高田文夫のおもひでコロコロ

2023.07.28

第67回『夏だ猛暑だ現代の知性だ』

まずは暑気払いの一枚。
衝撃!ジャイアント馬場にアントニオ猪木のスキャンダル記事を読んできかせる私。

お盆です。もう一枚、会いたいあの人と。何かの謝罪会見をする緒形拳と私。どんな悪い事をしたのか、もう忘れた。

謝罪の気持ちを込めてお互いに服は黒。

「ザ・東京漫才 ものまね大爆発」(7月12日 東洋館)
はたけんじ&松村邦洋を大フューチャー。この日、松村大暴走。後日まわりが見えなくなった事を大反省し私の前で大号泣。いまだによく分からない。

私と同じ75歳のはたけんじ。真ン中に座って満足気。晩年面白がって私がスポットを当てるとその人は即死する。のいるこいる、ローカル岡、順子ひろし、桃太郎・・・・・アッこの人は生きている。私のうしろがナイツ。オキシジェンが大傑作。

このブログ連載を読んでいる人は絶対読んでいない月刊「文藝春秋」。キャンドルをやっている方は「週刊文春」。これはインテリが読む方。創刊百周年で特集が「代表的日本人100人」 “現代の知性24人が選ぶ”とある。なんとこのたった24人の中に私が選ばれてる訳です。私は「現代の知性」だったのです。少しは尊敬した? 他の23人は博士とか学者とかえらくて難しい人ばかりだから選ぶひとも「紀貫之」とか「渋沢栄一」「岡倉天心」なんて人ばかり。唯一私は「文化芸能を」という訳で下のような文句なしの六人になった。8頁に渡って語っています。

 

唯一の現役ということで沢田研二。落語が志ん生でなく談志でなく志ん朝というところが私の視点。知性たる由縁である。さあこの「私のBEST6」よりおどろきのショットを2枚。生きて伝説沢田研二と死しても伝説「青島だァ 文句あっか」の青島幸男。暑中お見舞いには文句なしのこの2枚である。

ゲストにちゃんとシャツの色を合わせているのが私の東京人としての気づかいである。沢田には青シャツ、青島には揃いの白いシャツである。青島幸男も政治家になる直前まではド天才であった。「履けるワラジは五足でも十足でも履け」と教えてくれた。

7月15日 靖国神社みたままつり。
私の仕事場&書斎からたった一分の靖国神社。みたままつりも数年ぶり。「み」の字が切れてて「たままつり」になっているが「みたま」である。「玉」の「祭り」ではない。莫大な量の提灯は圧巻。外国人も沢山来ていたが彼らにも大和魂はあるんか。「コンノそこに愛はあるんか」  私のうしろに鳥居。これは「天」の字からきているという説も。ここから向こうは天国。結界となってこっちが現世、私の居る処。

 

7月18日 「オール日芸寄席IN山形」

下は山形新聞の絵と記事。山形出身のビンボー絵描き ながさわたかひろが今の私を鉛筆画でかいた。

この巨大な絵が当日、山形市民会館大ホールのロビーに飾られ、お客様がみんな2S写真を撮っていた。山形県中の人間がここに集ったと言われるほどの超満員。

「山形」と「日大」を語る一同。左から一之輔、志らく、私、白鳥、テツandトモ。よくタカアンドトシと間違えられる二人である。豪華な打ち上げも終り虚脱感だけの一同。30分で訳も分からず酔っ払ってしまった白鳥の姿はなく何故か米粒写経のサンキュータツオが。前左から一之輔、私、志らく、タツオ。後両端テツandトモ。山形放送の人やらスタッフ。一泊して朝は各々勝手に。志らくは「ひるおび」の生があるので6時すぎの新幹線にとびのっていた。生きていればここに右朝(同期・52才早逝)と森田芳光(私の一年後輩)も居たのになぁとひとり思う。夏になると色々と亡き人を想うものですね。想い出咄をしてあげるだけでいい供養になります(by永六輔)。

 

生きてる連中も大切にしておこうと思い、この度「漫才協会:塙会長のもと副会長をつとめる事になったロケット団の三浦。「入りは早いが売れるの遅い」と名キャッチコピーを私が付けたコンビである。この男と一之輔がまた異様に仲がいい。そっと二人で温泉で一泊して、何くわぬ顔してそっと寄席に次の日戻っているなんて事が多々ある。

 

7月20日 私の秘密の美食の店(荒木町)へ三人で。「三浦ガンバレ」みたいなシッソな会。それから二軒目。写真の通り「歌謡スナック ちょんぼ」。ここは晩年の三木のり平センセーと私が夜な夜な密会していた店として芸通には知られる店。壁には「のり平」「志ん朝」の色紙という夢の大看板のサイン。

看板の灯りがきつくてテカっているが左私。一之輔。三浦である。次の日金曜朝ニッポン放送は一之輔から私という放送の流れ。「ゆうべはどうも」と一之輔。「何か今週ズーーーと一緒だな」に一之輔しみじみ「うちのカミさんと会ってるよりセンセーの顔みてる方が長いですよ」だと。

 

2023年7月28日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。