• 2015年05月20日

    橋下氏が変えられなかったもの、変えたもの

     橋下大阪市長は満面の笑みで会見に登場しました。会見場に集まった100人を超える報道人は皆、落胆した橋下氏の表情を撮ろうと注目し、出てきたときには「出た出た出た!」という大声まで出たほどその表情が注目されていたんですが、意外な笑顔。スチールカメラのシャッター音が鳴り響く中、一瞬拍子抜けしたように空気が緩んだのが、取材をしていて印象的でした。

    都構想否決後会見.jpg

     日本中が注目した大阪都構想の是非をめぐる住民投票、結果はご存知の通り、橋下市長の表情とは裏腹の「否決」という結末でした。原因について橋下氏は会見で、
    「間違っていたんでしょうね」「説明が足りなかった」
    と繰り返すのみでしたが、一方で再登板について聞かれたときにこんなことも言っています。
    「僕はワンポイントリリーフで、実務家。政治家っていうのは、嫌われては駄目。好かれる人がしないといけない。敵を作る政治家はワンポイントリリーフで、要らなくなれば交代。求められた時に求められ、要らなくなったら使い捨てにされる。」

    『橋下代表会見の要旨...「逆にたたきつぶされた」』(5月18日 読売新聞)http://goo.gl/2aL1f5

     さらに会見の中ではこんな発言もありました。
    「8年前、大阪府知事選に出たときは政権交代の時期。あの時期は国民の皆さんが変化を求めていた時期。そのたいみんぐでしょ、変化に向かって踏み出すのは。あのはと、民主党政権がああいう形になって、で安倍政権が安定した政治をやってですね。大阪府政・大阪市政も不平不満を抑えることになった。そういった政治状況の中で、大阪都構想のような強烈な変革を求める提案はなかなか多くの市民には受け入れられなかったのかなと」

     確かに、橋下市長の歩みというものは国民の変革への熱、このままではいけないという既存政党への倦みや疲れを追い風に前進してきた感があります。そうした後押しを市長は「ふわっとした民意」と表現しました。橋下氏が大阪府知事に当選した政権交代前夜、そして政権交代の後には堺市長選、府知事・市長のダブル選挙...。世の中がデフレにあえぎ、自民党政権に期待できずに政権交代したものの、ドラスティックな変革の副作用が国民自身に降りかかってきたという時期を経て、時代は第2次安倍政権へ。政権運営の安定感を見て、社会の空気が変わりました。
     あまり改革改革とすべてを変えようとすると、副作用もきつく出る。橋下氏が言うように、経済が少しずつ上向き、世の中全体として「このまま続ければいいのかもしれない」という空気が浸透してきたとき、都構想という大変革は危ないと有権者は本能で判断したのかもしれません。

     有事のリーダーたる橋下徹は、世の中が平時へと移行していく中で退場を迫られた。ちょうど、第2次世界大戦を強力なリーダーシップでイギリスを引っ張ったチャーチルが、大戦後の総選挙で大敗し労働党に政権を明け渡したように。
     皮肉なことに、アベノミクスの成功が回りまわって都構想に立ちはだかった。そうも言えるかもしれません。

     ということで、橋下氏は統治機構を変えることはできなかったわけですが、今回の住民投票で変えたかもしれないものがあります。それが、選挙制度。あるいは投票行動。今回の都構想住民投票は、公職選挙法の一部が準用されたものの、普段の選挙とは違う部分が多々ありました。

    『どうなる?住民投票 公選法準拠も相違点...当日街宣OK、20歳で投票できないケースも』(3月13日 産経新聞)http://goo.gl/ye0EnN
    <政党などが賛成、反対を呼びかける投票運動への規制も若干異なる。戸別訪問や買収行為の禁止などは通常の選挙と同じで刑事罰にも問われるが、投票日前日までとされている街宣活動などは当日も行える。>

