• 2018年02月08日

    身から出た錆

     週明けの日経平均株価が1000円を超える下落を見せ、巷ではいよいよアベノミクスが岐路に差し掛かったというような論調が強くなってきました。政権発足当初のアベノミクス3本の矢というと、金融緩和・財政出動・構造改革でしたが、その中でも最も機能したのが1本目の矢である金融緩和。この副作用が大きくなってきたというのが、典型的なアベノミクス批判のパターンです。


    日銀の黒田総裁は会見の度に大規模緩和は継続すると言い続けていますが、大手メディアの経済部やいわゆる"市場関係者"とされる人たちの中では、それを真に受ける人はいません。型的な例として挙げた上記読売の社説でも、
    <金融緩和策が近く縮小に向かう、との見方が市場関係者の間で増えている。景気拡大は戦後2番目の長さに達し、雇用の改善も進んでいるためだ。>
    と解説しています。
     たしかに雇用の改善は進み、足元の完全失業率は2017年通年でも2017年12月でも2.8%まで来ています。
    一昔前ならば完全雇用と言われた状況。GDPも順調に伸びているということですが、肝心の物価上昇率は生鮮食品を除く総合で2017年12月はプラス0.9%と目標の2%に遠く及びません。
     さらに、昨日発表された厚生労働省の毎月勤労統計調査によれば、その微々たる物価上昇率よりも名目賃金の伸びはさらに弱く(0.4%)、結果的に実質賃金は2年ぶりのマイナス水準(-0.2%)に落ち込んでしまったようです。
     ん~、"雇用の改善"は、強いて言えば量の部分は改善したのかもしれませんが、質の部分(賃金水準など)はまだまだ。これで金融緩和策縮小となれば、現在正社員で雇用が安定している方々にとっては問題ないかもしれませんが、これから労働市場に参入しようとする若者や、やむ終えず非正規でいる方々にとっては悲報以外の何物でもありません。

     ただ、こうしたいわゆる"出口戦略"報道に一定の信憑性を与えてしまっているのが、日銀執行部も実は金融緩和を止めたがっている!という専門家や経済メディアの解説です。たとえば、こんな記事。

    <日本銀行が22、23日に開いた金融政策決定会合では、1人の政策委員が、今後2%に向けて物価が上昇し経済の中長期的な成長力が高まる中で、「環境変化や副作用も考慮しながら、先行き望ましい政策運営の在り方について検討していくことも必要になるのではないか」と述べた。>

     この見出しとリードの一行目だけを読むと、ああ日銀執行部の中にも危機感があるのか!という印象になりますよね。ところが、これが典型的な"チェリーピッキング"。自分の求める美味しいネタだけを切り取って出してきた記事です。というのも、この記事のソースになっている日銀金融政策決定会合の「主な意見」。実は、これだけでなく会合で出た様々な意見が箇条書きになっているものなのです。


     会合参加者の意見を数えてみると、オブザーバー参加している政府関係者(内閣府・財務省)を除いても27個あります。そのうち、副作用云々を言っているのは1つだけ。その上、直後には、
    <2%の「物価安定の目標」まで距離がある現状では、市場で早期に金融緩和の修正期待が高まることは好ましくない。>
    と、出口戦略が喧伝されて市場に間違ったメッセージが送られることに対して釘を差すような意見も公表されています。上記ブルームバーグの記事も、本文中ではこうした正反対の意見も紹介していますが、ならばなぜ見出しはミスリードを誘うようなものになっているのか?冒頭で紹介した読売の社説など、そのミスリードにいとも簡単に乗せられています。

    <日銀が先月開いた金融政策決定会合では、複数の委員が緩和策の見直しに言及した。>

     ただし、ミスリードなのは経済メディアだけでなく、日銀のオペレーションもミスリードを誘うような動きをしているのも事実。このブログでも日銀が目立たないように金融緩和の手を緩めている、いわゆる"ステルステーパリング疑惑"について書いてきました。アクセルの踏みが緩くなってきているのではないか?という趣旨で書いてきたのですが、ひょっとするともはやブレーキかもにも足がかかっているのかも知れません。

    <日銀の資金供給量(マネタリーベース)が黒田東彦総裁の下で初めて減少に転じた。1月に供給したお金の量(季節調整済み)は昨年12月に比べて年率換算で4.1%減った。減少は2012年11月以来、5年2カ月ぶりだ。>

