高田文夫のおもひでコロコロ

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2024.07.04

第99回『ラジオビバリー昼ズ IN 国際フォーラム・ホールA』

大盛況の大成功。
本当にありがとうございました。
6月28日は朝からドシャ降り。
こんな私でも不安はよぎったのですが、35年の実績は伊達じゃない。
北海道から沖縄、東北。うぐいす谷。
飛行機で新幹線で徒歩で。ケンケンで。
よくぞ5,000人もビッチリ集まったものです。
5,000人が、レギュラー陣が、ゲストの皆様が、スタッフ一同が 私だけをリスペクトしている気持がヒシヒシと感じました。
5,000人以上の人の「LOVE」の「気」を感じたのは本当に初めてです。
長いことやって来て良かったとしみじみ。
芸能界には何万人、何千人の人が居るかはよく分かりませんが、これだけの愛情を浴びることができるのは、きっとほんの数十人でしょう。
小さい時からこの仕事と決めてて一直線に人を喜ばす事だけを考え 76年も生きてきて本当に日本の文化の為にもこの身、無事でよかったなぁと思います。

上の上までビッシリ埋まった国際フォーラム・ホールA。
壮観とはこのこと。

 

コントのあと何故か自分だけ歌う松本明子

 

ジャーン、「文夫の部屋」へサッソウ登場の私。
右はアシスタントの土屋。髪が鳥の巣。

 

洟を垂らした子供時分から知っているクドカン小僧。「新番組が始まったらまずビバリーでほめて下さいよ。深い時浅い時、色々あって時々ものすごい浅い時があるんですよ。ほめが浅い。歌舞伎町も始まりますからよろしくお願いしますよ」
そして御存知、爆笑問題。早い話、クドカンも爆問も「日芸」で私の後輩。
YOASOBIがそうだって分かってこうやって見ると日芸は芸能レベルが相当高いネ。

この日、志の輔と共に呼ばれなかった談春しみじみと「なんだよ、クドカン、爆問、伯山って、みんなTBSじゃねーか。看板が揃ってLFに移籍すんのかネ」
太田はひらすら社長に「よろしく」と頭を下げていた。

 

レギュラー陣のトークで唯一つっこんで来た昇太。
MCは半天もいなせな江戸っ子コンビ。
しかしこのあと東MAXにあんな悲惨なことが起こるとは・・・・・・・・・。

 

 

近くの打ち上げ会場。
清水曰く「高田センセーと私とヘビーリスナー2名」
その席にまじってきた伯山と土屋、そしてヘビーリスナー2名。

 

全員で「ハイ一枚」。おつかれさまでした————ッ。

 

さぁ来年は36周年か・・・・・・。

 

7月5日

 

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。