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チャレンジドアスリートとは

スポーツに打ち込み、磨き抜かれた技で、
観る者を感動・興奮させるアスリートたち。
アスリートの中には、障がいを持ちながら
国際舞台を目指している者たちもいる。
そんなアスリートたちの戦い続ける素顔、軌跡、
そして、支える人たちにも迫る
『ニッポン チャレンジド・アスリート』。


今週のピックアップアスリート

藤本佳伸(ふじもと・よしのぶ)選手

藤本佳伸
(ふじもと・よしのぶ)選手

1976年、徳島県生まれ。38歳。エイベックス所属。小学3年から器械体操を始め、徳島の名門・鳴門高校に進学する が、練習中の事故で下半身不随となり車いす生活に。大学卒業後、23歳から車いすテニスを始め、2008年、32歳で北京パラリンピック に初出場。2010年にはアジアパラリンピック・シングルスでベスト4。どんな困難にも立ち向かう「不撓不屈(ふとうふくつ)」の精神で 現在も現役で活躍中。

■1月10日放送分(前編)

高校時代、器械体操の選手としてオリンピックを目指していた藤本選手。しかし2年生の時、練習中に鉄棒から落下し下半 身不随に。「夢が潰えたことより、これから自分の生活はどうなっていくんだろう?と目の前が真っ暗になりました」▼その後何もやる気が起 きず、自然と家にいる時間が多くなった。ある日、衛星放送でたまたま流れていたテニス中継につい見入ってしまい、リハビリ担当の先生にそ の話をすると、その人も偶然テニス経験者で「車いすテニス」を紹介されたという。初めてプレーした時の印象は?「初めて『ハの字型』の競 技用車いすに乗ったんですが、球の速さについて行けずクルクル回ってしまい、そのターンの速さにビックリしました。『この状態でボールを 打つんだ!』という驚きからのスタートでしたね」▼そんな中、新たな出逢いもあった。最初についた専属コーチは、なんと鳴門高校の同級 生。彼の指導でだんだん車いすテニスにのめり込み、やがて国際大会に出場するレベルに。その時コーチから「トレーニング施設のある所で、 本格的にやってみないか?」という誘いを受け、千葉へ転居した。初めての独り暮らしに不安はあったが、周りの協力もあり、2008年、 32歳で北京パラリンピックに初出場。競技を始めてから9年目のことだった。「(9年間は)短かったですね。今年はこの大会に出る、と計 画を立てて練習。もっとレベルアップするには、テニスの練習だけじゃなく体も鍛えないと…とやっていると、本当に日々のサイクルが早く アッという間でした」▼何もやる気が起きなかった自分に、もう一度生き甲斐を与えてくれた車いすテニス。藤本選手にとって車いすテニスの 魅力とは?「ボールもコートも一般のテニスと同じなんですが、大きな違いは『2バウンドまでOK』というルールです。その分ラリーが長く 続きますから、車いすをいかに素早く操ってボールに追い付くか、というチェアワークや、相手との深い駆け引き、それも大きな魅力ですね」 ▼次回は藤本選手が、2020年・東京パラリンピックへの思いを語ります。

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番組紹介

スポーツがいつも話題の中心の2014年。
国外では、ソチ冬季オリンピック、ブラジルワールドカップ、
国内では、プロ野球ペナントレース、Jリーグ、競馬、ゴルフ、相撲など。
また、2014年後半からも、プロ野球クライマックスシリーズ~日本シリーズ

日米野球、MLB、Jリーグ、アギレジャパン、東京マラソン。 これら話題のスポーツを数多く中継しているニッポン放送が
徹底的にスポーツを掘り下げる新スポーツ番組が
「サタデー ショウアップスポーツ」です!

プロフィール

師岡正雄(もろおか・まさお)

1960年2月15日生まれ。東京都出身。
Jリーグの開幕、ジョホールバルの奇跡、
WBCの2度の優勝などエポックメイキングなシーンを多数実況。
豊かな声量と明朗な声色が魅力のスポーツアナウンサー。宴会大好き、焼酎大好き。
ダイエットのためジョギングにトライするも膝痛に悩まされている。

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