スポーツ伝説

8月8日~12日の放送内容

【大相撲 大鵬関】
 
 2013年1月19日、72歳で亡くなった元横綱・大鵬の納谷幸喜さんは、死後に21例目となる国民栄誉賞授与されるなど、その存在の大きさが改めてクローズアップされました。
 相撲界には、『3年先の稽古』という言葉があります。今日やったことが3年後に出る、という意味です。納谷さんは現役時代、鉄砲を毎日2000回。シコを600回踏むことを欠かさず続けました。「今の若い力士はすぐに結果を求めるけど、それは違う。よくVTRで相手を研究とかいうでしょう。でも頭で考えるような相撲は、ごまかしにしかなりませんよ。相撲は体で体得するもの。地道な稽古を続け、毎日、同じことを続けるのが必要です。これはどんな時代でも共通すると思う」と、生前に語っていた納谷さん。横綱在位中の8割5分を超える高い勝率、通算32回の優勝は、3年先の稽古から生まれたのです。



【高校野球 我喜屋優監督】

 甲子園でも毎年、熱戦を演じる沖縄県勢。ところが2000年代まで、夏の甲子園で優勝することは「沖縄の悲願」と言われていました。2010年、そんな悲願を成就させたのが興南高校です。そして、このチームを率いた人物が、我喜屋監督でした。
 我喜屋監督は就任するなり、社会人時代に培った質の高い練習方法を実践。そして「野球のボールは、0.1秒でも見逃したら打てない」との信念から、沖縄特有の“のんびりしたリズム”を改め、移動のバスの発車時間に遅れた部員は容赦なく置いていったといいます。更には挨拶の徹底など、生活態度の見直しを部員に徹底させました。こうして心身ともに逞しくなった興南野球部は、我喜屋監督の就任以来、甲子園常連校へと成長。2010年には、“琉球トルネード”と呼ばれる独特のフォームから三振の山を築いたエース・島袋洋奨投手を中心に春の選抜大会で快進撃を演じ、甲子園初優勝。春夏連覇の期待がかかった夏の甲子園でも、決勝戦を13対1と圧勝し、史上6校目となる春夏連覇の偉業を達成したのです。
 


【高校野球 今宮健太選手 vs 菊池雄星選手】

 連日、球児たちの熱い戦いが繰り広げられている甲子園大会。これまでにも、甲子園では数多くの名勝負やライバル対決が繰り広げられてきました。
 2009年の選抜大会における大分・明豊高校の今宮選手は、投手としては140キロ後半のストレートを操り、打者としても高校通算ホームラン32本と、投打両面で大会注目の存在でした。今宮選手はその実力を1回戦から発揮しますが、2回戦では花巻東高校に0対4で完封負け。左腕エース・菊池投手の前に4打数1安打と、完敗を喫しました。これにより『打倒・菊池雄星』に燃えた今宮選手。選抜大会から戻ると、すぐに雄星対策に取り組みました。
 そして迎えた夏の甲子園。今宮選手のいる明豊高校は順調な勝ち上がりを見せ、遂に準々決勝で、菊池投手のいる花巻東との再戦を果たします。ところが、この試合で菊池投手はケガのために途中降板。ライバル対決は中途半端な状態で終わり、試合にも延長戦の末に敗れてしまいました。この高校時代に晴らせなかったライバルへの対抗心は、今宮選手がプロで戦っていく上で、原動力のひとつになります。09年秋のドラフト会議でソフトバンクから1位指名された今宮選手は、小さな体を感じさせないプレーの数々で、常勝軍団のショートへと成長していったのです。

  

【高校野球 柴田勲選手 vs 尾崎行雄選手】
 
 甲子園で、夏・春・夏と3季連続で名勝負を演じた2つの高校がありました。1960年代前半の甲子園を沸かせた神奈川代表・法政二高と、大阪代表・浪商高校です。快速球と鋭い変化球で鳴らした法政二高のエース・柴田投手と、剛速球を武器に“怪童”と呼ばれた浪商のエース・尾崎投手の投げ合いは、世間の注目の的となりました。
 初対決は60年、夏の甲子園2回戦。法政二高の2年生エース・柴田投手と、浪商の1年生エース・尾崎投手による投手戦は、0対0のまま終盤戦へ。8回に法政二高が4点を挙げ、4対0で勝利を収めます。法政二高はその後も勝利を重ね、見事、夏の甲子園初優勝を成し遂げました。翌61年の春の選抜大会・準々決勝での対決は“事実上の決勝戦”。先制したのは浪商でしたが、結局勝ったのは法政二高でした。法政二高は、続く準決勝・決勝戦にも勝利し、夏・春連覇の偉業を達成します。61年夏の甲子園大会は、その時まだどこも達成していなかった同一年の春・夏連覇、更に夏・春・夏の3季連続優勝を賭けた戦いになりました。法政二高と浪商は、準決勝で三度激突。この時も主導権を握ったのは法政二高でしたが、浪商は延長11回に2点を奪うと、遂に勝利をつかみます。そのまま翌日の決勝戦にも勝利し、浪商は優勝旗をようやくその手中に収めたのです。
 その後、柴田投手は読売ジャイアンツに入団し、V9を支える名外野手として活躍。尾崎投手は、東映フライヤーズに入団。共に野球界を大いに盛り上げる活躍を見せました。
  


【高校野球 藤浪晋太郎選手 vs 北條史也・田村龍弘選手】

 甲子園大会の決勝戦は、なかなか踏むことのできない大舞台。でも高校野球100年の歴史において一度だけ、春・夏の決勝戦が同じ顔合わせになったことがありました。2012年の大阪桐蔭と光星学院です。大阪桐蔭は、“21世紀最強チーム”との呼び声も高い常勝軍団。もう一方の青森・光星学院は、東北勢悲願の初優勝に燃えていました。光星は、11年夏の大会でも決勝に進出。準優勝に終わりましたが、この時に2年生ながらチームの主軸を務めたのが、田村選手と、北條選手のスラッガーコンビでした。一方、大阪桐蔭の注目選手は、身長197㎝の超高校級エース・藤浪投手。試合は両チームが2ケタ安打を記録する打撃戦となり、大阪桐蔭は13安打で7得点。光星学院も藤浪投手相手に12安打を浴びせます。しかしこの日の藤浪投手は再三のピンチを招きながらも、最速150キロのストレートで要所を締め、3失点で完投勝利。大阪桐蔭が優勝を飾りました。
 4ヶ月後、夏の甲子園決勝の舞台で再戦を果たした両校。悲願の初優勝を目指して光星は3季連続での決勝進出を果たしますが、成長ぶりがすさまじかったのは藤浪投手の方でした。光星の強力打線に堂々と立ち向かい、許したヒットはわずか2本。終わってみれば、決勝戦史上最多タイとなる14個の三振を奪い、完封勝利を納めたのです。
 現在、藤浪投手と北條選手は阪神でチームメイトに。田村選手はロッテの正捕手候補として活躍をしています。
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