高田文夫のおもひでコロコロ

2026.04.15

第155回『ナイツ土屋 日芸入学 私の後輩に!』

これが新しい原稿用紙。
上に佐野文二郎画伯の描きおろし私のイラスト。下に名人・橘右橘(うきつ)が書く千社札。「まだまだ高田文夫」とある。

こんな原稿用紙に56年間コツコツと書き続けてきた。これはペラと呼ばれる200字。昔は400字詰めで書いていた。テレビ時代はテレ原(テレビ用原稿用紙)と呼ばれる上がト書き用の300字詰めで書きまくっていた。
クドカン(否、今やもう宮藤先生だ)の新しい映画の脚本「ストリートキングダム」が届けられ 鈴木おさむがダンカンと出した「でも大丈夫 それでも僕らは生きていく」が渡された。
後輩達の大活躍には頭が下がる。
売れた人間は正しいね。

近頃は台本も書けない、書かない「放送作家」とやらも いっぱい居るようだが、クドカンとか おさむみたいに実績をつまないと この業界 誰も相手にしてくれない。実績だけが男の価値である。
ドラマ 数百本、バラエティ数千本かいたか?
DJ数千回しゃべったか? 
何回 男として打席に立ったかである(打席イコール勝負である)
才能無い奴は 打席にも立たせてもらえない。
昔から口を酸っぱくして言っていた。言われてた。
青島幸男が巨泉が永六輔が――。
「40すぎて 笑いを伴う番組の放送作家なんて無理。若い奴に勝てっこない。この商売40すぎてつぶしがきく仕事はみっつしかない。三択だよ。
小説家か政治家かラジオパーソナリティ。
他は何をやってもダメ。ろくな事やってこなかったんだから」
言う通りだと思う。
おさむがダンカン相手に喋ってるけど、ただ ただ俺を尊敬しているということだけだネ。こうして人前でキチンと男として言ってもらうと嬉しいネ。
<要約すると>
☆19才の時に この世界に入った時 ひたすら高田文夫が輝いていた――と。
☆「関東高田組」で どんどん才能を輩出していった――と。
☆ただ ただああいう面白い大人になりたい――と。
☆「SMAP」を題材にした小説を書いた時 業界から干されかかった時 唯一高田先生が面白いと世間にいってくれた――と。
☆会ったら、ず―――っと面白いことだけしゃべってる。あんな77才はいない――。

まあ こんな事を言ってる訳だ。
いくつになっても才能のある奴にほめられるのは長寿の秘けつだな。
いくつになっても ほめられる男でありたい。

おさむが裏方をつとめる「カンニング竹山単独ライブ 放送禁止2026」
今年も よござんした。一切口外禁止ライブで たしか18年。みごとな実績である。ひとは数と親切で納得する。

こちらは浪曲の玉川奈々福。
銀座の観世能楽堂(銀座SIX地下)でスタートして第7回。
銀座の能楽堂で浪曲。いいじゃないですか。
数年前、私がゲストで呼ばれ いきなりアドリブで奈々福が三味線を弾き出し 思わず芸達者な私「(森の)石松代参」をうなってしまいました。
何をやらせても器用な私だよ。
すべての芸が身体の中に入っているのだ。

 

そんな中、松本明子「還暦骨折」である。週刊ポストにも書いたから そちらでも。
佐野クンのイラストが いい味なのでここに載せておく。
ゲストに来てもらった旦那 本宮氏、
ことの他 生き方までが格好いいのでアッコの選球眼の良さにびっくり。
次の日のVTRによる「さんま御殿」では可愛いひとり息子から「同棲中」と自白され 目を白黒させていたけどネ。
私も24ぐらいで同棲して25では結婚してたけどネ。
それまでおふくろと暮してて そのまま結婚。小さい時は身のまわりを世話してくれる家政婦さんが二人居て 家庭教師が三人、日替りで来て、遠くへ出かける時は父の運転手さんが来てつれてってくれたから―――本当 なにひとつ今だに何もできない。電球一個替えられない。車の免許はない。一度も一人で表でごはんを食べたことがない。下手すりゃ今でも三食カミさんがゴハンを作ってる。何もできない。買い物も行けない。志ららにつれてってもらう。スマホも もたない。物欲はまったくない。田舎っぺじゃないから。サラリと生きたい。だけど仕事だけは77才まで まだまだできる。
収入だけは他の同級生の77才よりはあると思う。
喜んでくれる人は いっぱいいる。それでいいんだと思う。
私はオールドメディアの「巨人川相」になりたいと思う。ン?何のこっちゃ。

 

そんな中、嬉しいお知らせ。ナイツ土屋が私の後輩に。
嬉しいネ。この年になって「先輩!」なんて敬られるんだから。ラジオでも私にキチンと報告してたでしょ。
日大はタテ社会がきびしいんだから。おまけに6月で日大理事長も変わるし。グッドニュースばかりだ。
近頃の若い人で日芸といえばYOASOBIとか、バウンディ、先日スタジオに来たフレンズのえみそんだろ。ひたすら私を敬愛するという、女クドカンだな。
私らの頃は私と森田芳光、真田広之、太田光、クドカン、志らく、一之輔、テツandトモ、コナンの作者、ダウ90000まで居る。土屋も大変だよ、うるさい先輩ばかりで。どれだけパン買いに行かされるんだ。もっと古く私より先輩には三木のり平、三波伸介、ケーシー高峰、市川森一、毒蝮三太夫、篠山紀信、山本晋也、キックの鬼 沢村忠、高橋秀樹、マイク真木、あおい輝彦ら、たくさん居る才能陣。才能だけで生きてきた方達だ。みんな「日大という小さなコンプレックスと日芸という大きなプライドのみで生きている」。

オールドメディアにとって嬉しいお知らせ。
皆な知らなかったでしょ。あの「ぴあ」が15年ぶりに復活していたのです。
月刊だが「とぶ!ぴあ」
そして「地球の歩き方」が とうとう勉強しはじめました。私も読んでます。
みんな大学行くから私も中学からもう一度やり直さなくちゃ。

子供といえば そうだ、三人の孫達だ。奴らは ちっとも俺を尊敬していない。ナメてるんだ。
なにか無いかと探していたらありましたよ。これでギャフンだろ。なんたってお爺ちゃんは両さんの友人だったって事だ。
少しはこれを見せて見直させてやる。
「こち亀」の第38巻<必殺正月カットの巻>の巻末196ページ。「両津クンはオレの最高の友だちだ!! 高田文夫」とある。動かぬ証拠だ。(1986年1月 第1刷)

4月17日

 

高田文夫

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    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。