高田文夫のおもひでコロコロ

2022.01.05

第19回『しょうがない しょうがない』

ボンヤリしてたら ホラッ年が明けちゃった。「へーへー ホーホー」「しょうがない しょうがないね」「まっ そんなもんだよ」。大みそかに”昭和のいる・こいる”のこいる(77才)の訃報。私の日大芸術学部の先輩でもある。(のいる師はこいる師よりもずっと年上で10年以上前から倒れていたので ひとりでこいるは高座をつとめていた)20年少し前 寄席であの気のない相づちがバカうけしてるとフジテレビの佐トちゃん(ひょうきんディレクターズ。私と同い歳。21年死去)が興奮して私に言うので私も寄席にのぞきに行ったら確かにこれは面白い。何ごともひょうひょうと受け流すこいる。これは世間がアッと驚くか・・・どん引きか・・・。私と佐トちゃんで作戦を練りフジテレビの元日名物・長時間演芸番組「初詣 爆笑ヒットパレード」にうまいこと出そうと考えた。どんな手があるか・・・思いついたのが売り出し中の若手のフレッシュコーナーに何も説明せずポンと年長者の”のいこい”を入れてみようという構成。生きのいい爆笑問題、Take2、海砂利水魚(のちのくりぃむしちゅー)のコーナーの中に何だか分からず「へーへー ホーホー」ドッカーン。これがバカうけ。まさに天地がひっくり返るようだった。袖で私と見ていたMCの西川きよしが「これ誰?なんでんの?これ、センセの隠し玉?おもろい おもろいわ」西川きよしも私も大きな目をさらに大きくして喜んだ。下の写真はのいるこいるがさらっていってしまった「爆笑ヒットパレード」生放送終了後のCX会議室での打ち上げ。「どこに居たんですか あの2人」「吉本でもとうてい あの味は出せへんで」など語っている。下に01年1月1日と動かぬ証拠がある。左より桂三枝(MC・のちに文枝)してやったりの私と演出のゲーハー佐ト。「帰ってヘレンに報告」と思っている西川きよし(MC)。

結成40周年、私の企画監修で出したDVD「昭和のいる・こいる ヘーヘーホーホー40年!」とんでもない漫才5本に「我らの高田笑学校」での収録もある(ポニーキャニオン)。高田文夫と松村邦洋、のいるこいるとの4人での楽しいトークも確か入っていたと思う。CDの方はU字工事ら若手の東京漫才師達が今でもカラオケへ行くと必ず歌うという名曲「そんなもんだよ しょうがない」。軽井沢に居た頃の玉置浩二、たまに落ち込むと寄席に出番を問い合せてのいるこいるの漫才をききに東京まで来ていたという。何しろ大好きなのだ。そんな噂を耳にして私は有楽町のフォーラムでコンサートを終えた玉置浩二の元へ駆けつけた。意気投合。「すぐに歌を出しましょう」ということになり作詞高田文夫 作曲玉置浩二でCDを出した。のいこいに私は「すごいだろ、あの天下の玉置(たまき)さんが曲書いてくれるんだぞ」何も若い人のことはわからない2人「へぇ~ 一週間のごぶさたでしたのあの先生が?」「笑顔でこんにちわもそうだよネ」とずっと玉置(たまおき)宏氏かと思っていた。これがマジな話だからすごい。

 

人のやさしさと心が洗われるような詞におしゃれでも のどかな玉置氏の曲がついている。おまけでこのCDには2000年の鈴本演芸場での”のいるこいる35周年記念の漫才”超爆笑篇が25分入っている。うけ方がジンジョーでない。

若き日はNHKの賞などでツービートと競いあい 少し演芸冬の時代があったが00年には”高田再生工場”で大ブレーク。芸人として少しはいい思いもできたと思う。桂子好江、順子ひろし、のいるこいる・・・東京漫才も淋しくなったけど これを機に一気に世代交代。ナイツ塙を中心に威勢よく”東京”の御輿をかついでいって欲しい。

<追伸>のいるこいるの師匠は獅子てんや、瀬戸わんや。のいこいは歌声喫茶の歌唱リーダーとして知り合い「昭和をのりこえる」の洒落で付けた。

 

2022年1月5日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。