• 2016年05月16日

    止まぬ解散風の背景

     通常国会もいよいよ押し迫ってきました。会期は6月1日までとなっていますが、閉会直前の5月26日、27日に伊勢志摩サミットがありますから、実質的には来週末で終了ということになります。ということで、いったいいくつの法律が成立するのか、どの法律が廃案になり、継続審議になるのかが報道されていますが、一方で消えないのが解散風。衆議院の解散は国会の会期中でしかできませんから、会期末が近づくにつれて話題に上るものです。が、今回は総理が再三再四否定しているにも関わらず風は止みません。総理は今日の衆議院予算委員会でも解散を否定しています。

    『安倍首相「解散の『か』の字も考えていない」』(5月16日 産経新聞)http://goo.gl/lWXm5n
    <安倍晋三首相は16日午前の衆院予算委員会で、夏の参院選に合わせて衆院選を行う同日選に関し「解散については、今まで一度も言っていないし、解散の『か』の字も考えていない」と重ねて強調した。>

     今までも国会答弁で解散について何度も否定している安倍総理ですが、永田町の空気を変えるまでには至りません。特に野党幹部からはあからさまな警戒感が表されています。

    『民進 岡田代表 衆参同日選も視野に選挙準備急ぐ』(5月15日 NHK)http://goo.gl/IwPuH3
    <民進党の岡田代表は、来年4月の消費税率の引き上げに関連して、「私は、安倍総理大臣が『消費税の引き上げを先送りする』と言って、衆参同日選挙に打って出る可能性が非常に高いと思っている。同日選挙をしないのであれば、秋に先送りを言って、衆議院を解散する選択もあると思う」と述べました。>

    『衆参ダブル選「あると思う」=野田前首相』(5月14日 時事通信)http://goo.gl/kLbtFK
    <民進党の野田佳彦前首相は14日、神奈川県大和市で開かれた党会合で、「こんな時期に衆院選をやる人は人でなしだが、私はダブル選挙はあると思う」と述べ、安倍晋三首相が衆院を解散し、夏の参院選との同日選挙に持ち込む可能性があるとの認識を強調した。>

     新聞各紙は、読売新聞を除いて1面トップで「ダブル選挙なし」をすでに打っています。ゴールデンウィークが明けてもう解散風は止むのではと思っていたんですが、そうはならなかった。なぜか?

     様々な角度から理由を説明する人がいますが、まずは総理の解散権というものの効力から説き起こす向き。ある与党議員は、
    「解散の効力は2年」
    と言います。
     衆議院議員の任期は4年。ということで2年というのはちょうど任期の折り返し点になります。折り返し点を過ぎればある程度仕事をしたということでいつ解散してもおかしくないと思われます。その分、伝家の宝刀としての解散権は切れ味を落とすことになるわけです。
    「みんな、最初の2年はまさか解散を打つとは思わない。それだけに、解散するぞとなった時のサプライズは凄まじい。これが、2年を過ぎると急激に薄れる」
     たしかに、麻生政権時代の衆院解散は任期の直前でした。麻生総理は就任当初から「いつ解散するんだ?」というのがメインテーマのような政権でしたから、解散権の怖さは全くありませんでした。今の衆議院議員の任期は2014年12月にスタートしていますから、今年末が折り返し点。今なら十分にサプライズになります。

     もう一つ別の視点は、連立与党公明党の事情から説き起こす向き。もともと公明党は強固な支持基盤を持っているのが強みですが、衆参同日選ではなかなか候補者の知名度が浸透しないのでダブル選挙には否定的と見られてきました。
     しかし、ある与党担当記者は、
    「どうも公明党はダブル選挙も容認姿勢に転じてきている。その根底には、今の執行部、山口代表・井上幹事長体制を維持したいという思惑があるようだ。井上幹事長は議員任期を満了すると公明党の内規に引っかかって公認されない。山口・井上体制の次がまだ定まっていないだけに、この体制で引っ張るためにはダブル選挙しかないのだ」
    と明かしてくれました。
     ただでさえ、公明党は前回選挙の時に井上幹事長の続投のために内規を変更しています。