     こういうデータが出てくるから、市場から出口に入ったんじゃないか?と疑われるわけで、黒田総裁以下日銀関係者が「緩和は続けるって会見で言っているのに市場は誤解している」なんてボヤいても身から出た錆。言行不一致を突かれているわけですから。かくなる上は、より一層の緩和でもって日銀の意思をよりハッキリと示してもらいましょう。でなければ、市場の疑念は払しょくできず、日銀が密かに金融緩和を終了しようとしているという疑念が既成事実となってしまいます。ズルズルと明言せずに金融緩和を閉じていくという悪いシナリオですね。ある意味で官僚らしいサボタージュからの既成事実化ですが、それをガバナンスと言えるのか?トップの言っていることを現場が聞かないという現場の暴走を、専門家もメディアもこぞってもてはやしている構図は、私には戦前の軍部も彷彿させるおぞましいものに映るのですが...。
  • 2018年01月29日

    官邸一強の不思議

     通常国会がスタートして一週間。今日から衆議院で予算委員会の実質質疑がスタートし、本格的な論戦が始まりました。と、報道されています。内実はといえば、お寒いものでしたが...。

    <29日の衆院予算委員会で、自民党の堀内詔子氏が持ち時間を数分残して質問を終えようとし、野党から「余っているじゃないか」とやじられる場面があった。自民党が質問時間の拡大を求め、野党と駆け引きを続ける中、時間を短縮された野党側としては看過できなかったようだ。>

     時事は何に忖度したのか「数分残して」と表現していますが、産経は正確に報じていて、実際にはたったの1分ほど。私もインターネット上にある公式のビデオライブラリで確認しましたが、たしかに残り時間は1分ほどでした。その上、自民党の質問時間はこの日のトップバッター福井照議員からこの堀内議員、次の國場議員まで全体で割り当てられています。目安としての質問時間は福井議員60分、堀内議員45分、國場議員45分とされていますが、会派の中で割り振りを変えようとも問題はありません。私は、かえって野党側の大人げなさが際立ったように見えました。

     さて、こんなヤジが出た裏には、記事にもある通り前回の特別国会から燻る与野党の質問時間をめぐる駆け引きがあります。野党側は特別国会当時から、「8年前からの慣例、野党8対与党2が破られるのはけしからん!」と批判しています。私は当欄で、8年前に慣例が変わったのも本当は当時の与党・民主党の意向が働いていたと書きました。


    私は8年前当時を知る複数の政界関係者を取材して書いたのですが、国会議員からも当時について語っている方がいました。


     御覧になればわかりますが、当時の民主党・小沢幹事長は、「政府与党一体なのだから、与党の質問時間自体要らない」という、より過激な主張でした。それゆえ、衆院では本会議での代表質問もなかったのですが、さすがに予算委員会で何もしないのはどうなんだ?という意見も出て、現在も続く野党8対与党2に落ち着いたとのことです。今の野党議員の方々は、当然この時も議員であって当事者であったはずです。この経緯はすっかり記憶から抜け落ちてしまったんでしょうか?8年続いた今の慣例については言い募りますが、その前の野党6対与党4の配分はそれよりもかなり長い期間の慣例だったはず。そこに戻すどころか、そこまでも行かずに野党7対与党3でも激烈な批判をしています。しかも、批判の矛先は、与党と思いきや、総理官邸。今日の予算委員会でも、立憲民主党の長妻議員がこう発言しています。

    「自民党サイドと交渉するとですね、いや首相官邸からこういう指示が来たと。首相官邸が固いんだと。籠池さんの証人喚問もですね、首相官邸がやっていいと言われたからやると。(中略)首相官邸が関与しているんですよ」

     この質問時間の件についても「総理官邸の意向」、森友学園の問題も「総理官邸の意向」の忖度、加計学園の獣医学部新設問題も「総理官邸の意向」...。
    官邸一強、アベ一強ととかく批判されますが、中で働いている人の印象はまるで違います。まず、ある有識者会議の委員は、
    「最近は各省庁が何でもかんでも官邸の意向というお墨付きを得るために、所管の厄介な案件を会議の議題に上げてくる」
    とこぼしていました。
     各省庁の所管の規制緩和などの案件のうち、強硬な反対があったりして長年進まなかった案件を突破するために、「官邸の意向」を錦の御旗にしたい、責任は官邸に押し付けたいという各省庁の思惑を感じながら仕事をしているそうで、
    「そうした責任押し付け型の筋悪案件の中に、いくつか光るものがあるのでそれを見分けるのが仕事」
    と話してくれました。