     この街宣活動を当日行えるというのは、現地で取材していると非常にインパクトがありました。各投票所の前には賛成・反対双方の支持者がビラを配り、演説をしていました。

    都構想住民投票1.jpg
    西成区の投票所入り口 賛成(オレンジ)・反対(グリーン)両派が選挙活動を行っている

     これには賛否両論があり、かつどちらかというと「投票直前に惑わされる」「有権者自身の意思で投票されたか疑問」といった批判的な論調が多いのですが、私は非常に有意義であったと思います。賛成のビラを配っていた青年も、
    「今回の住民投票は、賛成派も反対派も「とりあえず投票に行ってください!」とアピールしているんです。そして、こうして投票当日に活動をしてると、投票日であることを忘れていた人も「そやったなぁ」っていって、両方のビラを持って投票所に進んで行く人がいたり、これだけ選挙カーが当日も回っていると思いだしますよね!結果がどうなるにせよ、これだけ活動していて手応えのあることもないですよ」
    と話してくれました。

     確かに説明不足の面も、双方が提示するメリット・デメリットがかけ離れすぎていて判断に迷う面もありました。しかし、そういったものを差し引いても、こうして住民投票当日まで熱に包まれていた投票というものは私は見たことがありません。正直、この社会現象に身を置いた大阪市民はうらやましいなと思いました。

     今後、議員選や首長選が行われるときには通常の選挙が行われ、当日の活動は一切できないわけですが、この住民投票を経験した大阪市民は確実に「物足らん」と思うでしょう。投票直前に金品を配るのはもちろん問題ですが、ビラを貰うことでそんなに惑わされるのでしょうか?むしろ、判断材料を提供されてじっくり考えた方がいいのでは?でないと名前やポスターの表情で判断してしまうのでは?投票日当日の選挙活動について考えるいい機会を、今回の住民投票は提供したと思います。
  • 2015年05月11日

    一体どこの国のメディアだ!?

     戦後70年の今年、中国・韓国両国が日本に対して歴史認識問題で攻め立ててきているのは周知のとおりです。それに対し、安倍総理はじめ日本政府としては先日の訪米、日米首脳会談、そして上下両院合同会議での総理演説で一定の結果を出した形になりましたが、韓国はさらなるジャブを繰り出してきています。ゴールデンウィークのさなか、韓国・聯合ニュースはこんな記事を配信しました。

    『世界の歴史学者ら声明 安倍首相に歴史の直視訴える』(5月6日 聯合ニュース)http://goo.gl/JSLacS
    <世界的に著名な日本学、歴史学などの学者187人が米東部時間の5日、安倍晋三首相に対し旧日本軍慰安婦問題とこれに関連した歴史的な事実をねじ曲げることなく、そのまま認めるよう求める声明を共同で発表した。>

    さらに、日本の通信社も追いかけるように翌日、同じような内容で報じています。

    『日本は言葉と行動で過去清算を 欧米などの学者187人が要望』(5月7日 共同通信)http://goo.gl/dsHSrL
    <欧米などの日本研究家187人が6日までに、戦後70年の今年は「言葉と行動で過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かう絶好の機会だ」とし、アジアの平和と友好のため「できる限り偏見のない過去の清算を(後世に)共に残そう」と日本政府に呼び掛ける声明を発表した。>

    『「偏見なき過去の清算を」=学者187人、安倍首相に声明』(5月7日 時事通信)http://goo.gl/dauMQo
    <欧米を中心とする日本研究者187人が6日までに、安倍晋三首相に、日本の過去の過ちを率直に認めるよう求める声明を送付した。戦後70年談話を念頭に「過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かう絶好の機会」と指摘し、「可能な限り完全で、偏見のない(過去の)清算をともに残そう」と呼び掛けている。>

     3つの異なるメディアのリードをそれぞれ引きましたが、本当に似たような内容ですね。これだけ見ると、安倍総理に向けて「過去を清算しろ!謝れ!」と欧米を中心とする学者たちが呼びかけているように見えます。さらに、その声明を出したのは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いたエズラ・ボーゲル氏(ハーバード大名誉教授)など錚々たるメンバー。私もこの記事を最初に読んだときには「マズイものが出たなぁ...」「これだけのネームバリューの人たちが声明を出したのは安倍外交にとって厳しいなぁ...」という感想を持ちました。ただ、聯合ニュースの記事をよくよく読んでいくと、この声明のタイトルが「日本の歴史家を支持する公開書簡」ということが分かります。あれ?日本を、安倍政権を非難する声明のはずが、支持?どういうことだ?と思い、この原文を探してみました。

