高田文夫のおもひでコロコロ

2021.10.28

第12回『渋谷と告知』

26日ヤクルト・セリーグ優勝。高津監督は叫ぶ。「絶対大丈夫」。私、高田監督は若手に叫ぶ。「接待大丈夫?」たまにはゴチでもしてみろ、このッ。眞子さまも記者会見が済んで、長嶋氏には”文化勲章”。渋谷駅も無事JR駅が拡張、どんどん迷宮化されてゆく渋谷。昭和23年私が生まれた頃の渋谷なんて のどかなものでした。戦後この地にヤクザが入って来ないよう身体を張った「愚連隊」が安藤組です。ほとんどが大学生でした。中でも最強の男が あの花形敬です。変りゆく渋谷の街を見ながら1冊の本を求めました。「安藤昇と花形敬」(向谷匡史・青志社)帯には「血と暴力 THE SHIBUYA WAR」とあります。あゝ野暮用が山積でなかなか本を開く時間がない。読みたい。私が少年時代ワシントンハイツに住んでいたジャニー喜多川が少年野球チームを作りました(これが後に歌って踊るジャニーズになる。あおい輝彦らが居ます)。ここと試合をしていたのが我が「少年シャークス」です。渋谷から世田谷の子は よく試合をしていました。僕らが練習をしているとフラリ現れ「ホラッ ノック行くぞ」と打ってくれるのが花形のお兄ちゃんでした。僕は花形のお兄ちゃんが打ってくれるセカンドゴロを華麗にさばいていました。その頃の巨人はサード長嶋、ショート広岡。セカンドは”むっつり右門”とあだ名された地味な土屋選手です。心の中では長嶋・広岡に憧れていたのに・・・ポジションは土屋です。ナイツにも土屋というポジションがあるが名は体を表すとやらでみんな地味です。私が生涯で一番誇れることと言ったら花形敬のノックを受けていたという事でしょうか。花形は渋谷・世田谷の大地主の息子です。「坊ちゃん」でありました。我がチームは”ジャニーズ”と2戦して2敗です。試合が雨で中止になったことがありました。ジャニー氏は4~5人を連れて話題の映画「ウエストサイド物語」を観ました。この時にひらめきました「野球なんてやってる場合じゃない。これからは男の子も歌って踊る時代だ」。この1年後にはあの時の選手たちがブラウン管の中で「ジャニーズ」と名乗り歌って踊ってました。4人組はアッという間に大人気。あの雨の日私は仲間をさそって渋谷の二番館で「社長漫遊記」を観ていました。「やっぱ森繫は最高だな」「のり平面白くて死にそうだよキャッキャッ」きっとここで人生が二つに別れたんでしょう。片や「ウエストサイド」でジャニーズ。片や「社長漫遊記」でお笑い作家。変貌を続ける渋谷を見ながら ふとそんなことも思いました。「ハチ公」ばかりでない渋谷。私の母は若き日いつもハチ公にエサをやってましたけど  「あのバカハチが」が口ぐせでした。エサをやる写真が何枚かあります。私の渋谷は「花形」「ジャニー」「東急文化会館」です。ここの地下で「大正テレビ寄席」の収録をしていたのです。渋谷は円山町生まれで よく「オレは高田文夫の一番弟子」と口にしていた森田芳光監督のデビュー作「の・ようなもの」が単館で封切られたのもここです。先日ラブホテル街と化した円山町のユーロスペースで記念上映会(本が出たので)。トークは私と主演の伊藤克信と森田夫人(全作品のプロデューサー)三沢和子。控室の窓を開け 私に「先輩、先輩。あそこの連れ込みあるでしょ。あそこが昔の森田の実家」。花街で その昔はたいそうな賑わい。森田の家は料理屋のようなもの。いつも芸者衆に囲まれて育った。その場所で私のトークとは いい供養になったと思う。没10年である。三沢が「先輩は渋谷の何処なの?」ときくから「高級住宅地、富ヶ谷。円山町とは訳が違うよ」「どうりで どっか品があると思った」だとさ。<富ヶ谷というのは 今は「奥渋(おくしぶ)」などと呼ばれ静かなブーム。NHKの奥。私が生まれ 井上順が生まれ 大作家・平岩弓枝の家があった。確か前の総理 安倍氏が今住んでるんじゃないかな。>

時短も解除したせいか、ついつい筆がすべっていってしまった。今回は21年、色々嫌なことも多かったので せめて12月の「師走」は笑って年越しをという訳で笑える告知を。「漫才界」「落語界」田中理事長とともに「日大界」と様々あやしく首もつっこんでますので下記のお知らせ。

 

漫才協会外部理事就任企画とあります。私がつけたサブタイトルが「漫才師の漫才史」。前半一気にU字工事、ビッグボーイズ、ロケット団、青空球児好児、ナイツと漫才を見て頂いて後半は私とナイツのトーク。そこへ昭和こいる、球児好児をお招きして東京の漫才のあれやこれやを大爆笑の内に    という会です。12月1日(水)浅草東洋館 19時より。前売りは11月3日からです。

「第4回オール日芸寄席 おっと天下の日大事」渦中の日大であります。果たして私のオファーで田中理事長は来るのか。太田光の判決も前日です。風雲急の江古田村。出演はレギュラーで私、志らく、白鳥、一之輔。前回は宮藤官九郎が登場したゲスト枠 今回は片玉で裁判を見守る爆笑問題・田中裕二です。太田は乱入するのか、はたまた来春の会か。12月25日(土)13時より有楽町よみうりホール。10月29日前売り開始。

 

2021年10月29日

高田文夫

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。