     また、中央官庁から出向している官邸高官は、
    「最近、出身官庁から細かい案件で連絡してくる若手が増えた。そんなもん自分でやれ!という話なんだけど、官邸のお墨付きが欲しいらしい」
    と嘆いていました。官邸一強というと、とかく政権の横暴のように批判されますが、それに甘える省庁側の怠慢、さらに、それを知ってか知らずか乗っかって政権批判に活用する野党やメディアという構図が見えてきます。官邸高官は嘆きついでに、
    「野党やメディアが言うような官邸一強だったら、何で消費税増税を延期するだけであんなに苦労しなきゃいけないんだよ...」
    とボヤいていました。『官邸一強』という見出しを見るとおどろおどろしいものをイメージしてしまいますが、色眼鏡ではなく真っすぐにファクトで判断したいものです。
  • 2018年01月25日

    一縷の望みを

     関東地方に時ならぬ大雪が降る中、通常国会がスタートしました。冷え込む首都圏と同じように有権者の心が冷え込むような水掛け論に終始するのか、それともこの雪を溶かさんばかりの熱い論戦が行われるのか。北朝鮮の脅威を前に、あるいは中国の膨張を前にどう議論するのか?あるいは来年10月に行われるとされる消費税増税を前に、足元の経済をどうテコ入れしていくのか?はたまた憲法改正にどう向き合うのか?議論すべきだろうと思うトピックは様々ありますが、これらは野党間で一本化するのが難しいのも確かです。結局、政権反対で一致できるテーマを選ばざるを得ず、結果としてそれは有権者の心を冷え込ませるような水掛け論になってしまいそうです。

    <昨年衆院選での民進党分裂に伴う混乱を引きずる野党は、22日召集の通常国会で協力できるテーマごとに共闘をめざす。主張に溝がある安全保障や憲法改正での各論の一致は棚上げし、政府の働き方改革への反対や森友学園・加計学園を巡る問題などスキャンダルで政権を揺さぶる作戦だ。「多弱野党」を克服し、巨大与党にどう対峙するか。野党の手探りが続く。>

     相変わらずの森友・加計、それにスパ(スーパーコンピューター開発会社を巡る助成金詐欺事件で助成金採択をめぐる政権の関与が?)、リニア(大手ゼネコンの談合疑惑に政権の関与?)と、今国会もスキャンダルを煽って空転させようというのでしょうか...?
     そして、もう一つ野党が共闘しやすそうだから政権追及の目玉に挙がっているのが、働き方改革です。野党はこれを「残業代ゼロ法案」と名付けて政権を揺さぶっています。

    <安倍晋三首相の施政方針演説など政府4演説に対する各党の代表質問が24日午後、衆院本会議で行われ、国会論戦がスタートした。最初に質問に立った立憲民主党の枝野幸男代表は、安倍政権が今国会の目玉に掲げる働き方改革関連法案のうち、高収入の一部専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」を「残業代ゼロ法案」と批判した。
     枝野氏は「みなし労働時間」の適用を認める「裁量労働制」の拡大にも反発している。繁忙期は残業規制を100時間未満としたことには「過労死ラインを大きく超え、過労死容認法案になりかねない」と語った。>

     この高度プロフェッショナル制度ですが、紆余曲折あって年収1075万人以上の高度専門職とされています。2016年の国税庁・民間給与実態調査によれば、そもそも給与所得が1000万円以上の人数は183万人。調査対象の給与所得者数に占める割合はわずか5.3%に過ぎません。さらに、年収1000万円を超えるような人はそもそも管理職でしょうから、そもそも対象者はさほど多くありません。その上、「専門職」と限定しているのですから、対象者は限りなく限られるわけです。