    『日本の歴史家を支持する声明』(日本語版PDF)https://goo.gl/Pg9Gru
    ※英語版など、元となるページはこちら。
    『Open Letter in Support of Historians in Japan』https://goo.gl/m4EfWX

     この日本語版の原文と記事の内容を照らし合わせてみると、愕然とします。先に挙げた3つの記事、それらが全て、声明を一部分だけ抜き出し、再構成して、まるで日本政府、安倍政権を批判しているがごとく見せているものだったのです。

     たとえば、共同通信では<アジアの平和と友好のため「できる限り偏見のない過去の清算を(後世に)共に残そう」と日本政府に呼び掛ける声明>と表現し、時事通信も<安倍晋三首相に、日本の過去の過ちを率直に認めるよう求める声明>としていますが、この声明では文中には、

    <元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。>

    としていて、中・韓の一部のようなナショナリズムを煽るために慰安婦問題を使うのも許しがたいし、一方で日本の一部勢力にあるような事実を否定したり矮小化するのも問題だと指摘しています。つまり、この声明は日本側だけに狙いを絞っているわけではなく、歴史家として真摯に向き合うためにはどちらか一方に与するものではなく、専門家として冷静に見つめて行こうというものなのです。

     また、前記共同の記事では過去の過ちの清算を日本政府に求めているような書きぶりでしたが、これについても前後を読むとちょっと意味が違ってきます。

    <私たちの教室では、日本、韓国、中国他の国からの学生が、この難しい問題について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力と人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。>

     過去の清算を呼び掛ける前段で、日・中・韓の学生たちの話し合いを引いてきています。若者はしがらみがなく冷静に誠実に話し合いをしていることを例に引きながら、その1世代、2世代上の研究者たちは、我々は『でき得る限り偏見なき清算を』、『共に』残そうではありませんかと呼びかけているんです。その呼びかけのあて先は、果たして日本政府だけでしょうか?私はそうは思いません。「共に」と言っているんですから、我々日本はもちろん、韓国も中国も、思惑抜きにしてファクトを土台にして冷静に話し合いましょうよ。そう呼びかけているように思えてなりません。

     そうなると、この声明のどこが安倍総理に対する批判なのでしょうか?ざっくりと言えば、この声明は今まで問題をややこしくしてきたすべての関係者への批判であり、真摯に歴史に向き合っていこうという学者としての誠実さを訴えるものでしょう。

     聯合ニュースは他国のことですから、日本人である私がとやかく言う筋合いはありません。しかし、同胞たる日本の報道機関である共同通信や時事通信が判で押したように曲解するというのはどういうことなんでしょうか?この声明を出した学者の先生方は非常に誠実で、英語だけでなく日本語の声明も仮訳ではなく精査したものとして出しています。さらに、一部報道によると、メディアによって曲解されることはすでに織り込み済みで、真意がきちんと伝わるように事前に在米日本大使館を通じて総理官邸にも送られているそうです。

     これら研究者の細心の注意にたいして、日本のメディアがいかに荒っぽく記事にしていることか。オフィシャルの日本語版があるんですから、訳が間違っていましたなんて言い逃れは許されません。結論ありきで記事を書いているのではないか?そう疑いたくなる杜撰さです。本当に、原本に当たる、一次ソースに当たることの大事さを思い知らされる記事でした。
  • 2015年05月05日

    連休で息を吹き返す緊縮派

     先週土曜のザ・ボイスのイベントにお越しくださった方々、本当にありがとうございました。また、翌日曜の私のささやかなトークショーにお越しくださった方々、重ねて本当にアリアが問うございました。本当に暖かなお客様ばかりで、拍手や笑いで緊張してガチガチだった私は大いに後押ししてもらいました。今後とも、ザ・ボイスをよろしくお願いいたします。

