高田文夫のおもひでコロコロ

2021.11.24

第15回『ガーコン死す』

あ~っ、川柳(せんりゅう)さんも死んじゃった。享年90。正式には川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)。川柳師匠というより我々にとっては友達、仲間のような噺家だった。なにしろタチの悪い酔っ払い。シラフの時はおとなしいが 一滴入るとからむからむ。手ラッパを吹くからやかましい。若い頃は川柳師と私、右朝、左談次という仲良し悪酔い仲間でよく呑み よく笑い よく他人(ひと)の悪口を言った。楽しかったなァ。寄席に出れば ほとんどネタは「ガーコン」。昔の歌謡曲やら軍歌を歌い、もう二度とあんな時代はいやだと反戦を叫ぶ。田舎のおやじが脱穀機を踏む形が後半出てくる。その姿をいつも見ていた楽屋の右朝、ネタ帖に「ガーコン 川柳」と書く。うまい。以来あのネタはすべからく「ガーコン」と呼ばれるようになった。川柳と右朝”からみ酒同志”意外に仲が良かった。右朝は大学時代からの私の盟友。享年52。やたら早く逝った。右朝の通夜、葬儀委員長である師匠の古今亭志ん朝、副委員長である私。通夜の客をさばくのでクタクタ。国分寺の寺まで本当に皆さん沢山来てくれた。酒盛りもひと段落、深夜1時頃になったら手ラッパの演奏がきこえる。本堂へ飛んでいったら棺にむかい川柳師が葬送の曲を手向けていた。「右朝~ッ」と叫んでいた。志ん朝も泣いた。私も泣いた。同じ年の秋(2001)に師・志ん朝も62という若さで逝った。下の写真は いつものように楽屋でバカを言い合う川柳と私。ステテコ姿がチャーミング。自分でも言っていたが顔は昔の首相福田康夫 アハハ。

右のビデオは全3巻ある「艶笑バレ噺 大全集」右上に席亭高田文夫と表記されている。「川柳さん囲んで呑みたいな」と言ったら山梨は石和在住のババちゃんが「いい宿ありますよ。そこでバレ噺でもやって吞みましょう」。即OK。94年。仲のいい三人を頼んで収録。川柳そして中央の右朝、左が「与太郎」で売るだけ売った志ん五。「バレ噺」とは早い話 下ネタの噺。寄席の隠語。「破る礼節」なのでバレらしい。3巻で各々が一席ずつやっているのだが 他に私の司会で ひと様には言えない下半身の話をやたらしている座談会。とんでもないビデオを作ったものである。私以外の三人は み~んな死んじゃった。私は早々と24歳で結婚した。親族なんかの結婚式、宴は明治神宮、椿山荘でやったのだが別日に仲間内のパーティをというので旧赤プリをとって若い者だけのご機嫌宴会。それらをすべて取り仕切り司会までやってくれたのが右朝と志ん五だった。古い古い仲間だ。志ん朝と弟子の志ん五、右朝。談志と弟子の左談次そして景山民夫、勘三郎、大瀧詠一、森田芳光・・・気の合う連中がみんな死んじゃった。オレだけ生きてる。あとの皆をちゃ~んと見届けてから逝けという宿題なのかしらン。

次回は早めに私のCDヒット曲大全をお届けしようと思う。今回は急に「ガーコン」が入ってきたもので    。新聞記事、訃報も小さかったしね・・・。

 

2021年11月24日

高田文夫

 

 

 

最新ブログ
  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。