スポーツ伝説

10月29日~11月2日の放送内容

【プロ野球 1998年 日本シリーズ】

 1998年の日本シリーズは、権藤博監督のもと38年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした横浜ベイスターズと、パ・リーグ2連覇を果たした東尾修監督率いる西武ライオンズの戦いとなりました。この時実現したのが、日本シリーズ初の予告先発と、投手の同期ライバル対決。近鉄の阿波野秀幸投手と日本ハムの西崎幸広投手は、それぞれのチームで共に86年のドラフト1位でした。
 チームのエースに成長した二人はライバルとしてしのぎを削りましたが、阿波野投手は巨人へのトレードを経て、98年から横浜へ移籍。中継ぎとして50試合に登板し、4勝を挙げました。西崎投手も98年から西武にトレードで移籍しましたが、開幕から故障で出遅れ、シーズン終了ギリギリの10月に再び復帰。移籍初勝利を挙げ、なんとか日本シリーズに間に合わせました。結果は、横浜が38年ぶりの日本一に。第4戦が二人の最後の対決となりましたが、お互いの存在を励みにしていたからこそ、日本シリーズという最高の舞台でのライバル対決が実現したのです。


     
【プロ野球 2008年 日本シリーズ】

 2008年のセ・リーグは、原辰徳監督率いる巨人がリーグ2連覇を飾り、クライマックスシリーズも制覇。パ・リーグを制したのは、この年から西武の指揮を執ることになった渡辺久信監督でした。
 現役時代、西武のエースとして活躍した渡辺監督は98年からヤクルトへ移籍し、翌99年から台湾のプロ球団で投手兼任コーチを3年間務めました。そこで指導者としての腕を磨き、04年に古巣・西武の二軍投手コーチに就任。二軍監督を経て、08年に一軍の監督に昇格すると、独自のスタイルで若手たちの才能を引き出し、チームを4年ぶりにリーグ優勝へと導きました。さらにクライマックスシリーズも突破し、就任1年目で日本シリーズへ。西武が4年ぶりの日本一に輝いたのです。
 

   
【テニス 大坂なおみ選手】

 今年9月、グランドスラムのひとつである全米オープンで、大坂選手が日本勢初のシングルス優勝の快挙を成し遂げました。それまでも評価は高かったものの、今年はじめの世界ランクは70位台。全米オープンの時点でも19位と、グランドスラム制覇はまだまだ先というのが大方の予想でした。ところがフタを開けてみれば、1回戦から準決勝までの6試合で、失ったセットはたった1セットだけ。決勝でも、元世界ランク1位のセリーナ・ウィリアムズ選手にストレート勝ちして、世界のテニスファンに大きな衝撃を与えました。
 大坂選手のこの急成長を支えたのが、今シーズンからコンビを組むサーシャ・バインコーチです。バインコーチは、過去に手がけた選手がいずれも世界1位に輝いたという敏腕指導者。大坂選手をそれまでの強打一辺倒から、粘り強く返球し、コースを打ち分けてチャンスをつかむ我慢のテニスへとモデルチェンジ。その我慢が試合終盤でもできるよう、トレーニングで約7キロの減量も行いました。こうして憧れの選手だったセリーナ選手を倒し、全米制覇を成し遂げた大坂選手。今後の目標は「世界ランク1位」と「オリンピックの金メダル」です。
 

  
【サッカー 2008年アジアチャンピオンズリーグ】
 
 アジアチャンピオンズリーグ(通称:ACL)の優勝チームには、クラブ世界一を決めるFIFAクラブワールドカップへの出場権が与えられます。日本人監督でこの大会を初めて制したのは、ロシアワールドカップで日本代表を率いてベスト16入りを果たした西野朗監督。ガンバ大阪の監督だった2008年のことでした。
 西野監督が初めてACLに挑んだのは06年、ガンバ大阪の指揮官になって5年目のシーズンでした。前年、Jリーグでチームを初優勝に導き、勢いに乗っていたものの初のACLはグループステージ敗退。ACLに対する選手のモチベーション不足が敗因のひとつでした。しかし翌07年、浦和レッズが日本勢で初めてACL優勝を達成。クラブワールドカップでも3位という好成績を収めたことで、レッズが世界で注目され、JリーガーたちのACLを見る目も変わりました。08年、再びACLに出場したガンバ大阪は、ホームでもアウェーでも全勝でアジア勢を蹴散らし、ACL初優勝を果たしたのです。


  
【サッカー 2017年アジアチャンピオンズリーグ】
 
 2017年、ACL決勝に日本勢として9年ぶりに駒を進めた浦和レッズ。この年、レッズは優勝候補に名を連ねながら、リーグ戦の順位は一向に上向きませんでした。7月末には長年チームを率いてきたミハイロ・ペトロヴィッチ監督を電撃解任。コーチから昇格した堀孝史監督のもとで立て直しを図りましたが、リーグ戦は7位。天皇杯、ルヴァンカップも落とし、唯一残っていた希望がACLでした。
 ACL決勝の相手は、サウジアラビアの強豪アル・ヒラル。監督はJリーグ初代得点王、ラモン・ディアスとあって、技術とスピードに優れた攻撃的なチームでした。しかしレッズはチーム全員のハードワークで戦い抜き、10年ぶりにアジアの頂点へと登りつめたのです。


   
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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