     しかし、「残業代ゼロ法案!」と法案そのもののイメージを悪くしてしまえば、議論の中身を見せずに入り口で批判することができます。「俺の残業代もゼロになっちゃうのか!?」というイメージを喚起することができますから、世論を味方につけることができるかもしれません。そうして、ここ何年かと同じように法案を葬り去ることができれば野党にとっては共闘の成果ということができますし、今の労働環境で文句のない高齢・高収入の正社員の方々にとっては現状維持で大満足でしょう。

     では、こうした変わらない日本の労働慣行の中で最も割を喰うのは誰なのか?それは、私と同じ世代、ロストジェネレーションの非正規雇用者たちではないでしょうか。
     私は1981年生まれの36歳。ロスジェネ世代・就職氷河期世代のお尻付近に位置しています。就職活動をしたのは2003年、ニッポン放送に入社したのは2004年です。文部科学省の学校基本調査によると、このころの学部卒の就職率は地を這うように50%台半ばをウロウロし、翌年からグンと上がり始めました。リーマンショックでガクっと落ち込みますが、それでも60%を割ることはなく、直近2017年3月では76.1%に達しています。
     ロスジェネ世代はすでに半数以上が40代に突入。社会人生活のスタートでほぼ半数が躓き、大多数が非正規雇用に甘んじてから15年余りが経とうとしています。当時から日本の労働慣行は、スタートで正社員になれないとその後厳しいという現実が認識されていました。しかしながら、今に至るまで改革は避けられ続けてきたわけです。
     「改革をすれば残業代がゼロになる!際限なく残業しなくてはならなくなる!それよりも社会保障の改革だ!将来が安心出来れば、今の労働慣行のままでも成長できる!」
     こうした声に押されて後回しになっていった労働改革の裏で、今正社員でいる人たちの既得権を守るために、ロスジェネは犠牲になり続けたのです。いい加減、レッテル張りを続けて議論の入り口で立ち止まるのはやめにしませんか?
     私だって、働き方改革のすべてをもろ手を挙げて賛成できるわけではありません。製造業派遣の解禁など、規制を緩くしすぎたことで苦しんだのもまた、我々世代。この働き方改革に対しても、半分は懐疑的な目で見ています。しかし、これに真剣に取り組む官僚を取材すると、彼らもまたロスジェネ世代。
    「このチャンスを逃したら、取り返しがつかない。そのまま年金受給年齢に入ったら、大量の生活保護受給者を生み出し、福祉財政はそっちで破綻しかねない」
    と、危機感をあらわにしていました。私もその危機感を共有しています。
     「市民とともに」とことあるごとに言っている野党の皆さん、その「市民」の中にロスジェネ世代はいませんか?ちゃんと、声を聞いてくれていますか?十年一日のレッテル張りはそろそろ卒業しませんか?タイムリミットは迫りつつあります。
  • 2018年01月15日

    政権批判無罪?

     このところ、ファクトを無視したようなスピンをかけた報道が目につきます。お読みの方の中には「何を今さら、昔からだろ」と突っ込みたくなるかもしれません。ただ、最近、政権批判の為ならあからさまなファクト無視もまかり通るような記事まで出てくるような気がしています。今日もこんな記事が...。

    <昨年のノーベル平和賞を受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長(35)が来日に合わせ、安倍晋三首相に面会を要請していたが日本政府から断られていたことが15日、ICANの主要運営団体「ピースボート」への取材で分かった。>

     見出しとそのあとの一文、リードの部分だけを読むと、総理官邸並びに安倍総理側はノーベル平和賞を受賞したICANの事務局長の面会の要請を無下にした!けしからん!という印象を抱きますね。去年、国連で採択された核兵器禁止条約を後押ししたICAN。一方、日本政府は、唯一の被爆国ですが、様々な国際関係、安保環境を睨んでこの核兵器禁止条約に賛同しませんでした。そうした日本政府の姿勢に対する批判も相まって、こうした見出し、記事の書きぶりになったのでしょう。2行目にはさらに詳しく、

    <ピースボートによると、ICANは昨年12月下旬から内閣府を通じて2回、安倍首相との面会を求めた。しかし外務省から今月14日までに「日程の都合が合わず面会できない」との回答があった。>

