高田文夫のおもひでコロコロ

2021.10.19

第11回『おもひでの私物化』

「再生数がいくつ」とか「視聴率が何パーセント」「第3刷まで行きました」など反応がいまいち数字で出ないこのブログですが、業界的な反応は相当あるらしい。様々世話を焼いてくれるニッポン放送の石Dは「いやぁ この前びっくりしましたよ。いつも行くラーメン屋のおやじが僕を見るなり”読んでますよ ブログ”って言ったんです」「でかした!で誰のヤツを読んでたんだ?」と喰い気味にきくと「さぁ」だと。オレのじゃないのか。そんなこんなの毎日です。古い事、古い台本なぞ載せるとテレビラジオ界、雑誌界、いわゆる業界の連中は大喜びでリアクションもくれるのですが”古きをたずねて新しきを知る”が今週の目標の私です。座右の銘が”温故知新・篠山紀信”です。妻はシンシアです。

古い話ばかりではいけません。私は常に「今」と伴走しているのです。古いことが半分、今のことが半分、しゃべる”今半”です。時代のペースメーカーであり胸にもペース・・・あゝ、あの時は大変だった。くやしかったら心臓の一つでも止めてみろって話だ。たしか「人生を私物化しろ」と言ったのは立川談志ではなかったか。私はこのブログ連載で「自分のおもひでをすべて私物化しよう」と思う。そしてユーモア(ヒューマンから来た言葉だ。故に人間にしか持てない特性)を武器に明るめに生きていこう、生きてきたと思う。笑っていれば何とかなる。私はこの言葉を毎日反すうしながら生きている。

”人生は 五分(ごぶ)の真面目に

  二分侠気(きょうき) 残り三分は茶目(ちゃめ)に暮せよ”

素敵な江戸っ子の人生訓じゃありませんか。なかなか相田みつをでは書けないフレーズです。「侠気」とは”おとこぎ”である。目上を敬い 弱きを助ける心持ち。「茶目」はユーモアとか茶目っ気、滑稽じみた いたずらをすることなど。茶目に生きるにも 心に余裕がないとな・・・。

そこで第11回ともなる今回は   (もうすぐ13回のワンクールだ)。職業柄か、つい13とか26のツークールとか数字に敏感になる。「ゴルゴ13」は関係ない。今出たばかりの本で 私が関わってきた人たちの最新刊でおすすめのものばかりを一気に紹介していきたい。すべての本に私は関わり私物化したおもひでが山盛りです。私の美しい(?)おもひでの中に深く深く浸透した事柄のあれこれです。

 

やっと本屋に並んだ最新作。「藝人春秋Diary」(水道橋博士・スモール出版)。つべこべ言わず読む。550頁以上ある大作。せめて私が書きおろした帯だけでも写しておこう。それで内容は分かるはず。

『虚と実。正と邪。表と裏。自由に行き来できる笑いのワクチンパスを持つ男。博士の芸人探求の文の魂には際限も門限もない。 高田文夫』

どうです?グッとハートをつかんだでしょ。60作ある芸人論(勿論 私の章もある)に あの江口寿史のイラストが。一番最後はなぜか博士の娘の可愛いイラスト。名前は文(ふみ)ちゃん。そう。博士は長男に師匠のたけしから付けて「武」、女の子が生まれて私の名から「文」(その下の男の子が「士」あきら)。これで「文武両道だ」と悦に入っている。この本を読んで 私のこのブログを読むと より面白くなると思う。

「森田芳光全映画」(宇多丸・三沢和子編・著 リトルモア)。10年前に亡くなった「高田文夫の一番弟子だ」と名乗っていた鬼才のすべて。三沢とあるのは森田夫人であり全作品のプロデューサー。全作品が分るし ありとあらゆる人が森田を書き、語っている。これ程までに愛されている渋谷っ子の映画監督は珍。ちなみに私の”初心者”の為に書いておくと 私の日芸の落研で一年後輩が森田。故にデビュー作が「の・ようなもの」。これも550頁を越える超巨篇。私は勿論 太田光が、宮藤官九郎が、大根仁が、鈴木京香が・・・なにしろ皆が書いている。愛情があふれすぎてる1冊。

「深作欣二」(春日太一責任編集・KAWADEムック)。「仁義なき戦い」「蒲田行進曲」のことなど春日に頼まれたので書いた。深作監督も日芸で私の大先輩。

なにしろ とんでもない人だよ。深夜まで作業が及ぶから「深作」って言うらしい。

森田芳光と同じ2011年に亡くなったのが 我らが家元・立川談志。考えてみれば昭和から平成の名人と私が認める師匠達はきりも良く10年毎に亡くなっている。01年 古今亭志ん朝、11年 立川談志 そして先日・・・21年柳家小三治(人間国宝)である。こうなると31年は誰が死ぬのかと予想もしたくなるが・・・周りを見渡してみたら31年は誰も死なない事だけが分かった。

談志没後10年、本もさまざま出版されるが 私が文庫本に解説を書いた本が「酔人・田辺茂一伝」(立川談志・中公文庫)。田辺とは新宿の紀伊國屋書店の社長だった人。若い頃から談志を買って可愛がり スポンサーのようなもの。できたての紀伊國屋ホールで「談志ひとり会」をやらせた。それを毎回見ていた学生が私。紀伊国屋こそが「山の手文化」発祥の地であった。後年 私もここで10年間「高田文夫VS立川藤志楼 ひとり時間差落語会」(山藤章二企画)を開催し「落語”冬”の時代」に ひとり気を吐いた。80年代から90年代「落語」が雑誌新聞などマスコミでとりあげられるのは「横丁の若様・小朝」か「新作の夜明け・円丈」か「作家と噺・二刀流の藤志楼」。この3人だけだった。本当の話。今を時めく昇太も喬太郎も談春も志らくも・・・みーんなこの3人だけに憧れて落語界に入ってきた。誰も言えない、書けないから私が言っておくがこの3人の功績たるや落語史においてとんでもないのである。これだけ言っときゃバカな評論家も少しは分かるだろう。「バカは隣の火事より怖い」である。私のたってのお願いからクドカンが「タイガー&ドラゴン」を作ったのが05年。小朝の「六人の会」もこの年。ここから「落語ブーム」なるものが来て寄席に客が入るようになったのである。

「談志のはなし」(立川キウイ・新潮新書)なんたってキウイは前座16年半やって ずっと談志のそばに居たんだから凄いし、あきれる。理屈っぽい談志論のつまらない本より 一番近くで見てきたからエピソードがなにしろ面白い。ドキュメントの面白さだ。談志という人は又、面白いことを言うんだ。

「面白い生活をしてない奴に 面白い話はできない」

「売れてない奴は 売れてる人間の苦労が分らない」

「小言は 己の不快感の解消である」

「弟子はみんな馬鹿」

ブラボー ダンシ!である。この本の中でも私が躍動しております。読んでやってください。

 

2021年10月19日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。