高田文夫のおもひでコロコロ

2023.04.03

第59回『立川流三人の会』

大熱気、大興奮、大爆笑。あの浜町明治座が揺れに揺れた3月29日。無事「第三回 立川流三人の会」がひらかれました。昼の部も夜の部も超が三つ付く大入り。前売り即完して仕方なく立見まで入れ「当日券わずかにあり」としたら朝からズラリ並んじゃった。舞台上から あれだけの数のみんなの笑顔をみると「あゝコロナは終ったな」と感じジーン。まさに大衆芸術でありました。大衆に見られてこその芸なのです。WBCが14年ぶり。こちらはなんと15年ぶりです。談志がまだヒョコヒョコ根津あたりを歩いている頃です。客と談志が喜べばいいやと企画した会ですが、いざ当日となれば一番喜んでいるのはこの三人でした。仲が悪すぎる三人が口をきくのは15年ぶり。この場を作ってあげて良かったなとしみじみ。横で一人でガンバッた志ららもホッとし嬉しそうです。チラシにも小さく「雑務一切 志らら」と入れておきましたから。(そりゃもう大変でした)昼夜終って幕が閉まったあとの四人です。写真を撮る志ららの手もふるえてるのでボヤけております。

 

あれ程の興奮は なかなか味わえるものではありません。すぐに私の元へ問い合わせが殺到し「次はいつですか」「来年あたり一か月公演というのはどうですか」など言い出す人も。「まあ難しいネ」というのが私の感想。これだけのスターを集めたので私をクリヤマ監督と呼ぶ人も。「立川ジャパン」としては次はやっぱりWBCと同じ3年後。場所もやっぱり「東京ドーム」か。「マイアミ」でという手もあるけどネ。(喫茶店の方ですよ勿論)
出番前私は三人を集めこう言いました。「談志を・・・もう憧れるのはやめましょう。倒しに行くのです」すると横で志らくが「もう とっくに倒れてるけどネ」だと。まあ又いつかやりましょう。あれ程三人と私がからむシーンを皆なが熱望しているなら。まぁ私がくたばる直前にでも にぎやかに集ってくれれば・・・。 

この会の特色、ドキドキ感は ひとつ仕掛けがあってオープニングで三人でジャンケンをやらせる事です。ネタ出しもせず舞台で初めて出番の順が決められるのです。御存知の通り「落語」というのはネタのジャンルすら かぶってはいけないのです。前の人が「酒の噺」をしたら「酒」が出てくる噺はできません。一体どうなるのか。いい大人が必死の形相でジャンケンをする姿がおかしくユーモラスです。常に予定調和を許さない高田イズムが ここにあります。「たけし10年、ビバリー35年 計45年」という生放送体質が私にはあります。瞬時の対応力です。ハプニング、ドキュメントが一番面白いのです。入手困難なチケットを手に入れ客席には息を殺してナベプロ吉田会長やらフジTV港社長(ふたり共 若き日 私の番組のADでした)、徳光和夫、嘉門タツオ、山田雅人、中川家(弟)、野末陳平ら たくさんの姿が。ジャンケンポーン。持ち時間は30分。30分。トリは45分。誰だってここでトリはとりたくありません。

なんと奇跡のように当時のチラシが出てきました。

2005年11月1日 新宿紀伊國屋ホール
談春 「白井権八(鈴が森)」
志らく「お直し」
   仲入り   
志の輔「抜け雀」
(この後 客席で見ていた談志、歓喜で上がってくる。「タカダ、素敵な会をありがとう」と握手。)

2008年9月29日 紀伊國屋サザンシアター
志の輔「忠臣ぐらっ」
志らく「源平盛衰記」
   仲入り   
談春 「妾馬」

2023年3月29日 明治座(昼・夜)
昼の部
志の輔「親の顔」
志らく「親子酒」
   仲入り   
談春 「文七元結」
夜の部
談春 「宮戸川」
志の輔「緑の窓口」
   仲入り   
志らく「文七元結」

夜の部ジャンケンで一番負けた志らくの負けず嫌いが楽しかった。「昼 談春兄(あに)さんが文七やったから私も文七やりますよ」に拍手カッサイ。一日で同じネタのきき比べという ぜいたくな楽しみもプラスさせてくれた。1500人×2⇒3000人の人が感動し、笑い、涙し、そして談志が最後に唱えた「江戸の風」が少し吹いた。この11月には談志も13回忌である。

私の心の中の「供養」シリーズ。無事「談志」が終って次の「右朝の会」ですが(前回ここに書かせて頂きました)前売りと共に即完しました。右朝の23回忌です。5月8日 北沢タウンホール 私とオール日芸で志らく、一之輔、わさび です。

その人のことを想い出したり喋ったりしている限り その人はまだ生きていると永六輔に私は教わりました。誰も想い出さなくなった時、その時 人は本当に死ぬ。いつまでも語られる人間になりたいものです。

 

2023年4月3日
高田文夫  

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。