高田文夫のおもひでコロコロ

2023.10.23

第75回『磯山さやかをさがして』

ジャーン!
ついに出ました我らが磯山、30代最後の決定版写真集。こんな39歳見たことない。
6年ぶりの魅惑のボディに松村邦洋 思わず10冊お買い上げ。
「and more 磯山さやか」(講談社 お得な3,200円)

40才を前に皆なの磯っちに登りつめた。2012年 私が倒れる直前に「ビバリー」レギュラー入り。
実はもう11年も喋っている。代表作・林家パー子。

☆          ☆

来年「35周年」(ニッポン放送開局70周年)を控える「ビバリー昼ズ」軍団も大忙しである。
松本明子の「不作お神セブン」ライブが終わったと思ったら、ナイツが独演会で全国ツアー。
私は10月16日 国立劇場の小劇場で行われたものに行ってきた。
漫才 コント 漫才 コント 漫才 にラストはアッとあきれるエンタメショー。
よくこれだけのネタを作る時間があるものだ。
このあとも愛知、大阪、北海道、宮城などをまわるらしい。
さすが「ポスト キムタク」と言われる塙、マックのCMひとり占め。
ラストは11月22日 浅草公会堂。故郷に「錦(にしき)」よりも「綿(わた)」を飾るつもりだ。

右は東MAXひきいる劇団FIRE HIP´Sの第14回公演「コン・マン」
12月16日(土)3時と6時30分
12月17日(日)1時と5時
場所はスクエア荏原ひらつかホール。出演は東貴博・はなわ(ナイツ兄)・神田伸一郎(ハマカーン)・高橋健介・ちゅうえい他アイドルも。
大学生なのに座長もつとめ、また子供までひとの目を盗んで作った東MAXを少しだけ応援しよう~ッ。
チラシの裏を見たら脚本・演出 東貴博、アドバイザー 金澤達也のとなりに監修 高田文夫の文字が。
そうか・・・からんでたのか・・・オレ。さぁ―――稽古だ!

ナイツも使用していたが国立劇場も国立演芸場も建て替えの為いよいよ なくなってしまう。
国立演芸場開場の為、尽力をつくしたのが昇太の師匠の柳昇、そして一龍斎貞鳳ら。みんな亡くなったが演芸場もいよいよ閉じる。
下のチラシがさよなら演芸場のチラシ「日本の寄席芸」。小さくて寄席文字も読みにくいと思うが、目をこらせばオールスターだというのがよく分る。
初日14日のトリが人間国宝・神田松鯉。15日には一番新しい人間国宝・雲助。この日のトリの夢太朗は私の高校(日本学園)の同級生 大石クン。
色物もロケット団、ナイツ、ペーと散りばめられていて22日(日)は一之輔、トリが市馬。
千秋楽10月25日(水)は ほとんど高田組だな。
神田伯山になんと志らく。そして大トリの大トリが「ビバリー」を代表して昇太という寸法だ。師匠柳昇の想いも様々とげられる。
私と野末陳平の家からも近いので、これからはバッタリと芸人たちと会うこともなく伸び伸びとこの辺りを散歩できる。

毎年12月に国立演芸場で開催されていた「桂雀々独演会」も演芸場が使えなくなったので今年は渋谷の大和田伝承ホールで。
12月10日(日)7時から。
私のひとまわり下のネズミ年が雀々。という訳で毎年レギュラーゲストが私で、たったふたりの「チュウチュウマウス会」
ただ客前でいちゃつくだけのトーク。チラシの左に「トークゲスト/高田文夫」とある通り。
私が生まれた渋谷へ雀々が。そしてジャニー喜多川が住んでいて少年野球チーム「ジャニーズ」をひきいて私のチーム「シャークス」と戦った加害気味の地へ。
私と雀々の間に禁断の愛はめばえるのか乞う御期待。

☆          ☆

さぁ年が明けるとすぐに「清水ミチコIN武道館」だ。凄い。

 

 

ジャジャーン!
これがマキタスポーツが送ってきた山梨県は丹波山(たばやま)村の原木マイタケだ。私の家に届いたのはこの写真の2倍くらい大きい。「時代はマイタケだ」というので「いや、オレは巨泉だ」と思う。「巨泉・マエタケ ゲバゲバ90分」である。私の職業(放送作家から喋り上手)の大先輩である。
私は永六輔と青島幸男は尊敬しているが巨泉マエタケはあまりソンケーしていない。
余談ですが――。

 

 

1周忌である。猪木のドキュメント映画ができたときき映画館へ すっとんで行った。
「アントニオ猪木をさがして」……ウーン さがせなかった。
帰り本屋をのぞくとマニアすぎるプロレス雑誌「KAMINOGE」が。映画の中 古舘の実況がきこえないのである。代わりに伯山が巌流島へ渡りA猪木VSマサ斉藤の講釈。なかなかの迫力。で――「KAMINOGE 」の表紙がA猪木と若き日の古舘。
テーマは「“闘いのワンダーランド”は永遠に僕のもの」。
中をのぞくと「玉袋筋太郎の変態座談会」でゲストが「過激な喋り屋 古館伊知郎」。
延々リングアウトなしで猪木を語りつくすふたり。
圧巻はやはりバカでっかいアンドレ・ザ・ジャイアントを「人間山脈」と形容。
そして天才たる由縁は「一人と言うには あまりにも大きすぎる。二人と言ったら人口の辻褄(つじつま)が合わない!」
アートだネ。素晴らしすぎる。

 

10月19日「ナイツ ザ・ラジオショー」
1時台ゲストが古舘伊知郎、2時台ゲストが高田文夫という訳でタッチする瞬間に少しだけ久々に会えた。

お互いに あの映画に一寸ガッカリ。
互いに想い出した。古舘がテレ朝を辞める時、何故か私の所へ「これから やっていけるか」と相談に来た。何の保証もないが私はこの才能にふれて「大丈夫!フリーでも やっていける」と目をとじて太鼓判。「退社のお祝いにオレが2本仕事の用意するから」と。
古舘、フリーの1発目の仕事が「ひょうきんプロレス」の実況。となりの席には私の書いた台本通りビートたけし演じる解説の「じゃまもとコタツ」
リングには私の悪友 景山民夫。当時マスコミをにぎわせたフルハムロードの三浦和義に似ていたのでリングネームは「フルハム三浦」。
対するは当時 人気絶頂のNHK「おしん」より松本竜介(紳助の相方)演じる「タイガージェットおしん」。おしんの「大根ラリアート」が みごと決まり景山アバラを折って そのまま病院送り。
(余談ですが「おしん」では「大根メシ」を食べていたのです。)
古舘へお正月の縁起ものだからと私が30年も ひとりで構成をやっていた元日の朝7時から夕方6時頃までフジTVの長時間演芸番組「初詣!爆笑ヒットパレード」。
毎年恒例。司会は三波伸介時代から やすしきよし時代 たけしさんま時代。旬のタレントにヘリコプターに乗ってもらいニュースの人物の家やら田中角栄の家やら……時のスター達の家を空からレポート。朝から夕方までヘリコに乗せられた古舘マッ青になり吐いていた。フリーのきびしい元日を知った1日。

 

 

10月23日

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。