スポーツ伝説

2月1日~5日の放送内容

【メジャーリーグ 青木宣親選手】

 今シーズンからシアトル・マリナーズでプレーする青木選手は、東京ヤクルト・スワローズの元背番号1番。去年、トリプルスリーを達成したヤクルトの山田哲人選手は、今シーズンから背番号が23から1に変更されました。その発表の席に突然現れたのが、青木選手。衣笠球団社長から頼まれ、後輩へのサプライズ継承式を行ったのです。入団から6年間は、山田選手と同じ23番をつけていた青木選手。プロ2年目の2005年、イチロー選手に次ぐ史上2人目のシーズン200安打を達成し、新人王や首位打者などのタイトルを獲得しました。10年からは1番をつけて2年間プレー。首位打者を通算3回、シーズン200安打を2回達成してメジャーに移籍しました。
 12年からの2年間はミルウォーキー・ブルワーズ、3年目はカンザスシティ・ロイヤルズでワールドシリーズに初出場。4年目の去年はサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍しましたが、右足と頭部にデッドボールを受け、2度も戦線を離脱。不完全燃焼のシーズンとなりました。今シーズンからは、かつてイチロー選手が在籍したマリナーズに移籍。1番打者として、イチロー選手のようなヒット量産を目指します。



【プロ野球 若松勉選手】

  東京ヤクルトスワローズの背番号1は、チームの顔。その1番を18年に渡ってつけていたのが若松選手です。北海道出身の若松選手は、少年時代からスキーで足腰を鍛えていました。丸太のような太ももが、後に“小さな大打者”と呼ばれるバッティングを支えたのです。
 地元・北海高校から社会人の電電北海道を経て、1970年にドラフト3位でヤクルトアトムズに入団。しかしその時の背番号は、主に2軍選手がつけるような57番でした。プロ1年目は規定打席には届きませんでしたが、112試合に出場して打率3割を超える好成績。そのオフに球団に直訴し、実力で2年目から背番号1を勝ち取りました。「1番をつけたからには」と、中西太コーチの指導のもと、相撲のシコやテッポウを取り入れるなど、更に足腰を強化した若松選手。その甲斐あって、2年目の72年には打率3割2分9厘で首位打者のタイトルを獲得しました。77年には、自己最高の3割5分8厘をマーク。巨人の張本勲選手を振り切り、2度目の首位打者に輝きます。翌78年も3割4分1厘の高打率で、球団史上初のリーグ優勝と日本一にも貢献。セ・リーグMVPも受賞するなど、まさにナンバーワン打者となったのです。
 

 
【プロ野球 鈴木啓示投手】

 近鉄バファローズの鈴木投手は、入団から引退まで、20年間1番をつけ、317勝をあげた伝説の左腕。1965年、この年に始まったドラフト会議で近鉄バファローズに2位指名を受け入団すると、1年目からいきなり10勝をあげ、2年目で開幕投手に抜擢されました。その南海との開幕戦は、打線の援護がない中、1対0で完封勝利。この年は21勝をあげ、2年目で早くもエースの座をつかみます。それからは、5年連続で20勝をマークしました。
 しかし72年から思うように勝てなくなり、3年連続で負け越し。勝ち星も20勝に届かなくなりました。そんな鈴木投手の意識を変えたのが、元阪急ブレーブスの監督で、74年から就任した名将・西本幸雄新監督。「20勝するのは結構だが、エースなら負けをひとケタにしないと」と言われ、カチンときたという鈴木投手。「強い阪急での20勝と、弱い近鉄での20勝は価値が違う」と最初こそ反論しましたが、言うことを聞いている内に成績も上向きに。西本体制2年目の75年、22勝6敗の好成績で復活すると、77年から2年連続で最多勝に輝き、79年には初めてリーグ優勝を味わいました。84年、通算300勝を達成。その翌年に歴代4位の317勝をあげ、ユニフォームを脱ぎました。

 

【プロ野球 前田智徳選手】

 広島は現在、永久欠番以外で背番号1が空き番号になっている唯一のチーム。その広島で20年に渡って1番をつけていたのが、前田選手でした。地元・熊本工業高校を経て、1989年にドラフト4位で広島カープに入団。プロ3年目の92年から、3年連続で打率3割をマーク。三冠王を3度獲得した落合博満・現中日GMが天才と呼んだ、無駄の一切ない理想的なバッティングフォームの持ち主でした。イチロー選手も当時、「本当の天才は僕ではなく、前田さんです」と語ったほどです。しかし95年5月のヤクルト戦で、アキレス腱を断裂。残りのシーズンを棒に振ると、その後も痛む足を庇いながらの苦しいプレーが続きました。「前田智徳は死にました」という言葉は、そんな苛立ちから出たものだったのです。
 しかし故障に苦しみながらもヒットを積み重ねた前田選手は、2007年9月1日、旧広島市民球場で行われた中日戦で、史上36人目の2000本安打を達成。その後は代打の切り札として活躍し、13年、24年間の現役生活にピリオドを打ちました。それから今年までの3シーズン、背番号1は空き番状態。前田選手が1番を譲るにふさわしいと思う選手が現れるまで、本人預かりの“準永久欠番”という扱いになっています。



【プロ野球 桜井俊貴選手】

 2月1日からキャンプインしたプロ野球。読売ジャイアンツのドラフト1位ルーキー・桜井投手は、小学4年で野球を始め、現在までずっとピッチャー一筋でプレーしてきました。中学3年の時、地元の強豪私立高校から入学の誘いが続々と届きますが、高校は推薦ではなく勉強で入って勝負しようと決意。県内屈指の進学校に進みます。野球では無名の高校でしたが、高校2年の時に夏の兵庫県大会で強豪高校を完封。一躍注目を浴び、関西の名門・立命館大学への進学を決めました。バッターの心理を読むのが得意で、相手の裏をかくのが好き。一方で溢れんばかりの闘争心も魅力で、マウンドに立つと性格が一変。バッターに強気に立ち向かっていきます。自他ともに認める負けず嫌いは、大舞台になればなるほど勝負強さを発揮するのです。
 ドラフト指名後、巨人軍入団が決まってから行われた去年秋の明治神宮大会。高橋由伸新監督が視察に訪れる中、東北福祉大学を相手に大会タイ記録の18奪三振で報道陣をアッと言わせたのは、いかにも桜井投手らしいご挨拶でした。
 


 来週のスポーツ伝説は……

 2月 8日 プロ野球 岩本義行選手
 2月 9日 プロ野球 別当薫選手
 2月10日 プロ野球 蓑田浩二選手
 2月11日 プロ野球 秋山幸二選手
 2月12日 プロ野球 野村謙二郎選手 

                       以上の5選手をご紹介します。
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