スポーツ伝説

9月4日~8日の放送内容

【野球 2013年 U-18W杯】

 1981年に第1回大会が開催されて以来、名称を何度か変えながら続いてきたWBSC U-18ベースボールワールドカップ。現在のように大会名に「ワールドカップ」の文字が入り、侍ジャパンと同じユニフォームを着て戦うようになったのは、13年に台湾で行われた18U野球ワールドカップからです。この大会の日本代表チームは、投手力が自慢のチームでした。甲子園大会記録の1試合22奪三振記録保持者である“神奈川のドクターK”こと、桐光学園の松井裕樹投手。当時高校2年生ながら、甲子園大会史上最速タイとなる155キロの剛速球を誇った、愛媛・済美高校の安樂智大投手。スライダーが武器の広島・瀬戸内高校、山岡泰輔投手など、後にプロの世界でも活躍する選手が数多く名を連ねました。打線の軸は、大阪桐蔭のキャッチャー・森友哉選手。過去、この大会で一度も実現できていない優勝を目指し、日本は台湾に乗り込みました。
 迎えた決勝の相手は、予選ラウンドで唯一の黒星を喫したアメリカ。日本はこの決勝戦、先発のエース松井投手が好投したものの、2対3で惜敗。結局、世界一の座をあと一歩で逃してしまいました。ただ、ベストナインに相当する「オールスターチーム」には、先発部門で安楽投手が、リリーフ投手部門で山岡投手が選ばれ、キャッチャーでは大会打点王に輝いた森選手が選出されるなど、選手個々の力では大きな足跡を残した若き日本代表。侍ジャパンのユニフォームに恥じない戦いを演じてくれたのは間違いありません。

   
 
【野球 2015年 U-18W杯】

 U-18ベースボールワールドカップが初めて日本で開催されたのは、前回、2015年の大会でした。15年といえば、夏の全国高校野球大会がはじまってからちょうど100年という節目の年。「高校野球100年」で例年以上に注目を浴びたこの年の高校球界は特に野手が豊作で、甲子園で3本のホームランを放ち、超大型ショートストップと称された仙台育英の平沢大河選手。50mが5秒96という俊足でスーパーキャッチを連発し、甲子園を沸かせた、関東一高のオコエ瑠偉選手。そして3年生以外で唯一代表に選ばれた、早稲田実業の怪物1年生・清宮幸太郎選手などが世界一を目指し、侍ジャパンのユニフォームに袖を通しました。
 悲願の世界一に向け、ファーストラウンドの初戦から自慢の豪打が爆発します。2戦目にして早くも宿敵・アメリカと対戦しますが、この試合では仙台育英のエース・佐藤世那投手が見事な完封劇を演じ、3対0と快勝。これで勢いにのった日本は、その後も投打がカッチリ噛み合い、無傷の8連勝で決勝戦に進出します。ここで再び、大会3連覇を目指すアメリカと対戦した日本。ところが、この試合では序盤から制球に苦しんだ佐藤投手。継投策でなんとかアメリカ打線を抑えようと試みますが、日本の打撃陣もアメリカ投手陣を打ち崩すことができず、結果は1対2。日本は2大会連続の準優勝に終わってしまいました。それでも、大会ベストナインには日本から、佐藤投手・平沢選手など5名が選出。オコエ選手が最優秀守備選手に輝くなど、日本野球のレベルの高さ、選手層の厚さを世界に示す形となりました。


   
【テニス イワン・レンドル選手】
 
 世界中のテニスファン、スポーツファンが毎回熱視線を送るテニスの4大大会・グランドスラム。1月の全豪オープンから始まり、全仏オープン、ウィンブルドン、そしてフィナーレを飾るのが、毎年8月末から9月にかけてニューヨークで行われる全米オープン。世界最大のテニスコート、アーサー・アッシュ・スタジアムをメインコートに、観客動員数ではテニス競技の中で最多を誇る大会です。この大会で過去、毎年のように決勝戦に進出していたのが、80年代のスーパースターであるレンドル選手。
 世界ランク1位を通算270週も記録。これは、ピート・サンプラス選手に抜かれるまで史上1位と、圧倒的な強さを誇りました。しかしキャリア前半は、4大大会で決勝に進んでもいつも負けてばかり。“万年準優勝”のイメージがつきまとっていました。その中でも、勝つまでに特に苦労したのが全米オープンです。1982年・83年と決勝でジミー・コナーズ選手に敗れ、翌84年も決勝に進みながら、今度はジョン・マッケンロー選手に敗北。3年連続準優勝という悔しさを味わいました。
 全米オープン以外のグランドスラムでも、いつも準優勝に終わっていたレンドル選手。その殻をようやく破ったのが、84年の全仏オープンでした。ライバルだったマッケンロー選手を、今なお“伝説の逆転劇”と語り継がれる名勝負の末に破り、悲願のグランドスラム初制覇を果たしたのです。この勢いに乗り、翌85年の全米オープンは4年連続で決勝進出。迎えた相手は、またしてもマッケンロー選手でしたが、レンドル選手はついに宿敵を破り、悲願の全米王者に輝きます。すると、あれだけ決勝で勝てなかったのが嘘のように、この年から全米オープンで3連覇。続く88年・89年も準優勝と、8年連続での決勝進出という大記録を作りました。
  

   
【大相撲 碧山亘右関】

 今年7月に行われた、大相撲名古屋場所千秋楽。14日目の時点で、トップは1敗の横綱・白鵬関。これを2敗で追っていたのが、東前頭8枚目の碧山関でした。
 碧山関は、元大関・琴欧洲関と同じブルガリア出身。巨体を活かし、初土俵からわずか2年後の2011年、名古屋場所で十両に昇進。九州場所で新入幕というスピード出世を果たしました。その後、関脇まで昇進。大関狙える位置に来ましたが、そこから足踏みが続き、一昨年の春場所からずっと平幕のまま。名古屋場所の大活躍は、6年ぶりの敢闘賞のおまけ付きで、今場所は再び、横綱・大関と当たる位置まで番付を上げました。
   

   
【大相撲 白鵬翔関】

 大相撲名古屋場所13日目。新大関・高安関を押し倒しで破り、元大関・魁皇関を抜いて、単独史上1位となる通算1048勝をマークした、横綱・白鵬関。先場所は、白鵬関が横綱に昇進してちょうど60場所目。丸10年も綱を張ってきたことになり、白鵬関にとって節目となる場所でした。去年5月の夏場所で優勝を果たしてから、今年5月の夏場所を制覇するまで5場所も賜杯から遠ざかり、そのうち2場所は休場。「白鵬の時代も終わったか」という声も聞かれましたが、夏場所は全勝優勝、名古屋場所は14勝1敗と、圧倒的な強さを見せて連覇。限界説をみごと一蹴しました。
 残念ながら今場所の出場は見送りましたが、白鵬関の次なる目標は、「幕内1000勝」と、北の湖関が持つ横綱最長在位記録63場所の更新。節目となる40回目の優勝は、あくまでも通過点に過ぎません。

  *9月8日(金)に放送された番組内容は、白鵬関が秋場所の休場を発表する前に
   収録したことをご了承ください。

      
   
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
BACK
NEXT