高田文夫のおもひでコロコロ

2026.09.28

第164回『凄麺25年 ポカスカ30年』

シトシトピッチャンばっかりだ。
もう一ヶ月以上毎日雨が降ってるんだろ。Tシャツだって乾かないしアジア大会は金メダルばっかしで「VIVANT」も「水曜日のダウンタウン」も出る幕もない。お陰でこっちはいい歳だってのに毎日バタバタしてるよ。

何がめでたいってニュータッチの凄麺が25周年だっつーんだからめでたい。

フタをはがすと「フタの裏ばなし」とあって私のと清水ミチコのが出たら当たり。当りといっても何かもらえる訳でもないのが凄い。他は社員だとか行きずりの人とか色々な方が書いている。
何しろめでたいという訳だ。すごめん!

 

そしてめでたいついでにわたしが製作したのが「ポカスカジャン30周年」記念カード(WITH佐野文二郎)。下の右と左に応援する喰始と私を入れたところが私の気がきくところ。やさしさだな。

ライブも死ぬほど笑わせてやったわWITHタブレット純。ポカスカとタブ、フンドシ一本になって踊る。汗びっしょり。ステージにビショぬれの衣装。したたり落ちるタブの汗。出て行って私、それを見て「お前は線状降水帯か」と言ってドッカーン。本当にトンチが効く78歳だ。自分惚れ惚れしたネ。

タイから眠らずにライブ会場へ直入した喰始。楽屋で私をみつけ「夢だったんだ。79年間言えなかったけどツーショットで写真撮っていい?」

タイへはスパンコールのドレスをたくさん買い付けに行っていたらしい。WAHAHAの公演ではたくさん使用するからネ。日本では10万くらいの舞台衣装用がタイでは1万ちょっとで買えるらしい。度々訪れ買い付けているらしい。タブレットにタイをすすめていた。

楽屋には興奮おさまらない面会人が殺到。一番びっくりしたのは「先日のタブレットさんのラジオ、センセーがゲストの回きいてて・・・あっ 私大阪から来た桂ざこばの娘です」これはおどろいた。ゆかたの反物やら米朝師匠の手ぬぐいやら たくさん持ってきてくれた。昔から米朝事務所はビールやら色々と大阪から私に送ってくれた。

ざこば師やら ビバリーで当てた「ヨーデル食べ放題」の桂雀三郎しかり塩鯛しかり。なんとも貴重、ざこば師が若き日 そうです「ウィークエンダー」で泉ピン子とバカあたりした時代の名「桂朝丸」の手ぬぐい!これは嬉しい。

落語ファンがこれを読んでいたら たまらなくうれしいでしょう。涙ぐみます。

そうしたら次に控えてたのが「林です」。

そう、昔フジテレビのディレクターでフリーになって私と「三波伸介の凸凹大学校」を作っていた林良三ことペンネーム林春生。そう今でも毎週見るこの名「お魚くわえたどら猫 追いかけて」「サザエさん」の作詞から欧陽菲菲「雨の御堂筋」やらチェリッシュの歌をいっぱい作った人。30年前入院中「忙しいのに高田さん 仕事の合い間にちょこちょこ来て面白い話して・・・良三も来るのを楽しみにしていました」だと。クゥ~。30年前の話だ。人にはやさしくしとくもんだね。

この未亡人が天下のすぎやまこういち氏の妹である。
フジTV開局当時、すぎやま氏の部下が林良三。すぎやまの幼なじみが青島幸男。そこで「おとなの漫画」の台本を頼んだ。

楽屋でポカスカのタマちゃん。今日「上を向いて歩こう」を歌わせられるので困っているとタマ「センセー 中野サンプラザで石橋凌さんと たけしさんとロックンロールしたの覚えてます?」全然覚えてなかった。グレート義太夫さんから数年前に預かったテープ「これ凄いから。中野サンプラザに酔っ払ったセンセーが乱入して三人で思いっきりバンドをバックロックンロールしてんのよ。高田センセ―なんてシャウトして“四谷三丁目”だぜ」だと。
アーー想い出した。たけし氏のコンサートだ。近くで飲んでいて ビール持って会場の一番うしろで立って見てたんだけど たまらなくなって舞台にあがっていって歌っちゃったんだ。若き日のあやまちという奴だ。

 

さあお待たせ、大好評「高田文庫」あるいは「高田図書館」のお時間です。

 

これは本当に素晴らしい。のちに彦六を名乗る あのふるえるお爺ちゃんの若き日の日記である。
キチョウメン。キチンとつけている1958年(昭和33年)から1961年までの4年間。
木久扇師らが大切に日記を持っていたのがすごい。
木久蔵(息子)がサイン本として持ってきてくれた。
「最後の親孝行の本です」とある。
師匠(正蔵)思いの木久扇である。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に偶然にパラリと開いた頁。なんと談志の結婚式であった。本当に開いた一瞬である。

1961年1月15日(日)
小ゑん君が第一ホテル別館で結婚披露のパアテーを開く。招かれて私も参列をした。盛会であった。三木助君の見舞に行く。田端から少し歩いたので少し疲れる。

1月16日(月)
録音のためKRへ行ったら三木助君死去の訃報をきかせられた。日を同じゅうして古川ロッパ先生も逝去せらる。田端の三木助宅へ赤いお線香を持参する。

1月17日(火)
三木助君の通夜だが昨夜遅くまで別れを惜しんできたので今夜は失敬する。

いやーーー凄いなあ。たった2日見ただけで談志が結婚し 翌日「芝浜」の名人三木助が亡くなっている。あの「芝浜」はこの日 三木助から談志に渡されたのか。同じ日に喜劇王ロッパも亡くなっているというのが ものすごい。業だな。人間の業。

さぁそして ニッポン放送関係から。

元ニッポン放送社長。
亀ちゃんの専門分野。
アメリカンポップスを語ってる時の亀さんが一番いいネ。

元「ラジオビバリー昼ズ」ディレクター
藤原龍一郎が解説する寺山修司である。
藤原氏自身が短歌界の偉い人になった。

 

 

 

 

関西から二冊

 

伝説の澤田隆治プロデューサー。
「てなもんや三度笠」
「花王名人劇場」
ほか多数。

 

 

 

 

 

 

上方にはこんな講釈師がいるんだ。
玉田玉山。
2025年開高健ノンフィクション賞最終候補作。
「伯山、この若手知ってる?」
「ウーーン」うなっていた。

 

 

 

 

 

そしてパリーグから一冊。

 

「客がおらん」となげく江本孟紀
東映フライヤーズから南海ホークスへ
色んな意味でパはすごい。

 

 

 

 

 

 

2026年9月28日

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筆者
  • 高田 文夫
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    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。