つなど、バッターとしても大活躍。ピッチャーも続けながら、74試合も四番打者として起用され、うち11試合は「四番・ピッチャー」としての出場でした。この年、11本のホームランを放ち、初のホームラン王に。同時にピッチャーとしても20試合で13勝を挙げ、2年ぶりのアメリカンリーグ制覇に貢献。シカゴ・カブスとのワールドシリーズでは2勝を挙げ、投打でチームをワールド・チャンピオンへと導きました。翌19年は、野手としての出場がさらに増え、ホームラン29本を記録。20年のニューヨーク・ヤンキースに移籍後は二刀流とは決別して野手に専念し、通算714本のホームランを打つ大打者への道を歩んでいったのです。
   

         
来週のスポーツ伝説は……

  10月2日(月) プロ野球  村田兆治投手
  10月3日(火) プロ野球  池山隆寛選手
  10月4日(水) フィギュア 本田武史選手
  10月5日(木) サッカー  井手口陽介選手
  10月6日(金) サッカー  ヴァヒド・ハリルホジッチ監督

            
                       お楽しみに!!
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