    としています。ここまで読めば、一度ならず、二度も断ってきた!全くけしからん!という印象を持ちますね。ちなみに、総理は今、バルト三国から東欧歴訪に出ていて、日本に不在です。帰国は17日の予定ですから、普通に考えれば外交日程が入っているから断ったというところでしょう。ただ一つ検証が必要なのは、ICAN側からの要請があった時点で外交日程が決まっていたかどうか。もし後から外交日程を入れて断る口実にしたとすれば、それは批判されてもある程度仕方がないことです。

     一方で、ICAN側も訪日まで一か月を切ってから面会を要請したわけです。その上、間に年末年始を含みますから実質2~3週前のオファー。総理の日程を抑えるのに適切だったのかどうかも問われそうです。ではその時点で、この1月中旬の総理の予定がどうなっていたのかというと...、

    <政府は、安倍晋三首相が来年1月中旬にバルト3国のエストニアを訪問する調整に入った。同国訪問は第1次安倍内閣を含めて初めて。海外訪問の日程は1週間程度とみられ、周辺国の歴訪も検討している。>

     12月中旬の時点で、すでに今回のバルト三国・東欧訪問の最初の訪問国、エストニアに関しては調整が始まっていました。というか、こうして「政府は」を主語にして公開情報として国名まで出るということは、常識的には何か突発的な事態が起こらない限り訪問するということ。むしろ、ここまで国名が出たのに訪問しないとなるとそちらのほうが余程外交的な非礼となります。
     その上、エストニアは去年の7月の欧州歴訪時に訪問するはずだったものが、九州北部豪雨の対応のため土壇場でキャンセルをした国。言葉は悪いですが、一度貸しを作っている国ですから、二度目の直前キャンセルはあり得ません。

     つまり、12月の中旬の時点で、1月中旬に総理が少なくともエストニアに向けて出発することはほぼほぼ決まっていたというわけですね。

     その状況の中で、12月の下旬に1月中旬の面会予定が来たらどうなるか...?1度ならず2度要請されても、「もう予定入っているし...」と断らざるを得ないのではないでしょうか?共同通信ほどの大きな報道機関なら、そうした事情も周りで取材していれば分かっているはずなんですが、政治部と社会部では縦割りなのか反映されていません。政権批判のためなら、「エビデンス?ねーよそんなもん。」なのだとしたら、心ある共同の記者は怒らなくてはいけないと思います。
  • 2018年01月10日

    人口が減少するから成長しない?

     年が改まって、今年どうなる、あるいはこの先どうなるといった視野の広いコラムや論評が新聞や雑誌で特集されています。私は個人的に、経済に関するニュースに関心があるので経済関連のコラムにどうしても目が行ってしまいます。このブログでも書きましたが、完全失業率と「経済・生活問題」を原因とする自殺者数にはかなりのシンクロがあることがわかっています。


     経済の浮沈というものは、人の人生や生命を左右することがある。社会に出るタイミングで長期デフレに苛まれ、いまだに非正規雇用から抜け出せない同世代を見てきた私としては、経済の問題は他人事ではないのです。
     ことほど左様に経済の問題は重要なはずなのですが、とくにマクロ経済政策については様々な俗説が跋扈して議論の焦点が絞られず、ずっと混乱し続けてきました。毎年毎年出てくる「日本国債暴落論」や「増税で好景気がやってくる論」、そして「人口減少不景気論」。各々、様々な方が反論を試みていますが、ここでは「人口減少不景気論」を取り上げようと思います。
     これ、金融緩和や財政出動といった景気浮揚策を批判するときに用いられる典型的な議論で、要するに人口が減少し、働く人の数が減るのだから日本は成長しない、出来ないのだというもの。「稼ぎ手が減るんだから国全体の稼ぎが伸びず、経済が低迷するのも仕方がない」素朴な実感に訴えかける議論ですから、何となく「そんなもんかなぁ」と受け入れられがちです。
     しかしながら、これが実は何の根拠もない俗論なのです。確かに日本は人口が減少していて、尚且つ経済が成長していません。だからといって、人口減少と経済低迷を直接リンクさせてしまっていいのでしょうか?海外の事例を見ると、人口が減っている国は何も日本だけではありませんが、そうした国々は皆経済が低迷しているというのは間違っているのです。具体的には、日本以外にも、東欧のジョージアやポーランド、ルーマニア、エストニア、ラトビア、リトアニアなどや、身近なところでは台湾も人口減少国家です。では、これらの国がみな経済が低迷しているかといえば、そんなことはありません。また、イノベーションが止まっているのかといえばそんなこともなく、例えばエストニアは音声通話アプリ、スカイプを生み出しています。こうした具体的な例を見ると人口減少不景気論への疑問がわいてくるのですが、今日の朝刊にも「人口減少不景気論」に対してこんな反論がありました。


