高田文夫のおもひでコロコロ

2023.07.03

第65回『後期高齢者』

ジャニーズだ、猿之助だ、キャンドルだと次々と色んな事が起きるので この「おもひでコロコロ」も追いつかない。
松本明子が「うちに こんな写真ありました。おぼんこぼんの次は この2組。こんないい時代もあったんですねえ。資料としてどうぞ」だと。30年近く前の写真か。Take2と浅草キッドである。

左から深沢(Take2)東MAXの母(早い話 東八郎夫人)東MAX。深沢も とうとう田中美佐子にすてられちゃったものなあ。あの離婚発表の次の日の仕事が恒例、東と交互の「熱海五郎一座」前説。今年は「とにかく明るい安村」でと決まっていたので裸で出ていって「すべて失いました。安心してください。はいてますよ」でドッカーン。東MAX曰く「深沢サンがあんなにうけてるの見た事ない」
右の写真は浅草キッド。このコンビの共演も この節 見ない。私もそうだが ただの町の兄(あん)ちゃん達だな。「ビバリー」スタート当時なんて私も40代だから こんなもんである。
イベントとしての「スナック玉ちゃん」が3年半ぶりに開かれた。いい大人が沢山集まって土曜の昼12時から陽気に酒を飲みカラオケを歌う ひたすら下らないイベント。6月24日 この日は玉のバースデーという集まり。渋谷の新しいビルの1Fに居たら数人から「アッ センセー 12時からの愛のこむらがえりですか。磯山さん12時に舞台あいさつですよ」だと。玉のイベントが6Fで磯山さやかの舞台あいさつが8F。まったく同じ時間。同じビル。こんな事ってあるんだネ。「センセー、こむらがえってます?」うるせーつーの。MC玉、朝から飲んでいるらしく いきなり酔っ払って登場。たまったストレスをひたすら吐き出す。その毒に爆笑。

6月25日は私の誕生日。その前後は色んな人が来る。「ビバリー」にはプレゼントを持って必ずホリケン(ネプチューン堀内健)が来てくれる。ぶっとびすぎる芸風とはウラハラに とっても常識人、いい奴。下北沢で何年もの間 出川哲朗とやっていた演劇、内容が分らなすぎて余計応援していたのだが数年前ナベプロの吉田会長から「もうそろそろ よした方が」と言われ 私も吉田会長から「変に応援しないで下さい」と止められた。クッ!!吉田の奴 その昔は「ひょうきん族」のADで いつもオレの所に「タケちゃんマン」の台本をとりに来ていたのに。時と共に立場も変る。時代も変れば立場も変る。変らないのは吉野家の味とオレのギャラだけ。今年ホリケンが持ってきたのはレースでフリフリのパンツ?パンティ?「ワコール フォー メン」とあったから男性用なのだろうが穿く勇気が。いくらフォー メンとあっても。なんだか穿くたびにムラムラしてきそうである。弱ったなァと思ったら ひらめいた。無駄にするのはもったいないしホリケンにも申し訳ない。「あの男なら喜んでつけるだろう」と思いタブレット純の所へ送ったら すぐに嬉しそうに写真をくれた。

 

ワコールを広げるタブレット純である。
私の心の中には いつも三ツの純が居る。

タブレット純
キャンドル・ジュン
みうら じゅん

である。

 

 

 

 

 

 

 

マシンガンズが私の番組に遅刻して来ておわびの印と「キャンドル・ジュン」の立派なキャンドルを持ってきた。いつも私と出掛ける わたなべP(テレビマンユニオンのP)の息子(私の名から文の字をつけた子)、小学生がやって来て 袋を差し出し「浮気したシェフの店で出してるドレッシングです」とプレゼントをくれた。きっと親に仕込まれた台詞だろう。そして「キャンドルはお持ちだと聞いたので」には爆笑。家へ帰ると孫たちが来ていて「ケーキ持ってきた。火つけて」大きなキャンドル灯すと子供達大喜び。なのに広末は・・・。

