高田文夫のおもひでコロコロ

2022.08.01

第41回『おっと天下の日大事!』

もはや伝説。本年度ベスト1ステージ(高座)となった「第5回オール日芸寄席・おっと天下の日大事!」。詳しい事はライブを直接見に行った人に聞くなり、8月5日からの配信を見るなりして(ほとんどが編集されカットになっているかもしれない)あとから ひっそり楽しんで下さい。太田クンと私にはコンプライアンスという言葉がまだ届いていないのかもしれない。

7月23日(土)当日 有楽町よみうりホールにお越しになった方だけに配られた私からの1200枚の手ぬぐい。太田光がいい表情。

ふたりで ずっと笑いっぱなしである。「新理事長問題」「ウラ口入学問題」「選挙特番・蓮舫問題」次から次と くり出されるウラネタに会場大爆笑。ふたりで30分以上喋ったあとに前半落語を演った白鳥・志らくが加わりまた30分。舞台上で分った白鳥と太田の共通の日芸の空手部の怖い友人の話など とうてい文字には記すことのできない内容。まるで同窓会。いくつになっても同じ学校で同レベルの脳味噌で気の合う連中と話すのは楽しいものである。

左から立川志らく、太田光、私、三遊亭白鳥。あらゆる宗教の話が高座で くり広げられた。なんとロビーには新理事長 林真理子からの大きなお花が。一同パニック。私が「これはきっと口封じじゃないのか」と言うと太田が「あの人だって小説書いたりしてエンタメですから”私をもっといじって”という謎じゃないですか」だと。怖すぎる空手部の話で盛り上がったあと太田が「たしか新理事長は相撲部でしたよね。横綱輪島を投げ飛ばしたってセンセー言ってましたよネ」「言ってねーよ」「今朝あの”ちゃんこ田中”の前を通ったら”ちゃんこ林”になってました」

「もっと喋りたかった」と言う太田と楽屋にもどると、この会 客席皆勤賞(一度出演)のクドカンこと宮藤官九郎がニヤニヤ。いきなり太田とクドカン「いやいや、本当に三谷幸喜には弱ったもんで」と いざ鎌倉な話。下の3ショットの右上あたりに丸く囲んで三谷の顔を入れておけば・・・。タイトルは『次期 理事長候補の4人』

次回第6回のトークゲストは誰にするのか?風雲急。理事長か三谷幸喜か はたまた人生のラストステージを毒蝮三太夫に与えるか。それとも「なんでだろ~」のテツandトモなのか。世界陸上が終った中井美穂か、「鎌倉殿」でも渋く決めた中村獅童か。あゝ豊かすぎるカルチャーのリーダー達だ。人材が豊富過ぎる日芸OB人脈。次回お楽しみに。

<閑話休題>

文春ムックから こんな本が出ました「阿川佐和子の この噺家に会いたい」

言ってみれば<佐和子殿の15人>である。噺家以外では講談の神田伯山、そして落語と深くかかわった人ということで小沢昭一氏と私が選ばれ大いに語っている。(その昔だったら安藤鶴夫と永六輔のポジションなんだろうな)それにしても大師匠柳家小さんから その弟子に当たる立川談志、その弟子の志の輔、談春、私とタテの系譜は日芸のOBの様に濃い。

新しい本の紹介の次は古い本・雑誌。ファンの方が送ってくれた雑誌で私もすっかり忘れていた珍品、珍本。かつて若者文化の中にこんなシャレた雑誌もあった。これは「広告批評」1991年10月号のもの(今から30年以上も前だ)。特集のタイトルがインパクトありすぎ。『バカは死ななきゃなおらない』私が司会(行司)をする座談会が「東西アホバカ合戦」今じゃ考えられない すごすぎるタイトル。

表紙が荻野目洋子というのが もうワンダフルである。頁をめくると なんとまさに5人のおバカ。「フール5」がここにも登場。「アホとバカ どっちがえらいか」なんて話が何頁も何頁も続くドアホ編集ぶりである。

30年以上たつというのに全員アホバカのまゝ生きているというのが凄い。坂田利夫はアホ道を極め今では”アホの坂田”と呼ばれタコ焼き、通天閣と共に浪花名物となっている。

もう1冊 私の「高田文庫」より。かつて「週刊宝石」というのがあったのを覚えてますか。これは2001年2月8日号、永遠メモリアル版 最終号である。ちなみにこの雑誌は19年間続いた。

19年間のあいだに紙面を飾った写真ということで「お笑いスターたちの駆け出し時代」という頁があってこれが傑作。84年頃の喰始(WAHAHA本舗)と久本・柴田。同じ84年の「ひょうきん族」現場で私(36才)と明石家さんま(29才)。中央に居るのがレジェンド演出家・三宅恵介(36才)。あどけなさすぎる88年のダウンタウン。感動的な一頁だ。

私の写真の下の小さな文字のキャプションには「なにしろ作家の高田文夫が凄い」というようなことが書いてある。多分。また。

 

2022年8月1日

高田文夫

 

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。