スポーツ伝説

6月13日~17日の放送内容

【プロ野球 佐々木朗希投手】

 “令和の怪物”こと、千葉ロッテマリーンズ・佐々木投手。4月10日のオリックスバファローズ戦で、9回まで1人のランナーも許さずに勝つ完全試合を達成しました。対戦相手のオリックスと言えば、昨年のパ・リーグ優勝チームで、打線の3番に2年連続首位打者の吉田正尚選手が控えています。選球眼が良く、三振の割合が18打席に1回程度と、三振が非常に少ないバッターです。その吉田選手を初回、フォークで空振り三振に仕留めると、佐々木投手の奪三振ショーが幕を開けます。ストレートとフォークで三振の山を築き打者一巡。4回表、吉田選手の2打席目は意表を突く連続カーブで2ストライクに追い込むと、最後はフォークで空振り三振。日本記録となる、10者連続奪三振を達成したのです。
 佐々木投手の連続三振記録は、6回の表、オリックス・紅林弘太郎選手のセンターフライによって「13」で途切れますが、パーフェクトピッチングは続きます。スタンドもベンチもグラウンドの野手も、固唾を呑んで迎えた9回2アウト。代打で登場した昨年のホームラン王・杉本裕太郎選手を3球連続のフォークで空振り三振に仕留め、佐々木投手は「1試合19奪三振」という日本タイ記録と同時に、28年ぶり史上16人目の完全試合を成し遂げたのです。
 
  
 
【プロ野球 槙原寛己投手】

 1994年5月18日、福岡ドームで行われた巨人対広島戦は、巨人の通算7000試合目というメモリアルゲームでした。その先発を託されたのが、巨人・三本柱のひとり、槙原投手です。この日のカープ打線は、主砲の江藤智選手と前田智徳選手がともにケガのため不在。本拠地の東京ドームより広い福岡ドームで投げるとあって、槙原投手はストレートを主体に攻めのピッチングで試合を運んでいきました。
 94年は、槙原投手にとって野球人生の節目といえるシーズンでした。前年オフに始まったFA制度を使って移籍が確実視されましたが、長嶋茂雄監督の説得もあって、巨人への残留が決定。年俸は大幅にアップし、これまで以上に結果が求められていました。そんな中で迎えた、完全試合達成のチャンス。槙原投手は、9回もストレートでどんどん攻めていきます。そして27人目のバッターに投げた102球目、内角高めのストレートで詰まらせた打球は、一塁方向のファウルゾーンへ。これをファーストの落合博満選手がキャッチし、16年ぶり、史上15人目の完全試合達成となったのです。結果的に、平成に達成された完全試合はこの1試合のみ。槙原投手は“ミスターパーフェクト”と呼ばれるようになりました。



【プロ野球 今井雄太郎投手】

 今井投手は、1970年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。切れ味鋭いシュートが武器で、ピッチング評価は高かったものの、“ノミの心臓”と呼ばれるほど気が弱く、また極度のあがり症であったため、2軍やブルペンでは好投するものの、1軍のマウンドでピンチを招くと制球を乱して自滅。入団後7年間で挙げた勝ち星はわずか6勝でした。プロ8年目の78年5月、南海ホークス戦のマウンドに上がる直前の今井投手を、梶本隆夫コーチが呼び止めます。手渡した紙コップには、ビールが並々と入っていました。一度、開き直って投げてみろというアドバイス。一気に飲み干しマウンドに立った今井投手は、気持ちが大きくなったのか、リズムよく投げてこの年初勝利を挙げたのです。
 これで手ごたえをつかんだ今井投手は、8月31日のロッテ戦で、決め球のシュートを主体に、打たせて取るピッチングで内野ゴロの山を築いていきます。今井投手は試合中盤を過ぎてもランナーを許さず、周囲も緊張感に包まれました。こうなると案じられるのがいつもの自滅。ベンチのメンバーもアウトを取るたびに大声で盛り上げるなど、今井投手が緊張しないようアシストしていきました。そして1人のランナーも許さないまま、9回裏ツーアウトまでこぎつけた今井投手は、史上14人目の完全試合が達成したのです。後に通算130勝を挙げる、遅咲きの大投手が誕生した瞬間でした。