そして      
6月25日は私の75歳の誕生日。我ながら凄すぎる。75までこんなに働くとは    。だが、あの人はもっと凄い。永遠のジュリー。私と「芸能界のザ・タッチ」とまで呼ばれている同じ年月日の誕生日。双児説すらある。待ちに待った さいたまスーパーアリーナでのバースデイライブである。WOWOWの生中継を見たけど感動的だったネ。胸にジーンとくるものがあった。ジュリーは叫んだ。「今日から後期高齢者です。保険証だけは残してほしい」まったくだ。エッ オレも後期・・・・・・。タイガースのメンバーも集結(トッポは居ない)。「音楽劇」の時の共演者達を呼んで「河内音頭」まで披露。

 

 

左は私のファンの方が送ってくれた
記念の手ぬぐい。

よく見ると「沢田研二」の文字やら
「バースデイ」の文字が。

紋の中も よく見ると名前が入っている。

 

 

 

 

 

 

 

狂おしい程の取材量と沢田愛で書かれた「ジュリーがいた 沢田研二 56年の光芒」(島崎今日子・文芸春秋)。筆の熱量がすごい。

<追伸>
名作「サンクチュアリ ~聖域~」のクリアファイル。なかなかマニアックだろ。近頃バラエティに主演の一ノ瀬ワタルがよく出るようになったネ。

 

左端、Tシャツに竹刀がピエール親方。

味が出すぎていたネ。

 

 

 

 

 

 

 

Netflix、今はひたすらクドカンと大石静共同脚本の「離婚しようよ」を見ている。才能にレフト前嫉妬だ。

<追・追伸>
談春から「一度お食事でも」と連絡。あんな少年だった男から御馳走になる日がくるとは嬉しくて感きわまる。長生きはしてみるもんだ。たしか談志の所へ入ってきたのが84年だから かれこれ40年近くになる。
談春いきつけの銀座の寿司屋。私と野末陳平(92になる)そしてこの二人の介護名目で志ららが談春夫妻の招待を受ける。40年も前に毎年我が家の新年会に集まっていた談春・志らく・浅草キッド・松村邦洋・江頭2:50・昇太・たい平・ウド鈴木他多数。毎年朝まで大さわぎ。酒、メシ、そしてお年玉を配り     誰ひとり世に名前が出ていなかった。この集まりが のちに「関東高田組」となり関西勢の東京進出を迎え討った。いわば“お笑い新選組”みたいな。92歳の陳平先生が行くというのでお寿司屋さんも気をつかってくれて3時半からすぐ何でも注文できるよう準備をしてくれた。談春には明治座の「三人の会」でも世話になったし今は大河ドラマにも出演中である。
「初めて談志についた日。初日ですよ、ついていったら いきなり俳優座の“らくご IN 六本木”の収録で高田センセーが居てフジTVの佐藤さん。談志がいきなり横沢Pつかまえて怒鳴ってるんですよ。えらい所に来ちゃったなと思いましたよ。この芸界に入った初日にセンセーとこの小僧が会ってるんですから・・・・。報道見たら俳優座も2025年には閉まるんですって?私思い入れがあるんですよ 何か俳優座で会できませんか?」談春版「だが情熱は   ありすぎる」だ。若き日 談志が「いいのが入ってきたから このふたり高田に預けるから 外の空気を色々すわせてやれ。色んな事を見せてやってくれ」と言われ 小僧のような談春と志らくは私にまとわりついた。
仕事が終わって毎晩夜飲みに行く段になると二人は談志の元から私の処へ「水割りつくり用員」として飛んできた。「どんな飲み屋でも銀座の高級クラブでも どこでもみんなその場でキャッシュ。財布持たなくてポケットからガサッと万札。いつもびっくりでしたよ」としみじみ。東京人の身ぎれいさを見せていたのだ。様々昔話をし談春のディテールの細かい想い出話に胸もいっぱい。まさかこうして御馳走になる日がくるとは・・・・元気に働いてて良かった。陳平先生がことのほか嬉しそうだった。孝行である。

 

2023年7月3日

高田文夫 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。