スポーツ伝説

9月11日~15日の放送内容

【バレーボール 石川祐希選手】

 4年に一度、オリンピック翌年に開催されるバレーボールの国際大会、ワールドグランド チャンピオンズカップ。新戦力の見極めや世界との差を測り、今後の強化方針を決める上でも、非常に重要な大会です。特に、2大会連続でオリンピック出場を逃している男子日本代表にとっては、2020年の東京オリンピックに向けた試金石として、大きな意味を持っています。   
 その日本代表において、“若きエース”と呼ばれているのが、身長192㎝のウィングスパイカー・石川選手。愛知・星城高校時代には、2年生で高校総体・国体・春の高校バレーの “高校3冠”を達成。3年生になるとキャプテンとして、史上初の“2季連続高校3冠”を成し遂げた逸材です。また大学に進学した14年には、当時史上最年少の18歳で日本代表に初選出。その年の12月から約3カ月間は、バレーボールの世界最高峰リーグ・セリエAの強豪モデナでもプレー。短い期間ではありましたが、濃密な時間を過ごしました。
 しかし去年の6月、リオオリンピック出場をかけた世界最終予選では、サーブレシーブでミスを連発。更に右足首の負傷で満足なプレーができず、悲願でもあるオリンピック出場を逃してしまいます。これで奮起した石川選手は、昨年12月には再び、セリアAのラティーナで短期間プレー。モデナ時代と比べ、3倍のセット数に出場するなど、実戦経験を積みました。その甲斐あってか、7月の世界選手権アジア予選で日本を2大会ぶりの本大会出場に導くと、8月のアジア選手権では大会MVPに輝く活躍で、日本に2大会連続9度目の優勝をもたらしました。今年の秋からは三たび、セリエAでのプレーが決まっている石川選手。活躍次第では来年3月の大学卒業以降も、プロとして契約できるかもしれません。
 
   
 
【バレーボール 柳田将洋選手】

 2m超えの大型選手がひしめく世界のバレーボール界にあって、決して大きいとはいえない身長186㎝。その身長でも、日本のエースとして活躍を続けるのが、現在25歳のアタッカー・柳田選手です。武器は破壊力抜群のサーブと、高い決定力を誇るバックアタック。大学を経て入団したVプレミアリーグ・サントリーサンバ―ズでは、1年目からレギュラーシーズンの全試合に出場して最優秀新人賞に輝くなど、着実なステップアップを遂げてきました。
 しかし去年のリオオリンピック出場をかけた世界最終予選は、右ヒザの負傷もあってベンチを温めることも多く、不完全燃焼のまま終了。日本代表も、2大会連続でオリンピック出場を逃してしまいます。いよいよ3年後に迫った2020年の東京オリンピックは、開催国枠で出場がすでに決まっている日本代表ですが、危機感を抱いた柳田選手はこの春、「プロ転向」と「海外移籍」を決意しました。選んだ移籍先は、ドイツ1部リーグ。スウェーデンやイタリアなど、ヨーロッパ各国の代表クラスが集結するこのリーグで定位置を確保するのは並大抵のことではありません。それでも柳田選手は、海外でプレーするのは代表以外では初めて。「最初は言葉や文化の壁を感じると思いますが、そういったところも含めて成長してきたい」と抱負を語っています。

   
   
【オリンピックの歴史を変えた男】
 
 2028年のオリンピックがロサンゼルスで開催されることが確実になり、この度のIOC総会で正式に承認されることになりました。ロサンゼルスでの開催は、1932年・84年に続く3度目。特に84年のロサンゼルス大会は、オリンピックの歴史を振り返る時に外せない大会です。この時に商業的に大きな成功を収めたことが、その後行われたオリンピックの方向性を決定づけました。ロサンゼルスオリンピック組織委員会のピーター・ユベロス委員長は、テレビやラジオの放映権料を落札形式にすることや、聖火リレーのランナーを史上初めて有料で募集するといった様々なアイデアで収入増をはかる一方、新しい競技場はほとんど造らず、既存の施設を利用することでコスト削減を徹底。最終的に税金を1ドルも使わず、大会収支で2億ドル、日本円にして約400億円以上の黒字を生み出したのです。この興行的大成功で、ユベロス委員長は“オリンピックの歴史を変えた男”として多くの賞賛を集めました。
 また、大会そのものも、カール・ルイス選手の出現で大いに盛り上がりました。陸上男子100m、200m、4×100mリレー、走り幅跳びの4種目で金メダルを獲得したルイス選手は、この大会以降1996年のアトランタ大会まで4大会連続で出場し、合計9個の金メダルを獲得。“ミスター・オリンピック”と呼ばれ、陸上競技と、オリンピックのメジャー化を象徴する存在になりました。
   
  
   
【プロ野球 岩瀬仁紀投手】

 これまでプロ野球で最も多くの試合に登板したピッチャーは、阪急・阪神・近鉄の3球団を渡り歩き、1977年までプレーして“ガソリンタンク”の異名を取った米田哲也投手でした。その米田投手の通算最多登板記録 949試合を先月、40年ぶりに塗り替えたのが、中日ドラゴンズの岩瀬投手です。8月6日、東京ドームで行われた巨人戦。「勝って大記録を祝ってあげたい」というチームメイトたちの思いが実り、岩瀬投手には自身の日本記録を更新する通算404個目のセーブが付きました。
 ルーキーイヤーの99年から2013年まで、15年連続で50試合以上に登板。しかし14年は故障で34試合登板にとどまり、記録がついにストップ。15年は初めて一軍登板が一度もないまま終わり、中継ぎに廻った去年は15試合登板のみ。限界説も囁かれ、42歳で迎えた今シーズンは「ダメなら引退」と、背水の陣で臨みました。「今もヒジの不安が消えたわけではないし、今シーズンは“しんどい”の連続」という岩瀬投手ですが、チームを勝利へ導くため投げ続け、遂に頂点にたどり着きました。しかし、950試合登板はまだ道半ばに過ぎません。
   

   
【プロ野球 源田壮亮選手】

 今年のパ・リーグ開幕カード、日本ハム 対 西武戦で、新人ながらいきなり9番・ショートで先発出場を果たしたのが、西武のルーキー・源田選手です。去年、トヨタ自動車からドラフト3位で入団。速い足と鉄壁の守備力を買われての大抜擢でしたが、西武の新人選手が開幕スタメンでショートを守ったのは、1981年の石毛宏典選手以来、実に36年ぶりの快挙でした。デビュー戦ではいきなり、ファインプレーを披露。その後も先発で出場を続け、チームに欠かせない存在になっていきました。
 源田選手の長所は、守備だけではありません。盗塁数は8月に30を超え、2014年の盗塁王・日本ハム・西川遥輝選手と激しいデッドヒートを繰り広げています。2リーグ制以降、新人で盗塁王を獲得したのは、阪神・赤星憲広選手だけ。もし源田選手がタイトルを獲れば、プロ野球史上2人目の快挙になります。  
   

         
来週のスポーツ伝説は……

  9月18日(月) 馬  術 井上喜久子選手
  9月19日(火) プロ野球 東浜巨投手
  9月20日(水) プロ野球 田口麗斗投手
  9月21日(木) プロ野球 薮田和樹投手
  9月22日(金) プロ野球 秋山拓巳投手

            
                       お楽しみに!!
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