    『公明、定年制69歳に上げ 第1次公認34人発表』(2014年11月19日 日本経済新聞)http://goo.gl/xJ9eaP
    <同党(筆者注:公明党)は昨年末、定年制を定める内規を「任期中に66歳を超える場合は原則公認しない」から「69歳を超える場合」に変更。漆原良夫中央幹事会会長(70)、太田昭宏国土交通相(69)、井上義久幹事長(67)はこの内規に抵触するが、来春の統一地方選に備えて有力幹部の続投は不可欠と判断し、例外扱いとした。>

     そして、井上幹事長はある意味絶妙な日に生まれています。
    『井上 義久(いのうえ よしひさ)』(公明党HP)https://goo.gl/18NfCs
    <生年月日(年齢) 1947年7月24日(68歳)>

     参院選が行われると言われている7月10日にダブル選であれば、何とか68歳の内に投票日を迎えることになります。もちろん、任期中に69歳を超えるわけで、内規に引っかかることに変わりありません。ですが、支持者を説得するにしても69歳のボーダーを選挙前から踏み越えるか、一応選挙後に超えるかは説得力が違ってくる。その辺のせめぎ合いから、ダブル選挙も容認に傾いてきたというのです。公明党が容認に傾けば、決断は下しやすくなる。まだまだダブル選挙の線が消えない一つの要因になっているようです。

     ただ、熊本で地震があっただけに今ダブル選挙は無理だろうというのが相場観です。これについては、「歴史は繰り返す」という視点で説き起こす向きもあります。
     ある政界関係者は、
    「2011年の東日本大震災のときだって、発災当時はこの国難に与党も野党もないという雰囲気だったが、ゴールデンウィークを超えると当時の菅総理の内閣不信任案を出す出さないの話になった。結局、政局の思惑は災害を越えてしまうんだよ」
    と話してくれました。

     さて、総理はどのような判断をするんでしょうか?「火のないところに煙は立たず」という諺もあります。何となくの疑心暗鬼の空気があと2週間続きそうです。
  • 2016年05月09日

    熊本が前に進むために

     地震のショックから、熊本は立ち上がって前へ踏み出そうとしています。その復興の全体のデザインをどうするか、ゴールデンウィーク中に有識者会議の設置が発表されました。

    『熊本県、復興策定へ有識者会議...五百旗頭氏ら』(5月5日 読売新聞)http://goo.gl/0nhgd6
    <熊本県は4日、熊本地震の災害復興計画策定のため、東日本大震災復興構想会議の議長を務めた五百旗頭(いおきべ)真・同県立大理事長ら5人を招いた有識者会議を設置すると発表した。
     同会議は10、11日に会合を開き、緊急提言をまとめる予定。
     メンバーは五百旗頭氏のほか、東日本大震災復興構想会議の議長代理だった御厨(みくりや)貴・東大名誉教授、「人と防災未来センター」(神戸市)の河田恵昭センター長、経済政策に詳しい金本良嗣・政策研究大学院大特別教授、政治学者の谷口将紀・東大教授。(後略)>

     東日本大震災の復興構想を練った方々が再び結集。日本の英知を結集し一日も早い復興を目指すそうですが、東北の被災地は5年が経っていまだ復興半ばという印象です。熊本の被災地も同じようになってしまうのでしょうか?参考までに彼らが東日本大震災の復興構想会議でどのような議論をしていたのかを見ておくことは有益です。

     東日本大震災復興構想会議では、平成23年6月25日に~悲惨のなかの希望~という提言を発表しています。

    『復興への提言~悲惨のなかの希望~』(平成23年6月23日 内閣官房HP)http://goo.gl/WYtXu

     この提言の目次よりもさらに前に、「復興構想7原則」が示されています。ポイントは原則5。ここには、<被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。この認識に立ち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す。>と書かれています。
     さらっと読むと、経済の浮揚と被災地の復興はセットだと思うでしょう。しかし、そう書かれているのは2文目までで、3文目で「復興」と「日本再生」という別の組み合わせが同時進行することを目指すとされました。
     「日本経済の再生」と、「日本再生」は似ているようで全く違います。「日本経済の再生」ならば、基本的に景気を良くするべく努力するのだと分かりますが、「日本再生」となると曖昧模糊としていて、人によってイメージするものが違います。当事者たちはどういったイメージだったのか?この会議の議長代理を務めた御厨貴氏は東日本大震災5年のインタビューに答えてこのように語っています。

