高田文夫のおもひでコロコロ

2024.03.11

第88回『鳥山明と漫才Tシャツと私』

小さい頃から鳥山明に育てられた世代が今マスコミの中枢に居るから その報道は熱のこもったもの凄いものになった。愛にあふれていた。
私の子供も長男(75年生まれ)はDrスランプアラレちゃんに育てられ 次男(81年生まれ)は丸ごとドラゴンボールに育てられた。
鳥山先生お世話になりました。

すると今度はちびまるこちゃんの声、あのTARAKOが亡くなったという。漫画・アニメーションの世界は小さい頃から夢を与えてきてくれたから その悲しみ衝撃は大きい。
私も知りあいのアンパンマン(声)だけには長生きしてくれと頼んでおこう。

思い出すなぁ。さくらももこが小さい頃「ビートたけしのANN」の大ファンで いつもたけしと私に手紙をくれてたっけ。ナンシー関も沢山手紙をくれた。宮藤官九郎は直接ハナをたらして会いにきた。みんな大きくなったなぁ。
私は不適切を絵にかいた様な75才である。

映画「漫才協会THE MOVIE」もなかなかの評判の内に劇場公開されまして、監督の塙も喜び頭がおかしくなりそうで「ヤホー」で相方の名前・プロフィールを黙々と調べておりました。
大丈夫なのか桂子の弟子!

私の題字のTシャツ。
浅草東洋館に一番近いユニクロへ行くとこれが求められるらしいです。
協会が勝手に出しているらしいが、まだ2枚しか売れていないと言う。私の小さな名誉の為にもせめて10人は買ってくれよ トホホ。「高田はまた売れねぇな」と陰口言われんだよ 若僧から。

 

ナイツ塙の新刊「劇場舎人(とねり)」(角川書店)。師匠たちへの想いをつづった。

「クイックジャパン」(太田出版)が80ページの総力特集で「こんなときこそサンドウィッチマン」

 

最近パラパラとめくっている本が「起死回生、逆転プロ野球人生」(新潮新書)小林繁、西本聖、下柳剛らの30の華麗なる逆転ストーリー。

「電通マンぼろぼろ日記」福永耕太郎 就職サイトには載せられない。メディアの裏でたくらむ仕事(フォレスト出版)。

「ルポ 日本異界地図 行ってはいけないタブー地帯32選」(講談社)
我々さんぽ会でもふみこめないやばい場所列伝。
飛田新地(西成)、雄琴、吉原、黄金町、アメヤ横丁、鶴橋(生野区)、新宿二丁目、山谷、寿町(横浜)、釜ヶ崎(西成)etcの区もワクワクの地域が大進行。

 

私が生まれた土地は<渋谷>
育ったのが<世田谷>・・・道理でどこか品があると思ったわ(が、多くの声)。
近々私も行くつもり。渋谷区郷土博物館・文学館。
映画館という観点から渋谷の歴史をたどる。
東急文化会館などでどれだけ沢山の映画を見たことか。ここの地下では寄席もやっていた。渋谷っ子にとっちゃたまらん企画。そうそう ここの東急名画座でたしか円山町生まれの森田芳光がデビュー作「の・ようなもの」を封切ったんだ。(映画のモデルは森田と高田の物語)。
「渋谷にあった映画館ー昭和30年代までー」3月24日まで。入館料100円、月曜休館。

 

同じ渋谷の話。
鶴瓶師の弟子に瓶二が居て 私の介護やら野末陳平のマジ介護、私をLFへ送り届けたりもする志らくの弟子の志らら。この二人がいつも地方でやってる会を東京でやるという。渋谷区文化総合センター大和田6F伝承ホール 6月5日18時。
なんとこの会に御大 鶴瓶師が特別ゲストで出てくれるという。これはいい。
ふたりの落語はともかく 鶴瓶師を見るだけでも。チラシを見ると前売は3月22日となっている。よろしく。

 

さぁ私は神楽坂で23日までやっている ながさわの『顔・顔・顔』展に行かなくては。
「ビバリー昼ズ」は今後「タイムマシーン3号」が来たり「マキタスポーツ」「タブレット純」「大川豊」と続々とやって参ります。
お陰様で聴取率もあきれる程良くて―――ありがとうございます。
死なないよう気をつけて生きていきます。

 

3月11日

 

高田文夫

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。