高田文夫のおもひでコロコロ

2021.08.12

第1回『ニッポン放送とワタシ』

と~とつ。だしぬけに始まりました『高田文夫のおもひでコロコロ ~バウバウ昼ズ篇~』。五輪も終り気が付くと73歳、業界的にも人一倍、経験という名の知識と知性を持ち合せ、認知と実力まであわせ持つ私なので、忘れない内にさまざまメモり記憶しておこうと思い付きこうして始めた次第。自分で記しておかないと誰一人整理してくれないゴミのような過去と栄光。スケボーが「13歳 真夏の大冒険」なら私は「73歳 真夏の大冒険」だ。まだまだ若い者には負けられない負けず嫌い。否、勝たず嫌いなのだ。

追い追い業界50年の面白噺は書いていくとして第1回の今回はどうするか。

今さら略歴書いたり「好きな食べ物」など書いても仕方がないので…(あゝ、ギャラが派生しない原稿は筆が進まないな)。ダラダラとつづく限り書いていこうと思いますが、月に2~3回だなと思って頂ければ読む方も楽でしょ(読む人の身になって考えるという体に沁み込んだサービス業精神)。・・・まずはニッポン放送(AM1242 FM93.0)と私の関わりから。

大学を出て71年から丸10年放送作家稼業。テレビの台本を1日5本から6本は毎日書いていて10年間で睡眠時間はトータル8時間くらい。JOLFとは81年元日スタート「ビートたけしのオールナイトニッポン」にて構成兼バウバウの名手として担当。熱狂的支持を得る。約10年間OA(その間TVでは「ひょうきん族」なども書いている)。その人気に乗じて放送作家仲間の景山民夫と84年~86年「民夫くんと文夫くん」。景山があまりにも放送禁止男なので87年10月からのナイターオフ半年間、88年10月からのナイターオフ「一人でやって下さい」というLFからのたっての希望で「巨匠・高田文夫のラジオで行こう!」。そしてお待たせしました。マシンガントークに火がついて89年4月から「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」スタートとなったわけです。あの頃、平日の昼間にラジオを聴いている人なぞ居ませんでした。余談ですがこの枠、直前まで円蔵、山瀬まみのコンビが喋っていました。

映像資料として番組から発生した人気本を紹介しておきます”高田文庫”提供です。

①「ビートたけしの三国一の幸せ者」(サンケイ出版 81年7月)

とんでもなく売れたのでシリーズ化され計10冊プラス合併1冊となった。この印税でたけしと高田は遊びまくり少し頭がおかしくなった。

②「民夫くんと文夫くんのオレたち天才! めちゃぶつけ」(扶桑社 84年10月)

そこそこ衝撃を与えたので文庫化される。それが・・・

③「民夫くんと文夫くん あのころ君はバカだった」(角川書店 91年5月)

タイトルにも使われたように景山民夫と私は相当バカだったんだと思う。かなりの数が増刷される。文庫版解説は立川談志。亡くなるまで師匠は「オレの最高の文章は民夫と文夫のヤツだ」と言っていた。爆笑名文。思えば談志も景山ももう居ないんだもんな。

④「高田文夫のラジオビバリー昼ズ そんなこんなで20年」(白夜書房 08年7月)

私の秘蔵音源CDまでついている力作。この出版からもう13年もたつ。誰からもそんなこんなで30年・35年の声が上がらない。

 

てな訳で駆け足に競歩で書き上げた第1回、大体私の事が今さらながらわかってきたでしょうか。いよいよ次回からはコロコロ思いつくおもひでをよりコアによりアカデミックによりどうでもよく書いて行きますので期待なぞしないで待ってて下さい。知らない人が居たら「高田がこんな事を始めたよ」と教えてあげて下さい。「フーン」って言われますから。

 

21年8月12日

高田文夫

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    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。