    『「戦後」から「災後」の日本を憂う 御厨東大名誉教授に聞く 再生への闘い(5)』(3月10日 日本経済新聞)http://goo.gl/lQUwcD
    <もともと東北は過疎問題を抱えていた。そのまま復興してもしょうがなく創造的復興が必要になる。東北を日本の先端に変えることで日本が変わるというのが『災後』の言葉に託した意味だ>
    <ショックだったのは、被災地各地から出てきた復興計画が、もともと過疎化が進んでいたのに人口が増える前提にたったものが多かったことだ>
    <僕ら(=復興構想会議)の思いと違う『明るい未来』を描いていた。被災地の過疎問題への対応は全国レベルの解決策に持っていくべきだったが、そこまでの発展性は現時点でみられない>

     このインタビューの中でこの復興計画の目指すところを端的に表していたのが、「もともと過疎問題を抱えていた東北はそのまま復興してもしょうがない」という一文。そして、「創造的復興」、「日本の先端に変える」といった言葉を並べている一方で、後段では人口が増える前提の地元の復興計画を「僕ら(=復興構想会議)の思いと違う『明るい未来』を描いていた」と評しています。
     となると、復興構想会議の計画とは『明るい未来』ではないということになります。穿った見方かもしれませんが、「過疎を抱えた被災地はそのまま復興しても仕方がなく、明るい未来は描きようがない」とも読めます。これのどこが「日本再生」なのか...。

     なぜ、「日本経済の再生」が「日本再生」にすり替えられていたのか?その理由を、この提言書を読み進めていくと見つけることができました。
     このPDFファイルの45ページ目、冊子では37ページに書いてある、<(8)復興のための財源確保>の項です。ここでは、日本国の財政が危機的であることを縷々述べた上で(これも大いに疑問がある前提なんですが)、

    <こうした状況に鑑みれば、復旧・復興のための財源については、次の世代に負担を先送りすることなく、今を生きる世代全体で連帯し、負担の分かち合いにより確保しなければならない。>

    としています。具体的には、
    <政府は、復興支援策の具体化にあわせて、既存歳出の見直しなどとともに、国・地方の復興需要が高まる間の臨時増税措置として、基幹税を中心に多角的な検討をすみやかに行い、具体的な措置を講ずるべきである。>

    と書かれています。そう。悪名高き復興増税が必要だと力説しているのです。そして、これは国の予算だけでなく、

    <地方の復興財源についても、上記の臨時増税措置などにおいて確実に確保するべきである。>

    と、とにかく増税増税増税。結果、まだ記憶に新しい復興特別法人税、復興特別所得税が課され、さらに、地方税の住民税も増税されました。これだけの増税があって、景気が浮揚するはずもありません。提言冒頭の原則5に戻れば「日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない」はずなんですが、増税しておいて日本経済再生など望むべくもなく、したがって「日本再生」という曖昧な文言に逃げ込む以外に方法がなかったんですね。

     今回の熊本の復興については、この復興増税の轍を踏んではなりません。日本全体の経済が浮揚することによって被災地の経済も回っていくのであって、全体の経済が停滞しているときに被災地だけが浮揚するなんてことは絶対にありえません。そもそもインフラが傷ついているんですから、まずはその傷を治して他の地域と同じスタートラインに立たせることが重要ではないでしょうか?さもなくば、インフラが傷ついている分だけ増税の痛みは被災地にこそ直撃します。仮に被災地は徴税されなかったとしても、経済の減速が直撃するのは他ならぬ被災地なのです。

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    日本全体でこの痛みを支えることは、増税を耐えることではない。(熊本県南阿蘇村)

     今日の地震非常災害対策本部会議に出席した熊本県の蒲島知事は、
    「県や市町村の財源基盤は今回の大災害に対応するには極めて脆弱だ。激甚指定を超える国庫補助の充実やウラ負担分の交付税措置等のさらなる財政支援なしには再生に必要な予算確保が出来ず、熊本の復旧復興が実現できない。復旧復興の前に財政が破綻してしまう。そこで、復旧復興事業の確実な実施のために特別な立法措置によって中長期的な財源の担保をお願いしたい」
    と発言しました。

