高田文夫のおもひでコロコロ

2023.01.23

第55回『ザ・東京漫才』

「旦那、いいブツが手に入りましたよ」とイラストの佐野クンから渡されたのはDVD。「喜劇 特出しヒモ天国」。好物ではある。1975年 東映。喜劇の中にも社会性を盛り込みがちな森崎東監督。「特出し」だの「ヒモ」だのノーコンプライアンスでノーテンキなこの作品。山城新伍、池玲子、川谷拓三、カルーセル麻紀と揃っている。山城がTVのバラエティに進出し大ブレイクする直前のふざけた作品。山城と川谷のからみ良い   これが後(のち)の「どん兵衛」のCMへとつながる。山城は本当にスケベで本当に頭のいい人だった。私も「笑アップ歌謡大作戦」(テレ朝)「アイアイゲーム」(フジTV)と仕事をしたが あのアドリブ力には舌をまいたチョメチョメである。そして常に反権力の人であった。父は ものすごい医者であったときく。

1966年 ついに日本に武道館にビートルズがやってきた。チケットの争奪戦は とんでもないものだった。高三になったばかりの私も初めて父に土下座して「1枚!1枚!武道館(6月)見たら ちゃんと受験勉強始めるから」とお願いしてとってもらった。いつものウラである。父は出版社を経営していたので主催の読売新聞の えらい人ともツーカーだったのだろう。なんたって私の本名は文雄である。そう、その昔、文壇の首領だった丹羽文雄と父が銀座のBAR(ルパン)で飲んでいる時 私が生まれたので そのままつけられた。コントを書くのに「文学」の「雄」では重厚すぎるので勝手にペンネームを軽い「文夫」とした。私の義妹(カミさんの妹)なぞ森鴎外の直系に嫁いでいるので早い話 私も(遠い遠い)森鴎外の親せきである。

そしてビートルズである。27日から全国公開ロードショーなので見て欲しい。「ミスタームーンライト」アッと おどろく証言の数々。前座の内田裕也、尾藤イサオ、ドリフの日もあった。ビートルズから見て左の2階席に私、右の ずっと奥に高一の志村けんが座っていた。たしか京都から沢田研二も見に来ていた。私の真後ろの席は なんとなんとスパイダースのリーダーの田辺昭知であった。そっちに興奮した高三の私。ビートルズの武道館を語る50人の人々の声、話が熱をおびる。日本をまっぷたつにした世論。その時を、その空気をたしかめて下さい。

1月18日 浅草の世論をまっぷたつにした「ザ・東京漫才 漫才師の漫才史」。私とナイツの企画で むかえて第3弾。大評判を呼んだ劇団ひとりのNetflix「浅草キッド」。だったら私が本家を見せてあげましょうと みつけ出しました この男。私はお笑い界の矢追純一と呼ばれてるから何だって みつけてきちゃう。ゲストは本家「浅草キッド」あの「ツービート」の よく黙る方「ビートきよし」。そしてその名も「浅草キッド」の玉袋筋太郎。きよし、玉ちゃんともに この節 相方とは疎遠なふたりである。

奇しくも この日は1月18日、そう相棒ビートたけしの誕生日であった。

東洋館(旧フランス座)は鬼のように盛りあがった。夏ころまでに第4回のネタ考えて開催します。なんたって芸人達への愛で無償(ノーギャラ)で私はやってますから。私が来ているというので やたら楽屋に人が集まって来ちゃって いつもの はたけんじやら 2日前にライブを見に行ったコラアゲンはいごうまん、サンキュータツオやら くじら屋からのお祝いやら 下の浅草演芸ホールに出ていた昔々亭桃太郎まで上がってきちゃうわ 浅草のホームレスやら こわい人やら 何が何だか分らない。これがきっと浅草なんだろう。「漫才協会外部理事」は当分やめられそうにない。

前回も紹介した「立川流三人の会」のチラシ。発売と共にものすごい反響でダフ屋もグーの音も出ない状態。2月25日の一般発売まで まだ段階的に色々購入方法ありますので気をたしかに落ち着いてお求め下さい。

我が「いち・にの・さんぽ会」リーダー高野ひろしクンから こんな写真が届いた。「第2回の立川流三人の会」の打ち上げだそうな。2008年   そう15年も前の三人である。ペンギン(銀の輔)も一緒である。三人と一匹・・・一羽か?この頃は仲が良さそうである(あっ今も仲がいいけどネ)。

「漫才協会」から「立川流」から   まあ私も実は大変である。そこへ「浪曲」界である。下の「東京人」は2017年の2月号。「平成の浪曲時代がやってきた!」とあって左に「対談 高田文夫×玉川奈々福」とある。果して本当に浪曲時代はやってきたのか。奈々福の孤軍奮闘ではないのか。たしかめるべく右のチラシ「奈々福独演」であります。場所が凄い。2月11日(土)と12日(日)は13:00から。銀座・観世能楽堂(GINZA SIX 地下3F)ゲストは11日が高橋英樹、12日がなんと この私であります。不安なのでぜひ来て下さい。チケットまだあります。

2023年1月23日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。