     さて最近、各新聞の経済欄の論調が変わりつつあるようです。以前は、緊縮、財政再建一辺倒で、金融緩和についてはとにかく懐疑的。日銀の黒田総裁が主導した金融緩和で円安が進んだ時など、「円安不況到来だ~!」とばかりに政権批判、金融当局批判を繰り広げていましたが、足元の景気回復でそうも言っていられなくなったようです。市場関係者が明かします。
    「政権からの圧力うんぬんなんかじゃなくて、ある新聞なんて実体経済を目の前で見ている証券部がいい加減にしろってクレームを入れたらしいよ。一面で政権バッシングしてたって、実際に株価が上がっているからね。駅売り主体のその新聞は、そんな一面の見出しで部数が伸びるか!って社内中から叩かれて、最近社内の緊縮派が居場所を失くしつつあるらしい」
    業界の噂の真偽はさておき、たしかに最近はあまり金融緩和批判を見なくなりました。

     ただし、ゴールデンウィークはまた別のようです。この時期は国内のストレートニュースが少なくなりますから、各社の社論が大きく紙幅を取るようになります。そして、鬼の居ぬ間の何とやらで、普段は我慢していたフラストレーションをここで発散したりするのです。昨日の日経、一昨日の産経、いずれも財政健全化目標についてのリーク記事を一面トップに持ってきました。

    『財政健全化計画、消費税10%超盛り込まず』(5月3日 産経新聞)http://goo.gl/2gnPEd
    <安倍晋三首相は2日、今夏に策定する平成32年度までの財政健全化計画に関し、消費税率の10%超引き上げによる財政再建は盛り込まない方針を固めた。>

    『財政健全化、高成長が前提 消費税10%超は封印』(5月4日 日本経済新聞)http://goo.gl/Kh9SVD

     改憲を掲げる産経が、憲法記念日の5月3日にわざわざ一面トップでこの記事です。私はそのことに非常に驚きました。さて、いずれの見出しも消費税率について書いていて、言外に「ホントに大丈夫?上げた方がいいんじゃない?」ということを暗示しています。日経はリードの中にも、
    <実質2%以上という高い経済成長率を前提にした「成長頼み」の計画で、消費税の10%超への引き上げは当面検討しない。>
    と、わざわざ「成長頼み」とカッコ付きで書いていて計画に対して懐疑的であることをにじませています。さらに、日経は3面で解説&有識者インタビューを行う大展開。こちらはさらに露骨に批判しています。

    『成長頼み、何度も誤算 健全化へ歳出切込み不可欠』(5月4日 日本経済新聞)http://goo.gl/blhXPg

     見出しだけでも明らかに緊縮路線で行くべきだという論調です。成長を期待しても今までできなかったでしょ?ならば、歳出を削減するか増税するかしか財政健全化は出来ませんよという理論。ただ、総理の意向として消費増税は10%以上には上げないというのがすでに知れ渡っているので解説記事には載せづらい。そこで、有識者インタビューという形で載せるわけです。

    『(月曜経済観測)消費増税と景気 悪影響薄れ、脱デフレへ 日本租税研究協会会長 西田厚聡氏 』
    この記事の中で西田氏の発言として、
    「消費税の増税は避けては通れない。国民全体が広く負担する消費税はこの国の基幹税だ。膨大な財政赤字を抱える日本でこの増税が進まないと、経済が崩壊してしまう。」
    「所得税が問題だ。日本では所得税率が10%以下の人が全体の80%以上にも達する。(中略)高所得者にもっと負担してもらってもいいが、人数が限られるので大きな税収にならない。やはり広く負担してもらうことが欠かせない。」
    と載っていて、消費税にしろ所得税にしろ、広く負担させる方向へ議論を持って行こうとしています。所得税も広く負担ということになると、各種控除を縮小して税金をしっかり取ろうという方向ですから、これは低所得の人ほど負担感が重くなる逆進性があるのは明らかです。

     財政再建ももちろん大切で、それごと否定するつもりはありませんが、物事にはタイミングというものがある。このブログで何度も主張してきましたが、日本経済にとって財政再建を唯一絶対の目標のように扱うのはどうかと思うのです。