     地方側が財源を心配するのは当然のこと。問題は、それを増税によって賄うのであればかえって復興は遠のいてしまうという事実です。
     折しも新発10年物国債の利回りもマイナスで推移しています。お金を借りる側の国としてはこれほど好都合なことはありません。莫大な資金需要があるこの復興期に、天が与えたこの好機。逃す手はないでしょう。まさに、「日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。」わけですね。

     熊本の有識者会議は明日、明後日行われる予定です。東日本大震災の際の有識者会議と同じようなメンバーだけに、同じ結論になるのか?それとも、違う道を示すことが出来るのか?おそらく大きな記事にはならないでしょうが、注目です。それこそ、日本の知識人たちが「戦後」の体質そのままの無反省を繰り返すのか、「災後」の新たな体質、反省を生かす新たな姿を見せられるのか?まさに真価が問われているのです。
  • 2016年05月02日

    被災地での自衛隊の働き

     熊本地震発災以降、行方不明者の救出活動、生活支援に献身的に活動を続ける自衛隊。発災から2週間を迎え今後は生活支援に軸足が移って行きますが、自衛隊は非常に大きな役割を果たしていました。先週の月曜のザ・ボイス生放送やこのブログの1つ前のエントリーでも報告した通り、私も先月23日~25日に熊本に入り取材をしました。特に南阿蘇村で活動する陸上自衛隊第17普通科連隊を中心に取材をしたんですが、避難所などで取材して感じたのは自衛隊のきめ細やかな支援でした。

     今回の地震では、物資が末端に行きわたらないということが問題になりました。いわゆるプッシュ型支援で各自治体にまでは物資が届きましたが、そこから先自治体は頑張るけれども手が回らない。一方、避難所の方は自治体が設けたオフィシャルなもの以外にも、各集落で自主的に集まった避難所もあり、自治体はとてもじゃないが手が足りず、そこまでケアできません。様々なモノが足らないという避難所側のニーズと、様々なモノの在庫は把握していても捌けずにいる自治体側。この目詰まりを、自衛隊が御用聞きのように各避難所を細かく回り、どこに何があるかを情報共有して回っていました。各部隊で連絡係を決めて、電話一本でなんでも相談に乗るという態勢を作っていて、実際に給水の実施や物資がどこにあるのかなどきめ細かくサポートしていました。自主避難所の一つ、栃木(とちのき)公民館の古庄区長は、
    「電話一本で何でも相談に乗ってくれる。感謝してもしきれない。大変ありがたい」
    と話してくれました。

     一方、行方不明者の捜索に関しては、先週火曜日で打ち切りになりました。

    『熊本地震 陸自、南阿蘇の人命救助終了』(4月26日 毎日新聞)http://goo.gl/lI0Khz
    <熊本地震で大きな被害を受けた熊本県南阿蘇村河陽(かわよう)にある高野台団地の土砂崩れ現場で25日午後、福岡県久留米市の早川海南男(かなお)さん(71)が遺体で発見されたことを受け、陸上自衛隊は26日、陸自担当の同村の人命救助活動が終了したことを明らかにした。>

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     この高野台団地の現場にも入りしましたが、膨大な土砂を重機で除去し、要救助者がいるであろう一帯はショベルで土砂をどけてリレーで後ろへ送るという丁寧な仕事をしていました。降りしきる雨の中、状況が許せば交代しながら24時間態勢で捜索を続けていたんですね。

     南阿蘇村の土砂崩れ現場はこの高野台団地の他に、いまだ大学生が行方不明なままの阿蘇大橋付近、さらに2人が亡くなった火の鳥温泉でも捜索に当たりました。第17普通科連隊の岩上連隊長に火の鳥温泉での捜索の様子を聞くと、かなり厳しい現場であったようです。土砂が大量に堆積し、要救助者がいたであろう宿泊棟を含め建造物はほとんど跡形もなくなっていた現場。端から土砂をどけていたら、とてもじゃないが72時間以内に発見することは難しいことが予想されました。この72時間とは、災害における人命救助に関する用語です。

    『72時間の壁』(コトバンク)https://goo.gl/unxPKA
    <災害で救出を待つ人たちの生存率が急激に低下し、災害医療分野で生死を分けるタイムリミットとされる。>