 
【プロ野球 高橋善正投手】

 中央大学から、1966年のドラフト1位で東映フライヤーズに入団した高橋投手。決め球のシュートを武器に活躍し、ルーキーイヤーの67年には15勝を挙げてパ・リーグ新人王に輝きました。2年目も13勝を挙げ、順調なプロ野球人生を歩み始めたかに思われましたが、3年目の開幕前にアクシデントに見舞われます。雨上がりのグラウンドでランニングをしていた際、端にあった排水溝に落ちてしまい腰を強打。その影響もあって、3年目は3勝、4年目は2勝と成績は急降下しました。一時は引退も真剣に考えましたが、やれるところまでやってみようと覚悟を決めた高橋投手。逆境の中でスライダーを習得し、この新たな変化球が大記録をもたらす鍵となりました。
 プロ5年目の71年、勝ち星はわずか3勝で迎えた8月21日。高橋投手は、後楽園球場での西鉄ライオンズ戦に先発します。この日の西鉄打線は、髙橋投手が得意のシュート中心で配球を組み立ててくると予想していました。ところがブルペンで投げている時からシュートが決まらず、調子が悪かった高橋投手は、スライダー中心の投球に切り換えたのです。完全に裏をかかれた形となった西鉄打線は、スライダーを打ちあぐねて凡打の山を築いていきました。9回ツーアウトまで1人のランナーも許さなかった髙橋投手は、大記録にあと1人と迫ります。バッターは、シュート打ちに定評のある代打・和田博実選手。初球、シュートを待っていた和田選手がバットを振り抜くと、高く舞い上がった打球はレフトのグラブへ収まり、この瞬間、史上12人目の完全試合が達成されました。内野ゴロ15、内野フライ7、外野フライ4、三振はわずか1、球数は86球。高橋投手らしい打たせて捕る、省エネピッチングでの快挙達成でした。



【プロ野球 外木場義郎投手】

 ドラフト制度が始まる前の1964年、シーズン終盤の9月に広島カープへ入団した外木場投手。威力のあるストレートと鋭く曲がり落ちるカーブを持ち球にしていた外木場投手は、この年の登板機会はありませんでしたが、大器として期待され、事実上1年目の65年にいきなり大記録を達成します。10月2日、代役で急遽先発した阪神戦でノーヒットノーランを達成。フォアボールを1個だけの準完全試合で、しかもこれがプロ初勝利でした。
 68年9月14日、大洋ホエールズ戦のマウンドに上がった外木場投手。前日から当日昼まで雨が降った影響で、グラウンドコンディションは最悪。観客が少ない閑散とした広島市民球場で快挙再び快挙が達成されました。この日はストレートがよく走っていた外木場投手。落ちるカーブを警戒していた大洋打線は、速球主体でグイグイ攻めてくる外木場投手に面食らい、三振の山を築いていきました。大洋は終盤、大記録を阻止しようと外角のボールをカットしていく作戦に出ましたが、外木場投手は逆に内角を突き、1人もランナーを許さないまま試合は最終回を迎えます。「最後は、全部まっすぐで三振を取りに行った」と外木場投手。三者連続三振の1試合16奪三振で、史上10人目の完全試合を達成したのです。



来週のスポーツ伝説は……

6/20(月) プロ野球 髙橋宏斗投手
6/21(火) プロ野球 赤星優志投手  
6/22(水) プロ野球 本田仁海投手
6/23(木) プロ野球 マット・シューメーカー投手
6/24(金) プロ野球 アーロン・ウィルカーソン投手

お楽しみに!!
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