     この記事では、明治期からの日本の経済成長と人口動態を睨みつつ、経済全体の産出量(GDPなど)を「人口」、「労働力/人口(=労働参加率)」、「産出量/労働力(=労働生産性)」に分解し、高度成長局面、安定成長局面、デフレ局面と時系列ごとにどの要素が産出量の増減に寄与したのかを分析しています。その結果、日本における高度成長期である1950年代、60年代、70年代前半で、年平均成長率はだいたい8%前後だったのにも関わらず、人口要因(人口増加率と労働参加率の上昇率を足したもの)は1%~1.5%に過ぎないことがわかっています。すなわち、高度成長に人口要因というものは決して大きくなかったのです。逆もまた真なりで、96年以降は人口は年率0.1%以下ではありますが成長にマイナスの影響を与えるようになりましたが、日本経済は年率1%強という不十分ながらも成長はしています。
    ということで、教授は、
    <こうして実際の数値をみると、人口増加は経済成長の大きな要因ではなかったことがわかる。同様に最近の人口減少と高齢化も経済成長にマイナスの影響を与えるものの、決定的な要因とは言えない。>
    と結論付けています。

     多くの論者が指摘しているように、人口減少は経済低迷の原因などではなく、むしろ経済低迷があったので結果的に人口が減少してしまったという風に因果を逆転させて考えるのが妥当なのではないでしょうか?

     教授はこの論文の後半でも、
    <人口減少と高齢化が進むので、経済の停滞は避けられないという議論は、単なる言い訳にすぎない。>
    <日本の持続的な経済成長にとって、人口減少と高齢化は致命的な問題ではない。生産性の継続的な上昇を可能にするような経済改革を実現することにより、日本経済は成長を続けることができる。>
    と、繰り返し「人口減少不景気論」を否定しています。詳しくはこの論文をご覧いただきたいところですが、生産性の継続的な上昇、そのための経済改革の重要なツールとしてAI革命を挙げています。むしろ、人口が減少する日本ではAIと働き手が対立することなくスムーズな移行が可能で、千載一遇のチャンスが到来しているとしています。

     記事を最後まで読むと非常に明るい気持ちになるのですが、残念ながらこの記事はウェブ上では触りの部分までしか無料では読めません。そしてそこには「ポイント」と称して3点が挙げられています。

    <ポイント
    ○人口増加は経済成長の大きな要因でない
    ○終戦直後には人口過剰問題への懸念強く
    ○生産性の継続的な上昇を促す経済政策を>

    あれ?

    「人口増加が経済成長の大きな要因ではない」というのも確かに書いてはいますが、それ以上の紙幅を割いていたのは「人口減少があるから経済減速は避けられない」という議論の否定だったはず。ポイントの1つ目は、たしかにウソとまでは言えませんが、にしても少しスピンがかかってはいないでしょうか?邪推すれば、人口減少不景気論を否定されてしまうと、「人口増加のために将来不安解消!そのためには消費税増税だ!」といった主張や、「人口減少で不景気になっているんだから無理やり景気を浮揚させるのは無駄!したがって金融緩和も間違っている!」といった従来からの主張との整合がつかなくなるので見出しにはふさわしくないと判断したのではないかと思ってしまいます。
     悪魔は細部に宿ると言うと言い過ぎでしょうが、細かいところでミスリードを誘っているのか?あるいは、見出しを付けた方はそういう理解でこの論文を読んだのか...?俗論の否定はことほど左様に骨が折れるんですね。
書籍
プロフィール

飯田浩司(いいだ・こうじ)

1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。

■出演番組
≪現在≫
「飯田浩司のOK!COZY UP!」

≪過去≫
「ザ・ボイス そこまで言うか」
「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」

■Twitter
「飯田浩司そこまで言うか!」

■会員制ファンクラブ(CAMPFIREファンクラブ)
「飯田浩司そこまで言うか!ONLINE」

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