高田文夫のおもひでコロコロ

2023.02.06

第56回『純烈と大ピンチ』

「ラジオビバリー昼ズ」のブログというより あれはコアな大衆芸能マニア向けの頁でしょ と言われてしまう今日この頃ではある。意外な人が読んでいてくれたりして発信男としては立春大吉な「鬼は外」である。私の周りの人間は あまり教えてくれないので見逃し気味なのだが1月から2月3日まで神保町シアターで「俳優 渥美清」の大特集。「寅さん」になる以前の渥美の傑作やら駄作。名作「拝啓天皇陛下様」から私も推す「沓掛時次郎 遊侠一匹」そして「白昼堂々」「あいつばかりが何故もてる」他たくさんの作品が連日1ヶ月もやってたのに。あゝ行きたかったなあ。と、思っていたらファンの人がDVDを送ってくれて「渥美清主演 喜劇爬虫類」これも見てなかったなあ。外国人金髪ストリッパーをつれて旅をする渥美に西村晃ら個性派。そこへ からんでくる怪しい男。待ってましたの小沢昭一である。1968年作品とあるから私が20歳の頃である。当時も見ていなかった。まだまだアメリカへの敗戦コンプレックスがすごいストーリーになっている。

上のチラシは「男はつらいよ フーテンの寅」マドンナは新珠三千代である。

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ストリッパーだとかテキ屋だとかヤクザの映画ばかり見ている訳ではない。心は「少年」のまゝ。「稚気」をいまだに持ちつづけている私である。「絵本」だって読んでいる。下手すりゃ書き出しかねないくらい前向きである。本屋でみつけ大爆笑、大感動したのが下の本。私が半年前ラジオで言ったら即 大ベストセラー。図書館に問い合わせたら“280人待ち”だそうで1人1日としても1年は待たないと見られない勘定。なにしろ面白い!

天下(?)の朝日新聞に頼まれて書評欄に書いた私の珠玉の原稿(2月4日朝刊)。絵本界にも目配せを忘れない この私の無駄に広い視野。金髪ストリップからピンチずかんまで扱える作家も そうそう居ないでしょ。それもこれも高校時代 巾広く生まれ育った東京で遊び 文化を身体の中に入れたからに他ならない。その高校時代の級友から「コロナで3年間独演会をやってなかったので よかったらどうぞ」と手紙があったので 久々に。「夢太朗の会」1月25日 内幸町ホール ゲストは はたけんじ には笑った。みんな同い年。

私と夢太朗は世田谷は明大前にある「日本学園」。物凄い歴史の高校で戦前は「日本中学」といって吉田茂、横山大観、永井荷風、そして野球好きにはたまらない名解説で名調子の小西得郎らが出た。戦後は荒井注・私・斉藤工・そしてダンカンの息子らである。後日きれいな文字でお礼の手紙が何枚も届いた。こうして高校時代の仲間と今でもつきあえるのがいい。先日新聞を見ていたら我が校 数年後にはなくなり明大の付属みたいになるそうで今年から受験生が どっと増えたと書いてある。明大の下って なんか腑に落ちないなァ。志の輔に見下(みくだ)されそうで   

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“明治座”の仕事がらみで久しぶりの純烈と。大みそか「紅白」での純烈。ダチョウ・有吉には泣かされたと伝えるとリーダーも「僕らも有吉さんとは古いつきあいで有吉さんが“電波”のあと落ち込んでるときからの知り合いで   」には感動。「竜兵会」を作り有吉は低迷期 ひくつにもならず飲みながら日本一面白いつっこみで竜兵につっかかって行った。私も参加して大爆笑。この時の面白さをラジオで伝えレポーターもやってもらい堂々の大復活をした。竜ちゃんも喜んでいると思う。ふたりになったダチョウをすぐ受け入れた純烈のリーダーの男気にもしびれる。ふところが深いのだ。下の写真。純烈の真ン中が私。何やら「凹凸」の「凹」みたいになっちゃってる。4人共でっかいのだ。こうみえて私が179だからネ。4人は2メートルを越えている(訳がない)。

右は新メンバーの いい男・岩永洋昭と。ついこの前まで「仮面ライダー」だった男である。私の横でただひたすら緊張していた。私が3月29日、純烈は9月に明治座で公演がある。

 

2023年2月6日

高田文夫

 

 

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。