スポーツ伝説

9月18日~22日の放送内容

【馬術 井上喜久子選手】

 日本のスポーツ史において、歴代最高齢でのオリンピック出場者は、男女共に馬術競技から生まれています。日本人最高齢の出場記録は、2012年のロンドン大会に71歳で出場した法華津寛選手。日本人女子の最高齢オリンピック出場記録を持っているのは、1988年のソウルオリンピックに出場した井上選手です。井上選手は大正13年生まれ。両親の影響で5歳から乗馬を始め、1932年、ロサンゼルスオリンピックの馬術大障害金メダリスト・西竹一選手の凱旋帰国を記念した大会で、7歳にして競技会デビューを果たします。その後は11歳に全日本馬術競技会で優勝。天才少女と呼ばれ、数多くの大会で優秀な成績を収めますが、その後、日本は太平洋戦争へと突入してしまいました。
 戦争が終わると、井上選手は10年以上のブランクを感じさせず、様々な競技会で好成績を収めます。60年には、ローマオリンピック最終選考会で優勝。初のオリンピック出場を確実なものにしましたが、大会直前に出場枠が減らされるという事態が起こり、井上選手はオリンピック代表の座を逃してしまいました。64年、39歳で迎えた東京オリンピックで、ついに日本馬術史上初の女子代表選手に選ばれると、馬場馬術団体で見事6位入賞。72年には47歳でミュンヘンオリンピックに出場。更に88年、ソウルオリンピック代表の座を勝ち取り、16年ぶりの大舞台出場を果たしました。63歳9ヵ月でのオリンピック出場は、当時の日本人最高齢記録。法華津選手に抜かれた今も、女子の最高齢記録です。
   

   
【プロ野球 東浜巨投手】

 沖縄尚学高校3年生の時、春のセンバツで優勝投手となった東浜投手。亜細亜大学時代は、150キロ台のストレートを武器に東都大学リーグで通算35勝を挙げ、通算420奪三振の記録を作りました。ところが「2ケタ勝てる即戦力」として期待されながら、1年目の2013年はわずか3勝、2年目は2勝、3年目は1勝と、期待を裏切り続けた東浜投手。転機になったのは、15年のオフに指揮官に就任した工藤監督との出逢いでした。工藤監督は就任早々、秋季キャンプで東浜投手を強化指定選手に指名。一から鍛え直したのです。
 するとプロ入り以来落ちていたストレートの球速がよみがえり、再び150キロ台をマーク。4年目の昨シーズンは、自己最多の9勝を挙げました。そして更にトレーニング量を増やし、ストレートの球威も増した今シーズン、初の2ケタ勝利を達成。8月18日には、Koboパーク宮城で楽天打線を7回1失点に抑え、リーグトップとなる13勝目を挙げました。最多勝のタイトルも見えてきましたが、一番の目標は去年逃したペナント奪回、そして2年ぶりの日本一です。

   
   
【プロ野球 田口麗斗投手】
 
 2013年に広島新庄高校からドラフト3位でジャイアンツに入団した田口投手は、3年目の去年、初の10勝を挙げました。ドラフトで指名された高卒左腕が3年目以内で2ケタ勝利を挙げたのは、実は球団史上初めての快挙です。しかし入団会見の際、「将来の目標は“200勝”です!」と明言していた田口投手。08年に山本昌投手が達成して以来、途絶えている通算200勝。日米通算では去年、黒田博樹投手が達成しましたが、昔と比べて先発投手の登板回数が減っていることや、スター投手の相次ぐメジャー移籍もあって、今後しばらくは出て来ないだろうと言われています。
 そんな中、去年に続き、今年は早々と8月に10勝目を挙げた田口投手。フォームの研究にも余念がなく、同じ左腕で同じく小柄ながら、去年までで通算142勝を挙げている杉内投手のピッチングを見て、こっそり真似をしたりもしているそうです。そんな熱心さと共に、チーム愛の深さも人一倍。ジャイアンツの未来は、田口投手の左腕に懸かっています。
 
  
   
【プロ野球 薮田和樹投手】

 大学時代、4年間で挙げた勝利は「0」。公式戦での登板もたったの2試合。にもかかわらず、ドラフト2位の高評価でプロ入りし、入団3年目の今年、一流投手の証しである「二ケタ勝利」を挙げたのが、広島カープの薮田投手です。カープが薮田投手をドラフト2位指名したのは、150キロを超えるストレートと、将来性に期待したから。入団1年目には、初登板・初先発・初勝利の鮮烈デビューを飾りこそしたものの、勝ち星はこの1勝だけ。2年目の去年は3勝。しかし3年目の今年は、プロ入りして初めて開幕一軍の座をつかむと、開幕直後はロングリリーフとして、5月末以降は先発としてフル回転。8月5日には、早くも自身初の二ケタ勝利をマークしたのです。
 急成長した要因は、まずはストレートの威力が増したこと。更に今年は、打者の手元で変化するカットボールの調子も良好で、決め球の「縦のツーシーム」がより威力を発揮するようになりました。高校・大学と怪我で満足に投げられない時間を長く過ごしたからこそ今、チームのためにフル回転できることに喜びを感じているという薮田投手。2年連続での日本シリーズ進出。そして33年ぶりの日本一へ。活躍の場は、どんどん拡がっていきます。
 

   
【プロ野球 秋山拓巳投手】

 高校時代、愛媛県西条高校のエースで4番として、甲子園に二度出場。左打席から高校通算48本のホームランを放ち、“伊予ゴジラ”と呼ばれた、阪神タイガースの秋山投手。2009年、ドラフト4位で阪神に入団すると、翌年には、高卒ルーキーながら先発で4勝。首脳陣もファンも、将来のタイガースを担う選手として、大きな期待を寄せました。ところが、その後の6年間で挙げた勝ち星はたったの2勝。時には、メンタルが原因で思うようにボールが投げられない、いわゆる“イップス”にも苦しみました。
 去年のシーズンオフには、当初からの「背番号27」を剥奪され「46」に。入団8年目の今年は、背水の陣でシーズンを迎えた秋山投手。ところがフタを開けてみれば、思わぬ飛躍の年となりました。開幕当初から、先発ローテーションの一角として活躍。6月中旬には、早くも過去7年間で挙げた勝ち星と同じ6勝を稼ぎだし、オールスターゲームにも監督推薦で初出場を果たしました。その秘密は、オフに改造に着手した投球フォーム。これによりボールに力強さが生まれ、強気の姿勢で打者に向かっていけるようになったのです。8月18日の中日戦では、7回2失点の好投で10勝目をマークした上に、プロ初ホームランも記録。プロ入り8年目にして初めての二ケタ勝利を祝う“祝砲”となりました。
   
 
         
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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