     大雑把にいって、経済には3つの主体があります。「家計」「企業」「政府」の3つですが、今、企業セクターはだいぶ景気が上向いてきています。一方、家計セクターは大企業で賃上げなどもありは徐々に上向いてきたものの、全体で見ればいまだに個人消費が冷え込んでいる通り、まだまだ景気がいいとは言えません。そして、政府セクター。ここが積極的に投資していくのか、それとも引き締めに入るのか。ご紹介した日経、産経が主張したように政府セクターが引き締めに入れば、家計も引き締め、政府も引き締めとなります。そうなると、積極的にお金を使っていこうという需要を生み出すのは主に企業セクターとなり、今よりさらに需要不足が起こるかもしれません。

     ちなみに、今の需要不足がどのくらいあるかというと、およそ10兆円。本来は需要を伸ばしてこれを埋めなくてはいけないんですが、デフレ期はお金を持ち続けた方が得をしますから民間セクターは積極的に使おうとはしません。今は企業は景気が上向いてきましたが、家計セクターの個人消費はまだ期待できるほど回復していません。つまり、企業同士の取引は期待できても、GDPの6割を占める個人消費には期待が出来ないんですね。そこでさらに政府セクターの公共投資も期待できないということになると、企業は国内の需要の見通しに対して非常にネガティブになるでしょう。今は金融緩和で円安が進み、相対的にコストが安くなったので製造業の国内回帰などと言われていますが、それもどこまで続くか。それに加えて、歳出カット、増税ということになると、せっかく上向きかかった日本経済も再び沈みかねません。もっと国内景気が過熱していって、未曽有の好景気になってから増税すれば済む話だと思うのですが...。

     いずれにせよ、休みの間は普段登場しないような記事が出て来るので、まったく油断なりませんね。
  • 2015年04月28日

    続・新たなロジック

     2月の末に発見した『新たなロジック』ですが、徐々に経済面のメインストリームに進出しています。何の話かというと、国債保有に関するバーゼル銀行監督委員会規制。2月25日の拙ブログでは日本経済新聞の金融欄の小さな記事を紹介しました。

    『新たなロジック発見!』http://www.1242.com/blog/iida/2015/02/25212401.html

     このバーゼル委員会の新規制とは、長期国債は今までリスクゼロとされてきましたが、これについてもリスクを考えて引当金や自己資本を積み増すよう規制を強化するという内容。さて、この新規制については5月末までに素案を公表する予定で、ここへ来てその素案の内容についての記事が出てきました。そして、そこに「国債暴落の懸念」や「財政の健全化」を織り込んだ上で一面トップに扱われるようになってきたので私としては危機感が募るのです。先日、日曜日の日本経済新聞は一面トップでこのバーゼル規制について扱いました。

    『銀行の国債保有 規制=バーゼル委=』(日本経済新聞 4月26日)http://goo.gl/Xd3DRN
    ※公式HPは途中までしか無料で読めないので、個人ブログをリンクしています
    <銀行が持つ国債に新たな国際規制が設けられる見通しとなった。主要国からなるバーゼル銀行監督委員会は、国債の金利が突然上昇(価格は下落)して損失が出ても経営に影響が出ないようにする新規制を、2016年にもまとめる。>

    また、別の日ですが毎日新聞も紙幅を割いて報じています。
    『バーゼル銀行監督委:国債などリスク反映した規制を議論』(毎日新聞 4月24日)http://goo.gl/ozSVDM
    <金利の急上昇(価格の急落)で損失が出ても経営が揺らがないよう、銀行に自己資本の積み増しを求める可能性がある。規制のあり方によっては、多くの国債や債権を持つ邦銀への影響も避けられず、業界や金融庁が警戒している。>

     これらの記事のリードでは銀行の経営への影響を示唆する程度ですが、読み進んでいくと結局国債暴落論につながっていきます。

    <いずれにせよ適用後は、銀行にとって大量の国債を持っていることがリスク要因となる。日本の国債発行額は約860兆円に上り、そのうち銀行は1割強を占める大きな受け皿だ。日銀の異次元金融緩和で長期金利は歴史的な低水準にあるが、仮に金利が上がる局面で銀行が国債の売りの姿勢を強めれば流れに拍車をかけかねない。>(日経)

    <銀行はリスク量に応じて自己資本を積んで備えているが、規制強化でリスク量を一律に増やされると、自己資本の水準達成に向けた増資や、国債など保有資産の売却を迫られることになる。日本国債の大口保有者である邦銀の「国債離れ」が進めば、国債価格が下落(金利は上昇)し、実体経済に影響しかねない。>(毎日)