     土砂がどの方向に流れたのかを調べ、土砂の中から出てきた家具の切れ端や調度品のかけらなどからどの部屋かをオーナー立会いの下確認。要救助者がいる可能性が高いと思われるところを集中的に捜索していきました。
     その一方、現場で一番恐れられたのが2次災害。国土交通省とも協力し、ドローンを飛ばして上空から土砂の様子を監視し、さらにガケの上に要員を配置し目視での監視も行いました。作業中に土砂に亀裂が見つかり崩落も懸念されましたが、作業続行。結果、72時間以内に要救助者を発見するに至りました。連隊長は、
    「残念ながら発見時にはすでに心肺停止状態だったということで命を救うことはできませんでしたが、72時間以内に要救助者を発見するという課せられた使命を果たすことはできました」
    と、安堵した表情でした。その安堵の中には、2次災害で部下をケガさせる、あるいは亡くすことなく任務を果たせた安堵も含んでいることでしょう。

     事ほど左様に、自衛隊はたとえ災害派遣であっても危険な現場に出動することがあります。不発弾処理や急患輸送を取材した時にも思い知ったんですが、自衛隊は最後の砦。民間や警察・消防も手を出せない現場にも、装備の充実した自衛隊は出ていくことができます。
     ただ、それだけ危険な現場に出ていく自衛隊員にこの国はきちんと報いているのか?調べてみると、心許ない現実がありました。少し古いデータですが、平成22年度の防衛省の政策評価の中間段階の事業評価の中に『近年の諸手当の改善及び見直しの状況』という項目があります。その資料の中に特殊勤務手当の概要がありました。

    『近年の諸手当の改善及び見直しの状況 資料』(防衛省・自衛隊HP)http://goo.gl/4oSdYi

     災害派遣等手当は1日1620円又は3240円です。この手当で、命の危険を顧みずに不眠不休で救助活動に当たり、24時間態勢で生活支援に当たっているのです。
     もちろん、隊員たちは「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」と服務の宣誓をしているわけですから、金額で動くようなことはありません。しかし、その心意気に甘え過ぎてはいないでしょうか?彼らにそう聞いても、「我々は国民のためにありますから」と答えます。しかし、風呂にも入らず被災地を走り回る彼らを見て、この働きに応えてあげたいなぁと思いました。
     ちなみに、自衛隊の装備予算の中に人件費も入っています。防衛費の膨張を批判する向きもありますが、せめて彼らの手当の増額くらいは許してあげたい。頭が下がる一方で、そう思いました。
  • 2016年04月27日

    熊本地震被災地取材報告

     今月14日以降、大きな地震に相次いで襲われた九州・熊本地方。あれからおよそ10日が経った23日、南阿蘇村に取材に入りました。
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     1階部分が完全に潰れてしまったアパートや一軒家。踏みとどまった家も斜めに傾いています。駐車場には完全に横倒しになった自動車がそのまま放置されていて、平衡感覚がおかしくなるようでした。
     地震の凄まじい爪痕がくっきりと残る被災地ではありますが、取材を進めると、そこから力強く立ち上がろうとする人々の雄々しい姿がありました。

     14日の前震と16日の本震で2度、震度7の揺れを経験した益城町。東京で報道を見ていると、今も残る爪痕と打ちひしがれた被災者ばかりがクロー
    ズアップされています。もちろん、あまりの被害に呆然と立ち尽くす人もいらっしゃいますが、一方で必死に前を向く人もいらっしゃいます。
     この益城は農業が非常に盛んなところ。この時期はハウス物のスイカの出荷が始まる時期。ほかにも、ニンジンやミニトマトなど野菜の生産が盛んです。町内で大規模営農をしている農業法人・吉水農園の方にお話を伺うと、地震後すぐに畑に出たそうです。
    「こうして仕事をしていると前向きになれる。悲嘆に暮れていても金にならないが、仕事をすれば金を稼げるからね。それに、野菜は生き物だから。一 日手を入れないだけでもダメになってしまう。あと、若いモンが地震直後から来てくれたから、俺たちもやらないと」

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    朝早くから農作業の準備をする吉水農園のスタッフの皆さん(24(日)朝・熊本県益城町)

