スポーツ伝説

10月19日~23日の放送内容

【プロ野球 池田親興投手】

 今年、創立80周年を迎えた阪神タイガースからは、個性的なスターが数多く生まれました。若きエースとして2リーグ制後、初の日本一へ力投を演じた池田投手もその1人。1977年のドラフトで阪神が4位指名をするも、本人は興味を示さず進学。社会人時代の83年に補強選手として優勝へ貢献し、その年のドラフトで再び2位指名されると、今度はすんなりと入団が決まりました。ドラフト2位とはいえ、待遇は1位との差なし。84年4月12日の大洋戦で初勝利をあげると、5月11日には巨人戦で初完投勝利を飾っています。ローテーションの一角として、9勝をマーク。その髪型から“球界のマッチ”と呼ばれ、特に女性ファンからの人気は絶大でした。
 85年は、阪神80年の歴史の中で最も盛り上がったシーズン。開幕投手に指名されるなど池田投手に期待がかかり、21年ぶりの優勝に向けてフル回転しました。西武との日本シリーズ第1戦では、強心臓を買われて先発に抜擢。日本シリーズ初登板で初完封勝利を収めます。日本シリーズでは、2リーグ分裂後、初の日本一に輝いた阪神。黄金時代の西武を下した要因は、池田投手の快投がもたらしたものと言われています。



【プロ野球 加藤博一選手】

 1979年7月28日、伝統の阪神・巨人戦。巨人先発の江川卓投手は、プロとして甲子園初登板。阪神を袖にした入団騒動は、ファンもベンチも忘れていませんでした。ただならぬ雰囲気に包まれた中、その江川投手に強烈な一発をお見舞いしたのが加藤選手。しかもこれが、加藤選手にとってプロ10年目の初ホームランでした。この試合、元々はベンチスタートのはずでしたが、練習で足を痛めたラインバック選手に代わってチャンスが到来。それに見事に応えた意外な選手の一発は、2リーグ分断後、チームの通算2000勝までもたらしました。
 70年に、テスト生として西鉄に入団。1軍出場はわずかに3試合のみで、75年オフには阪神に移籍します。しかし、チームが変わっても出番が増えるわけではありません。飛躍的に伸びたのは、プロ11年目の80年。初めて規定打席をクリアしたばかりか、打率3割1分4厘。広島の高橋慶彦選手との激しい盗塁王争いも演じました。まさに、阪神移籍で開花した選手といえるでしょう。


 
【プロ野球 川藤幸三選手】

 1985年、神宮球場で行われた21年ぶりの胴上げで、吉田監督、主砲の掛布選手に続いて3人目に指名されたのは、この年わずか5安打の川藤選手。“浪花の春団治”川藤選手は、ムードメーカーとしてベンチからチームを支え、一丸で優勝へ導いた立役者だったのです。個性の強い選手たちが団結したのは、川藤選手がいればこそと言われています。
 86年前半、川藤さんは驚異的な活躍を見せます。代打専門とはいえ、打率4割越えに4本塁打。吉田監督からオールスターに推薦されると、その球宴でも2打数1安打1四球と、勝負強さを見せつけました。特に第2戦の9回では、左中間を破る長打性のヒットを放ったものの、2塁でアウト。この日、スタンドが最も沸いた瞬間でした。プロ生活19年で、レギュラー定着はなし。でもタイガースにとっては、常に欠くことのできない存在でした。2度に及ぶ戦力外通告も、大幅な年棒ダウンでなんとか現役続行。でも、一度辞めると決めたら引き際は見事でした。過去5年で最高の打率2割6分5厘、19年のプロ生活で最多の5本塁打を記録しながらも、宣言通り、タテジマ一筋の野球人生に終止符を打ったのです。
 


【プロ野球 藤田平選手】

 チームの人気はあっても、成績がさっぱり。そんな状況でもきっちりと自分の仕事を行い、“天才”とも“阪神の3奇人”の1人とも称された藤田選手。ヒットメーカーとして知られ、1983年5月3日の巨人戦では、阪神生え抜きの選手として、初の通算2000本安打を達成しました。しかし翌年には、チーム新記録の2010試合出場を置き土産に現役引退。在籍した19年間、優勝経験がないという悲運の選手です。入団したのが優勝の翌々年で、引退の翌年にチームが優勝。国内の2000本安打達成者でリーグ優勝・日本一の経験がないのは、藤田選手と土井正博選手の2人だけです。
 


【プロ野球 山本和行投手】

 1984年オフ、最優秀救援投手に輝いた山本投手は、フロントに「メジャーリーグに挑戦したい」と申し出ました。ドジャース側とは個人的な交渉が進んでおり、後はサインするだけの状況。しかしFA制度も確立されていない中、阪神側が移籍を認めるわけもなく、やむなく断念するほかありませんでした。
 広島カープへの入団を熱望していた山本投手ですが、71年にドラフト1位で指名されたのは阪神。当時のタイガースは江夏豊投手、村山実投手など、投手王国の時代でした。しかし1年目から切れ味あるストレートと、必殺のフォークボールが威力を発揮。3勝ながらも並みのルーキーではない存在感を示します。マウンド度胸があることを買われ、抑えとしても活躍。77年には58試合のリーグ最多登板で、最多セーブ投手に輝いています。
  


来週のスポーツ伝説は……

 10月26日(月) プロ野球 谷繁元信監督兼選手
 10月27日(火) プロ野球 和田一浩選手
 10月28日(水) プロ野球 小笠原道大選手
 10月29日(木) プロ野球 柳田悠岐選手
 10月30日(金) ラグビー エディ・ジョーンズ ヘッドコーチ

                       以上の5名をご紹介します。
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