     いずれも新規制により国債が暴落するリスクを言い募っているわけですが、以前のエントリーでも書いた通り、日本国債にどこまでリスクがあるのか?というところが抜け落ちています。そもそもこの規制の発端は、ギリシャ危機でした。

    <欧州債務危機でギリシャなどの国債価格が急落した経験から、英国やドイツは規制強化を主張。>(毎日)

     イギリスやドイツはギリシャやスペインの国債で大やけどをしたかもしれませんが、それを根拠にして日本の国債や米国債までいっしょくたにして議論をするのか?という話です。どうもドイツなどは財政均衡主義を教条的に適用しようとしているフシがあり、国債はどこの国でもすべて危ない!我が国のように無借金経営こそが国の財政の在り方だとばかりに規制を強化しようとしているように見えます。ドイツが勝手にそうする分には我々も内政不干渉ですから関係ないことですが、これを他の各国に適用するのは大きなお世話以外の何ものでもありません。というか、金利がマイナスになろうとしているほど信頼されている(というか、欧州域内には他に投資先がないと思われている)自国の国債にもわざわざ引当金を積ませるつもりなんでしょうか?在金融緩和を推し進めている欧州中銀の姿勢とも正反対ではないかと疑問に思わずにいられません。

     そうした問題点を指摘せずに、一律に国債と見ればどれもリスクだとばかりに書き立てる我が国のメディアにも首をかしげざるを得ません。経済用語を駆使して書いてはいますが、結局言いたいことは「日本もギリシャもドイツもアメリカも財政が破たんするリスクは同じだ!」ということですから、これがいかにとんでもないものかが分かろうというものです。

     さらに、これらの記事の問題は、見出しだけを見ると今すぐにでも規制が始まるように見えるところ。しかし、決してそんなことはないことが本文には書いてあります。

    <これまでの議論では、金利リスクの基準などの具体案は固まっていない。欧州債務危機でギリシャなどの国債価格が急落した経験から、英国やドイツは規制強化を主張。これに対し、長期国債を多く持つ銀行が多い日米の当局は「一律の規制強化ではなく、各国当局の裁量を認めてもらいたい」(金融庁幹部)と、柔軟な規制のしくみを求めている。>(毎日)

     まだ、これからの話し合いで決まるって、記事の終わりには書いてあるわけです。ん~、新聞は最後まで読まないといけませんね。というか、トンデモ論を根拠にした規制強化に対しては「裁量を認めてもらいたい」なんていう下手に出た姿勢ではなく、「各国で適切に管理するということで一律強化に反対」という姿勢を示さなくてはいけません。実際、日米はそうした警戒姿勢であるという報道もあります。羹(あつもの)に懲りてなますを吹くドイツに、日本の金融界もメディアも振り回されているのではないでしょうか?そうまでしてバーゼル新規制→銀行の国債売却→国債暴落を言い募るのには何の意図があるのか?疑ってしまいます。
  • 2015年04月21日

    アシアナ機事故が物語るもの

     広島空港でのアシアナ航空機事故から1週間。今日の閣議後の会見で太田国交大臣は、事故機は27日朝までに撤去する意向を示しました。

    『アシアナ航空機 27日までに撤去へ』(4月21日 日テレNEWS24)http://goo.gl/gfgNJv
    <今月14日に広島空港で着陸に失敗したアシアナ航空機は、27日までに撤去を完了する見込みであることがわかった。
    これは、太田国交相が閣議後の会見で明らかにしたもの。滑走路近くの事故機では、撤去準備が進められている。撤去後は、視程5000メートルの運航条件は1600メートルまで緩和される。>

     この事故の原因について様々な報道がなされていて、パイロットの操縦ミス説、着陸直前にダウンバーストという下降気流で叩きつけられた説、それらの複合説など様々な分析がなされています。事故直前までは着陸最低気象条件である視程1600mをクリアしていたんですが、ものの1、2分で霧がかかり、一気に視界が悪くなった指摘があります。さらに、下降気流が発生した可能性も、国の運輸安全委員会からも指摘されています。