     野菜の出荷場や加工場は、建物自体は地震に耐えたものの、中の機械類がずれたりひっくり返ったり。まずはその再建から手を付けなくてはいけませんでした。水耕栽培のトマト向けには地下水などで水を確保。停電中は発電機を回して機械を動かしました。結果、すぐに10トン車を受け入れられるまでに復旧。今は、パートさんたちが戻ってくれば地震前とそん色ないレベルまで復旧できる態勢を整えました。
    「地震で半年前に買ったばかりの愛車が潰れた若いモンに、下向かずに汗流して働いて、2台目にチャレンジしろって言っているんですわ」
     若手の側もこれに応えて、
    「次は高級外車を目指します!」
    と力強く答えてくれました。東京で報じられる被災者のイメージよりも、彼らはずっと前を向いていました。

     そうしたイメージのギャップは、被災弱者と言われる人たちへの取材でも感じました。ニッポン放送ではクリスマスの24時間生放送を中心に、目の不自由な人たちのためのチャリティキャンペーン、ラジオ・チャリティ・ミュージックソ ンを毎年行っています。私もこの特別番組でレポートするために、目の不自由な方を何度も取材してきました。その中で、東日本大震災の時にも大変な思いをしたという声を何度も聞きました。今回の熊本地震ではどうだったのか?熊本県視覚障がい者福祉協会の事務局長、茂村広さんにお話を伺いました。茂村さんご自身も全盲でいらっしゃいます。

     まずは視覚障がい者の避難生活について。
    「視覚障がい者は、混沌とした避難所の中での移動、トイレ、配給の受け取りなどに苦労します。ケアしてくれる家族などがいない視覚障害者には、特 に周りの助けが必要となります。」
     そもそも、避難所となる小学校や地域の公民館は普段行き慣れているようなところではありません。そこへの移動だけでも1人では難しい。仮に行き慣れていたとしても、道路の状況は平時とは大違い。壁が崩れていたりマンホールが浮き上がっていたりして、いつものように歩くことは不可能です。健常者であれば目で見て迂回したりすることも可能ですが、視覚障がい者にそれはできません。災害が起こったときは、1人で避難することも難しいのです。茂村さんのところにも実際、近所の健常者の方に声をかけてもらって、避難所まで連れて行ってもらったという報告があったそうです。

     そうしてたどり着いた避難所での生活。さらに、精神面でも特有の負担があるようです。
    「周りの人に助けてもらってばかりでは精神的な負担も出てくる。同じ人間ですから、ありがとうございます、ありがとうございますと頭を下げ続ける という
    のもみじめな思いにつながってしまうこともあるんですね。」
     健常者であっても気持ちが後ろ向きになりがちな避難所生活。ハンデを負った障がい者であればなおさらです。しかし、スキルを活かして前向きに生活しようという方もいるそうで、こんなエピソードを紹介してくれました。
    「視覚障がい者の中にはマッサージの技術を持つ人も多いので、エコノミークラス症候群になりそうな人に対してマッサージを施すことで自分も人を助 けることができた、という報告がありました」
     ハンデを背負っていても前向きに誰かの役に立ちたい。そんなエピソードを聞くと、胸が熱くなる思いがしました。自分のできる範囲で、皆さん励ましあいながら復興に向けて踏み出そうとしているのです。

     被災地ではそこここでこうした「共助」の姿勢を見ることができました。熊本市のボランティアセンターの取材をしたときのこと。東京の報道では「全国からボランティア希望者が集まった」とされていましたが、現場で取材した実感は「地元の人がとっても多い」でした。それも、中高生が多い。お揃いの学校指定ジャージを着て6~7人のグループというのが目立ちました。
     話を聞くと、当然ながら皆さん被災者です。それではなぜここへ来たのか聞くと、
    「被災者ではあるんですが、家は健在で中の片づけも終わったので、もっと困っている人の役に立ちたいんです」
    と、口々に話してくれました。若者も大人も、年齢は関係なくみんな、こういった答えでした。
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    ボランティア受付に並ぶ人たち。圧倒的に地元の人が多い(23日(土)熊本市中心部)

     地元紙・熊本日日新聞のこの日の見出しにこんな言葉がありました。
    「負けんばい熊本」
    被災地はすでに、手を携えながら復興に向けて歩み出そうとしています。
  • 2016年04月18日

    熊本地震が投げかけるもの

     平成28年熊本地震で被害に遭われた方にお見舞いを申し上げ、亡くなられた方々に謹んで哀悼の誠を捧げます。地元熊本県をはじめ、各市町村、自衛隊、警察、消防、海上保安庁、さらにアメリカ軍に至るまで、本震から間もなく72時間となる今、懸命な捜索・救助活動を続けています。本当に頭の下がる思いです。

