高田文夫のおもひでコロコロ

2021.08.16

第2回『ワタシの趣味』

コロコロと思いつくまま話題もネタも変わるので「おもひでコロコロ」。順調なペースで早くも第2回を迎えました。「ラジオビバリー昼ズ」も89年4月スタートですから33年目ということになりますか?コロナの影響などもあるのでしょう、近頃ラジオをきき出したという大人も子供も婦女子も犬猫も多いようです。中には「誰?この昼間っからバカみたいな事しか言わない人」なんて方も居ます。居てもいいんです。そんな方達の為にもラジオではいちいち説明しない私の奥深さ、シャイすぎる生き方、スマートな東京人ぶり、十分すぎるキャリア、少なすぎる賞賛をここに書きつづって参ります。前回私をとり巻く人々をチラリ書きましたが御存知の通り「ビートたけし」は今や「世界の北野」です。「景山民夫」は「直木賞作家」にもなりました。「立川談志」は「立川流家元」にして「元・国会議員」です。その点、私の受賞歴といえば「みうらじゅん賞」だけです。他にビートたけしの”東スポ映画祭”で「カムバック賞」というのをもらっただけです。清原和博と私が各々の業界で”無冠の帝王”と呼ばれる所以です。

さあそこで今回は何をとりあげるか。

20代30代は放送の大法ばかりを書いてまいりました。そこから雑誌・新聞の連載やら出版で<テレビ・ラジオ>のこと<笑い><落語>のことなどを中心にこのペンを走らせて参りました。本業の出版の方は追い追い取りあげるとしまして、只今は夏休みでもありますので意外な私の趣味。それが高じてとうとう本まで出してしまったおっちょこちょいな作品群を紹介します。なつかしく想い出す人は数少ないと思いますが、いいのです。私の”おもひで”なのですから。

大瀧詠一を見習いきちんと自分の作品を整理し管理する、みうらじゅんのように無意味なものをズラズラっとさらけ出し並び立てるのです。それこそが大衆芸術家です(本当か?)。”知の館”大宅文庫に対抗して私が建立した”痴呆の館”「高田文庫」から見つけ出してきた趣味の部門は

①さんぽ(with松村邦洋ら)②俳句(with山藤章二ら)③アート(with立川談志・志の輔ら)④スポーツ新聞 ⑤プロレス(with浅草キッドら)⑥海外旅行(withビートたけし)

”趣味”と気取って書いたけど、こうしてならべるとやっぱりおじさん暮しだな。おじさんの日常。嘘でも「サーフィン」とか「スケボー」とか「盗撮」とか書くべきだったかな。金メダルをかじる趣味はないから安心してください。こう書いている内にまだ「プロ野球」「ヤクザ映画」「歌謡曲」に関する本を出していない事に気がついた。チャンスがあれば・・・・。さあそこで我が愛しの出版群・・・神保町の古書街でもなかなか見つからない迷い子本たちです。

 

『高田文夫と松村邦洋の東京右側”笑芸”さんぽ』(講談社・17年11月)

私が2012年3月に8時間心肺停止で倒れ、3か月間ICUで意識不明。超奇跡のカムバックをした時、私の体を気づかってくれた心優しい連中で「いち・にの・さんぽ会」を結成。今も5人で集まっては江戸を歩く趣味の会。私は渋谷で生まれ世田谷に育ち西新宿で若き日は仕事に通い今は30年近く麹町という”超山の手人間”なので東京の右側(下町)を本当はあまりよく知らない。「散歩の達人」(連載もしている)リーダーの高野クンが毎回オツなコースを考えてくれるから楽しみ。

 

『駄句だくさん』(山藤章二 駄句駄句会編。講談社 13年3月)

イラストレーター山藤章二を宗匠に駄目な俳句ばかりを作ろうと平成初期に集り30年ほど続きほとんど死んじゃったので解散した句会。メンバーは故・玉置宏、故・横澤彪、野末陳平、松尾貴史、故・立川左談次、林家たい平ら。私の俳号は”ふみお”だから「風眠」ムーミンみたいで可愛くていいでしょ。沢山の句が載っているが私のアートな作品を少々紹介します。