     一方で、広島空港は17日から運用を再開しましたが、事故で電波誘導施設が破損した関係で、雨や霧の影響を受けやすくなっています。早速、悪天候になった先週末19、20日は欠航が相次ぎました。

    『広島空港 20日もほとんどの便が欠航へ』(4月19日 NHK)http://goo.gl/ku50PC
    <アシアナ航空機の事故で、着陸機を電波で誘導する施設が壊れたままの広島空港では、雨で視界不良が見込まれるため、19日すべての便が欠航となりましたが、20日も大雨のおそれがあることから、広島空港を発着するほとんどの便の欠航が決まりました。>

     なぜ施設の破損によって悪天候に弱くなってしまうのか?雨で視界が悪くても、精密な電波誘導装置が空港側にも航空機側にも設置・搭載されていれば、それを使って着陸が可能という規則があります。広島空港は、ILSという無線誘導の中でも最も優秀な「カテゴリーⅢ」というものが使われていました。ところが、これが壊れてしまったので着陸できない便が増えてしまったというわけです。さて、この先どの程度増える可能性があるのか?国土交通省がこんなデータを出しています。

    『広島空港ILS高カテゴリー化事業 事後評価資料』(国土交通省大阪航空局・中国地方整備局)http://goo.gl/IdTyzE

     この資料の10ページに、『救済便数の状況』という項目があります。救済便というのは、もしこの高性能ILSを使わなかったとしてどれだけの航空便が着陸できなかったのかを表したもの。これには、
    <平成22年度から平成24年度の3ヵ年平均で、救済便数(着陸便のみ)は66便となった。>
    となっています。これはカテゴリーⅢからその一世代前のものになったとしてこの数字ですから、今回ILSを全く使えないままとなると、さらに増える可能性は高いわけです。

     さて、この空港、使ったことのある人ならわかると思いますが、全くの山の上に空港があります。標高は330m。着陸していくときに窓から外を見ていると山並みがグングン機体に迫ってくるような印象を受けます。航空関係の方に話を伺うと、「山には近づくな」というのは鉄則と言います。風が山に当たって気流が乱れることが多く、雲が発生しやすい。かつて、乗客サービスのために富士山に近づきすぎて乱気流に巻き込まれ、機体が空中分解したという事故もありました。(BOAC機空中分解事故)山というものはそれほど航空関係者にとっては鬼門なわけですが、そこに着陸していかなくてはいけないのが広島空港なのです。それゆえ、ダウンバーストが起こったというのも頷けます。

     また、霧が多いというのも、辛坊治郎さんが番組で指摘していましたが、山ですから霧というより雲が発生しているわけですね。この雲が晴天の中にポツポツあるくらいならいいんですが、標高330mの山の上に垂れ込めるように広がった時は完全にアウトになってしまいます。すなわち、これから梅雨のシーズン、台風のシーズンに差し掛かると非常に心許ない。予言しておきます。今年末までに累計三ケタの欠航、行き先変更が出るでしょう。それほど、厳しい条件の場所にこの空港は作られているのです。

     こんな厳しい条件下で毎日離着陸しなくてはいけないわけですから、一概にパイロットの技量の責任にするのはちょっと厳しすぎるのではないでしょうか?もちろん、第一義的には乗務員の責任が追及されるべきですが、他方この空港の立地条件が引き起こした側面はないのか?
    これについて指摘しているメディアはあまり見かけません。

     なぜこんなところに空港が作られたのか?

     戦後、インフラ整備、公共投資の一環で全国にあまたの空港が作られました。実に、現在日本には97もの空港があるのです。
    おしなべれば、各都道府県に2つずつ空港がある計算になるわけですね。中には気流が多少悪くても無理して作った空港や、地元の実力者が対立し、折衷案のような不便な位置に作られた例もあると聞きます。いずれにせよ、今回の事故はこの空港の厳しい立地も浮き彫りにしたものとも言えます。
    パイロットの責任に帰するだけでなく、構造的な原因分析も必要ではないでしょうか?今後、地方創生、国土強靭化の中で公共投資をする際にも非常に参考になることが多いと思います。
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

■会員制ファンクラブ(CAMPFIREファンクラブ)
「飯田浩司そこまで言うか!ONLINE」

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