     さて、今回の地震の現場映像などを見ていると、今後に向けては困難も待ち構えてはいるでしょうが少し楽観的かなぁと私は見ています。というのも、東日本大震災の現場を少し取材した経験と照らすと、客観的に見た条件が良いところが見られるのです。

     何と言っても、基礎自治体が生き残ったのがとても大きい。今のところ人的被害が無かったということに加えて、損傷を受けながらも庁舎そのものが消失したところはありません。台帳その他のデータ関係も残っていることが非常に大きいのです。

     知り合いに社会保障について東大で研究している人間がいるのですが、震災後の岩手県大槌町の支援をした苦労話を語ってくれたことがあります。大槌は地震の後の津波で町役場を失っただけでなく、町長以下当時の職員の3分の1を失いました。基本台帳などのデータを流失したのみならず、統治機構そのものをトップから失ったわけで、それを一から構築しなおすのは想像を絶する膨大な作業だったそうです。データの再構築では、まず目の前にいる人が誰なのかからデータを作り直すことが必要でした。指揮命令系統の再構築では、運ばれてきた支援物資をどのようにして配っていくか?これも作り直さない限りは一切動けなかったわけですね。ある中央官僚が、「役人はやったことのあることと誰かから言われたことをやるのは得意」と言っていました。ということで、自発的に機構を作り直すのは真逆の作業。一番の苦手、急所を突かれたようなものです。当然、復興の出足の遅れにつながりました。5年経った今なお、かさ上げ作業が行われていることと、基礎自治体そのものが甚大な被害を被ったことは無縁であるはずがありません。

     今回の熊本の地震は基礎自治体が生き残りました。避難所の開設、運営や報道対応、各種手続きなど慣れない部分でしばらくもたつくことはあっても、軌道に乗り出せば回っていくと思っています。そこでポイントとなるのが、今までのノウハウをどう生かせるか?ということ。

     たとえば、今被災地では断水しているところがまだまだ多いようですが、その給水活動は一つの拠点に職員を配置させるとき、何人配置するか?1人でいいような気がしますがそれではあっという間に疲弊してしまうそうです。膨大な希望者を並ばせ、場合によっては手提げ袋を配って水を運んでもらう。あるいは初めから手提げ袋に水を入れた状態で配布していく。そうした仕事をこなしながら、さらにいろいろと被災者の希望を聞いていく。とても一人では手が足りません。こうした、現場が疲弊しないような手当というのは経験しないとわからないことだらけです。それだけに、自分たちも人が足りずに応援を受け入れている東日本大震災の被災地が熊本に向け職員を派遣する心意気を見て、私は感動を覚えるのです。

    『熊本地震 石巻市など応援職員ら出発 物資支援、募金活動も/宮城』(4月16日 毎日新聞)http://goo.gl/nWdTlw

     こうして、日本全体で経験が積み重ねられていく。地震と向き合う我が国ならではの紐帯と言えるかもしれません。

     一方、過去の地震があってなお、変わらない、変えられない部分もあります。たとえば、目前に迫る選挙。これだけの地震があって、学力テストは熊本では実施しないことが決まりましたが、参議院選挙は延期するわけにいきません。

     憲法46条に<参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。>という文言があり、延長は認められていません。続く47条に<選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。>という文言もあり、公職選挙法の該当する条文(公選法32条2項)を参照すると、国会を延長し最も伸ばしても8月21日(日)には投票日を迎えなくてはいけません。(ダブル選挙などを考慮せず)結局、憲法の規定を特別措置法がひっくり返すことはできないというわけですね。

     ここで議論に上るべきは、そんな憲法で果たしていいのか?という問題。これだけの地震大国・ニッポンで、国政選挙のみ教条的に行っていて疑問はないのか?今回はそれでも投票日まで3~4か月あるので、被災地も多少の落ち着きを取り戻すかもしれませんが、これが公示期間中であってもおかしくないわけです。何か、大地の側が問題提起をしているようにも思えてしまいますが、いかがでしょうか?
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

■会員制ファンクラブ(CAMPFIREファンクラブ)
「飯田浩司そこまで言うか!ONLINE」

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