高田文夫のおもひでコロコロ

2023.10.09

第74回『いち・にの・さんぽ会』

10月2日「ビバリー」(ゲスト大西ユカリ)生放送終えたあと、久しぶりに「いち・にの・さんぽ会」。
「木挽町のあだ討ち」(永井紗耶子)直木賞記念だとリーダーの高野クンが舞台となった<江戸三座>(中村座、市村座、森田座)を巡りましょうと言う。
ニッポン放送から木挽町へ。歌舞伎座前を通ると なんと「文七元結」(山田洋次 演出)の初日である。
ついに寺島しのぶが女性として歌舞伎座の舞台へあがる。獅童がうけて立つ。
原作の圓朝はどう思っているのだろうか。など思いながら人形町へ。
私、急に無口になったと思ったらジャニーズの記者会見を2時間イヤホーンで ききながら歩いていた。私も指名NGリストか。
「落着きましょう。子供達も見てますから」
「人形町末広跡」なんて小さなプレートを見たりして人形町を落着いて歩き、神保町へ。
いつも打ちあげをやっていた「ゆにおん食堂」がビルの建て替えなんかで六本木(溜池)から居なくなり やっとのことで新しい店をみつけ神保町交差点の一寸ウラで再開。よかった。
夕方、志ららに野末陳平先生つれてこい。合流するからと言っておく。

左から松村、高野さんぽリーダー、野末陳平(91歳)、私、渡辺(ヤクルトバカなP)、馬場(職業 道楽者)、志らら(本当の師匠はひるおび)。

右の写真。レーティング(聴取率)が他より ちょいと良かったというので局の壁に張り出され花までつけられる「ビバリー」。それを指さして喜ぶ通りすがりの三人。高田、磯山、松村。

 

さぁ いよいよ「オードリーIN東京ドーム」である。オードリーのANNのリスナーを“リトルトゥース”というが、数年前の「オードリーIN武道館」。気がついたら私は周りから「最年長リトルトゥース」と言われていた。ふたりの為にドームが いっぱいになるなんて夢のような話である。ここへ来ての若林の異様なおかしさはジンジョーではない。講談社へ行くビートたけしの殴り込み直前のあやうい面白さと似ている。
あの時のたけしは今の若林より全然若かったのではないか。
東京ドームが終わったら若林 新潮社にでも消火器持って行くかも。

 

さぁ そしてその「浅草キッド」である。10月8日から22日。明治座。「たけし」を林遣都、「師・深見千三郎」を山本耕史。ビートきよしの山形弁方言指導をロケット団の三浦昌朗。「きよし」を演じるのは今野浩喜(おカミさん。そこに愛はあるんか)でおなじみの箸置きである。

「山田ですーゥ」で「ビバリー」と「爆笑問題カーボーイ」でおなじみ。「かたり」芸を確立した山田雅人が芸能生活40周年記念である。11月に大阪で鶴瓶師をゲストに公演し来年1月9日には私のプロデュースでゲストが私と松村邦洋。(安直とか言わないように。)
当日はWBCか阪神か、はたまた貴乃花の結婚か。どんな話芸がきけるのか。紀伊國屋サザンシアターです。年明けの縁起ものに是非。

 

最近出たので読んでいる本。贈られたものやら買ったものやら。

「談志百選」(中公文庫)
談志が書き~名人 山藤章二~が描いた名著。数ある談志本の中でもベスト3に入る楽しさ。私を語る談志が絶好調。

 

 

「ブギウギ伝説」(興陽館)佐藤利明
佐藤なるこの男は本当に昔のことをよく知ってる。芸能史本では信用のできる著者。朝ドラも始まって楽しみ。

 

「でも、たりなくてよかった」(KADOKAWA)安島隆

 

「昭和50年代東京日記」(平凡社)泉麻人

泉麻人という人も「想い出上手」な方である。「オレたちひょうきん族」の話を書き出し「タケちゃんマン」について───。タケちゃんマンは「TOKIO」の衣装がネタモトとありブラックデビルにふれ泉は書く。
『この番組、ぼくは2、3年おくれの再放送で親しんだ世代だが、ひょうきん族の作家は高平哲郎や高田文夫ら、こういう仮面やタイツ型のヒーロー番組にどっぷり浸った団塊の世代が中核だったから、おそらく会議の雑談なんかから盛り上がったネタなのだろう。世田谷育ちの高田さんは、近所で「少年ジェット」のロケを眺めた話をよくされていた……。』と書いている。
砧撮影所が近くにあったので私の家の前でよく「少年ジェット」の撮影をしていた。昼休みになるとジェットとブラックデビルが仲良く昼メシを食べているので、とても不思議だった。いま攻撃すればいいのに!

 

「校閲至極」(毎日新聞出版)
ものかきの生命線。

 

「昭和の商店街遺跡、撮り倒した590箇所」(303BOOKS)山本有

 

2023年10月9日

 

高田文夫

 

 

 

 

 

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。