高田文夫のおもひでコロコロ

2021.12.06

第16回『伝統を現代に』

前回「次は私の作詞作品集」てな事を書きましたが、過去をゆっくり振り返る時間もなくもう師走。ここへ来てジタバタ。噺家さんだって小三治、川柳と亡くなってショックなところへ先程「円丈死す」の報せ。”新作落語のカリスマ中のカリスマ”円丈なくして こんにちの昇太、喬太郎、彦いち等はない。愛弟子、一番の円丈イズムを引き継いでいる男 三遊亭白鳥が虫の知らせか6日(月)「ラジオビバリー昼ズ」のゲストというのも不思議なものだ。ブッキングの時 何か予感がしてたのかなァ。円丈(76歳)「グリコ少年」「悲しみは埼玉に向けて」「ペタリコン」神社の「狛犬(こまいぬ)」が大好きだったっけ。

落語、漫才、喜劇と60年、70年人一倍親しんできた。だから<昔>のことを<今>の人たちに笑顔で伝えたい。今をキチンと生きてる私を通して明晰な頭脳の内に”笑芸の送りバント”をしておきたい。わたしの「しゃべり」や「原稿」が昔と今のかすがい(鎹)になればいい。

「ザ・東京漫才 ~漫才師の漫才史~」私のトークで漫才の歴史をなんとなく知っておこうという”漫才協会外部理事 高田文夫 就任記念企画”。会長である青空球児(80)と好児(78)に私とナイツで色々きこうと思ったが球児の暴走、好児の記憶力で大爆発。12月1日浅草東洋館の夜は超満員の客と笑い声で埋めつくされた。やっぱり満席のライブは気持がいい。ぜひ第2回、3回を   という声が多過ぎ。73になって 私もしみじみ自分の面白さと底なしの芸能知識を知る。下の写真 左が舞台上。客席の後頭部の多さを見ればいっぱいなのが分るでしょ。右が終わって幕を閉め すぐに出演者記念撮影。

ステージ下手(左)より”めくり”「漫才師の漫才史」高田、球児、好児、塙、土屋。右の写真は前列 高田、好児、球児が年かさ(嵩)なので座っている。後は左よりりビッグボーイズ、ロケット団、U字工事、ナイツである。

<漫才界>の次は<落語界>のことも今の人に知ってもらおうと12月6日発売の「週刊ポスト」で私の企画監修のもと なんとグラビア前半後半で計16Pにわたって「昭和も令和もやっぱし落語」大特集。(12月13日号)近年雑誌界でこれ程立派で充実した落語特集はないはず。

これを入稿した後の川柳、円丈の死は辛いものがあった。「円丈VS三枝(文枝)」で一頁設けてあったのに・・・

<講談界>はなんたってこの2冊。早く第3巻が出ないかと気もそぞろ。

久世番子なる方が画を描き講談の監修がなんと神田伯山。キチンといい仕事もしている。こうやって若い人に講談という古い世界を伝えていく方法もあるのだ。談志も言っていた。「伝統を現代に」。

 

2021年12月5日

高田文夫

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。