スポーツ伝説

1月25日~29日の放送内容

【プロ野球 石川柊太投手】

 東京都立総合工科高校から創価大学に進み、2013年の育成ドラフト1位でソフトバンクに入団した石川投手。プロ3年目の16年に支配下登録を勝ち取ると先発と、中継ぎの両方で頭角を現し、17年は8勝、18年は13勝をマーク。一躍、脚光を浴びました。ところが19年は度重なる故障の影響もあり、一軍登板はわずか2試合だけ。勝ち星を挙げることは出来ずに終わります。
 復活を期して、固い決意で臨んだ20年。石川投手は11勝3敗の好成績を挙げ、同僚の千賀滉大投手、東北楽天の涌井秀章投手と並び、最多勝のタイトルを獲得。この最多勝は、2つの「史上初」が付く快挙でした。育成選手出身の最多勝は、千賀投手と並んで史上初。さらにドラフト制度が始まってから、都立高の出身者が最多勝を獲ったのもまた初めて。まさに“叩き上げ”を象徴する2つの快挙でした。



【プロ野球 栗原陵矢選手】

 昨シーズンのソフトバンクは、栗原選手で始まり栗原選手で終わったと言っても過言ではないほど、栗原選手の昨年の活躍ぶりはインパクトのあるものでした。栗原選手は、2014年のドラフト2位でソフトバンクに入団。キャッチャーで入団しましたが、バッティングを生かすため、19年の途中からは外野手としても試合に出場し、この年待望のプロ初ホームランを記録します。また秋に行われたファーム日本選手権では4番として3安打を放ち、ソフトバンクのファーム日本一に貢献しました。
 プロ6年目の20年は千葉ロッテとの開幕戦でスタメンに大抜擢され、ベンチの期待に見事応えてみせます。1対1で迎えた延長10回ウラ、劇的なサヨナラヒットでチームに開幕戦勝利をもたらしたのです。栗原選手は昨シーズン、初めて一軍に定着して118試合に出場。ホームラン17本・73打点は、ともに主砲の柳田悠岐選手に次ぐチーム2位の成績でした。さらに巨人との日本シリーズでは、4試合で打率5割。MVPに輝きました。



【プロ野球 平良海馬投手】

 平良投手は沖縄県石垣島の出身。母校の八重山商工高校では部員が足りず、3年の春は連合チームのエース。そこで152キロをマークして一躍プロ注目の投手となります。2017年のドラフト4位で埼玉西武に入団。2年目の19年シーズン途中に一軍デビューを果たすと、中継ぎで26試合を投げて大きな自信を手にしました。そしてプロ3年目の20年、開幕2戦目で初登板を果たすと、平良投手はここから登板するたびに凡打の山を築き、毎試合ノーヒットピッチングを続けていきました。
 10試合目の登板となった7月17日の東北楽天戦。7回から登板した平良投手は、先頭の銀次選手をセカンドゴロに打ち取り、ノーヒットのまま27個のアウトを積み重ねます。イニング数に換算すると9回で、ちょうど1試合分。「実質ノーヒットノーラン達成」と話題に。平良投手はこの記録を連続30アウト、10イニング分まで延ばしました。シーズン終盤には20試合連続無失点の快投も見せ、リーグトップタイの54試合に登板し、防御率1・87。黒星なしの1勝1セーブ33ホールドの好成績を挙げ、パ・リーグ新人王に選ばれたのです。



【プロ野球 森下暢仁投手】
 
 2019年のドラフト1位で明治大学から広島カープに入団した森下投手の目標は、プロ入り前から新人王。プロ初登板となった6月21日の横浜DeNA戦では、7回を4安打無失点の鮮烈なデビューを飾ります。この試合での初勝利は残念ながら消えてしまいましたが、翌週のナゴヤドームでの中日戦でも圧巻のピッチングを見せ、今度こそみごとプロ初勝利を挙げました。さらに8月14日の阪神戦では、2安打、12奪三振、無四球のプロ初完封を記録。新人投手が2ケタ奪三振と四死球なしの完封を同時に達成したのは、球団史上初の快挙です。
 新人王争いでは、シーズン中盤まで巨人の戸郷翔征投手に勝ち星でリードを許していましたが、終盤に逆転。シーズン最後の登板となった11月1日、ナゴヤドームでの中日戦で10勝目を挙げると、防御率争いでも2点台を切る1・91を記録し、新人王を確実にしたのです。



【プロ野球 祖父江大輔投手】 
 
 社会人のトヨタ自動車から、2013年のドラフト5位で中日に入団した祖父江投手。入団から7年間リリーフひと筋。1年目から毎年30試合以上投げ、昨年もチーム最多の54試合に登板しました。入団以来、リードしている場面、リードされた場面、敗戦処理とあらゆる場面で投げてきた祖父江投手。昨年は勝ちパターン中心で起用され、30ホールドポイントを記録。嬉しい初タイトル「最優秀中継ぎ投手」に輝きました。
 昨年、中日は「6回までリードしていたら、37連勝」という記録を作りました。その中心になったのが、福敬登投手、守護神のライデル・マルティネス投手と祖父江投手です。3人の名前から取ったトリオ名“大福マル”はファンの間ですっかり定着しました。中日が昨年、8年ぶりにAクラスへ返り咲いたのは、どんな厳しい場面だろうと厭わずに投げる祖父江投手がいたからこそなのです。



来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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