”風俗の姉より高い鯉のぼり”

”稲妻は雷鳴のない音楽界”

”老いた蜘蛛赤く倒れてクモマッカ”

”本州に球春四国北海道”

”有線が流れる店の冬の蠅”

こんなにいい句や駄句がいっぱい載っている。趣味としちゃ まぁボチボチだな。「プレバト」を先取りしすぎた趣味。

 

『やなか高田堂』(小学館 96年3月)

 

元をただせば私だって芸術学部。アートな心だって持ってます。気ごころの知れた人たちに声を掛け各々自由に芸術作品を作ってもらいました。90年代中頃から毎年春、上野の谷中霊園の桜もみごろの頃1か月間友人のギャラリーを借り「高田堂」を開催。5年以上やったかな・・・・。週末は私も居るとききつけ毎土曜日日曜日は夕方から談志やらたけしやら江頭2:50古舘伊知郎やらなぎら健壱やら皆集り今では考えられない密な宴会の日々。誰ひとりマスクをしていなかったっけ。本は3冊出ている。芸人たちの力作を楽しめる。いま私の番組を担当しているスタッフも私の編集者も皆な若いから私がこんな事までしていたという事も知らないと思うのでこういう機会があって良かったと思う。最近ラジオを聞きだした人もこれを読んでビックリマンシールでしょ。

 

『いけるね!スポーツ新聞大賞』(毎日新聞社 93年9月)

上は東スポから下は日刊スポーツまで私はありとあらゆるスポーツ紙を読んでいる。これ1冊で92年93年のスポーツ芸能界まるわかり。そう「貴りえ結婚か」なんて時代です。私は学生時代から「スポーツ新聞」だけ読んで呑んで暮すような”高等遊民”に憧れた。まさに”高等フーミン”になりたかったのかもしれないが・・・・。出版元が毎日新聞というのもジャーナリストとして信頼されていた証拠でしょう。

 

『プロレス激闘ハンドブック』(KKベストセラーズ 91年12月)

ワニ文庫からこんな本まで出してる芸の幅の広さ。表紙は大仁田厚に締めあげられる私だ。イラストは最近みかけない高橋春男(高田文夫杯争奪「お笑いゴールドラッシュ」の審査員もつきあってくれた)。プロレスに関してはターザン山本よりも見た目で判断する山下達郎だ。勿論力道山の時代からリングアナを務めていたし吉村道明、豊登なんて連中は私が道場でしごいた。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、マンモス鈴木なんて若い者が入って来た時は楽しかったなあ。「なんだ バカヤロ~ッ」

 

『海の向こうで笑いたい』(情報センター出版局 97年6月)

こうして整理してみてくると私の趣味もなかなか豊かだ。「ヨット」「ボルダリング」「ひとりキャンプ」等の事は口外して来なかったが兼高かおる並の海外通ぶりは皆さんしらなかったようですネ。89年に帯でラジオが始まったので長期海外旅行というのは一切できなくなったがラジオスタートの40歳までは世界を駆けめぐったものです。今では「世界の北野」などと呼ばれ海外馴れしているようにも思われますが初めて彼のパスポートを作る為北野氏の手をひき有楽町の交通会館へ行ったのはつい昨日のようです。私が人生初のパスポートを取ってあげたのです。初の二人旅が「台湾」。以来「フィリピン・セブ島」「ハワイ」「ニューヨーク」「スペイン」と色々行きました。そんな話も追い追い書けたらと思います。この本は「海外旅行」のしくじり話を集めたもの。元気だった頃のパンチョ伊東も私相手に大いにしゃべっています。パンチョ節、炸裂。

 

21年8月16日

高田文夫

<追伸>

余談ですが聞くなら「ラジオビバリー昼ズ」、大好評連載中は「週刊ポスト」で「笑刊ポスト」。「月刊Hanada」で「月刊TAKADA」。あきれる程面白く執筆中。そちらもよろしく。

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。