高田文夫のおもひでコロコロ

2022.05.19

第34回『竜ちゃんとマルベル堂』

これほど豆絞り(まめしぼり)の手拭いが似合う男は居ない。私の中の芸能史の中では三木のり平、由利徹以来の”豆絞りダンディ”である。”裸に豆絞り”こそ喜劇人の正装なのだ。周りから「どうぞどうぞ」と言われ気の弱い竜ちゃんは気を遣うあまり1人で夜中に逝っちゃった。昔からしみじみ思っている事だがコメディアン(笑芸人)の死は生前たくさん笑わせてくれた分量だけ たくさん悲しい。だから二枚目とか政治家が死んでも ちっとも悲しくない。笑わせてくれた芸人・作家が亡くなると本当に切ない。うけない芸人や売れなかった作家が死んでも悲しくはない。私が最初に涙にくれたのは八波むと志の死(由利徹らと脱線トリオ)、林家三平、三波伸介、東八郎、古今亭志ん朝・・・みんな若くして突然だ。だからショックで余計悲しい。下の写真は昨年(2021年6月25日)私の誕生日に手ぶらでやって来たダチョウ俱楽部(AT「ラジオビバリー昼ズ」。左から松村、高田、磯山、上島、肥後)。それでも裸に半天、豆絞りという正装で来てくれたのが嬉しい。カベには「HAPPY BIRYHDAY」やら「高田先生73歳誕生日おめでとう」とある。上島竜兵 享年61。あまりに若い。その豆絞りに素っ裸、逆バンジーで天国まで飛んでいけ。君の事はずっと語り継ぐよ。誰も忘れない。

「たけし軍団」「ダチョウ倶楽部」「出川哲郎」。切磋琢磨していた日々は忘れない。勿論その上に鶴太郎、稲川淳二。これがのちにTVの中のひとつの芸として確立され”リアクション芸”という伝統芸(?)にもなった。ここまでの名人芸を受けつげる若手が出てこないのも寂しい。それ以前にそれをやらせてくれる場(TV)が奪われていく事が日本の笑芸文化の衰退なのである。

下の写真は私が編集長をやっていた「笑芸人」(VOL17・05年冬号・白夜書房)で「竜兵会」の特集頁を作った時のもの。皆が当時集まっていた東高円寺の居酒屋「野武士」である。

集合写真。前列右から有吉弘行、上島竜兵、高田文夫、肥後克広、インスタントジョンソン。後列には松村邦洋、土田晃之、ノッチ、デンジャラス等の姿。下の写真は私が帰る時まで小言をくらっている上島竜兵。

「竜兵会」の話でも写真でも こうして書き記しておかなければ どんどん風化し忘れ去られていってしまう。それが大衆芸能なら なおさらである。歌舞伎や能のようにきちんと守られ受け継がれていけばいいが特に「笑い」を伴う芸はその時の時代の空気、状況の中で うけたり栄光を浴びたりして瞬時に消え、消化されてゆく。私のような世代のものが記しておかなければ前のこと、今のこと、そのつながりが まったく分らなくなってしまう。私こそ「笑芸の送りバント職人」川相なのだ。私が分かる範囲はこの連載でも随時書いていきたいと思う。

先日「そうだ”浅草マルベル堂”だ」と思い とんで行った。アイドルやスターばかりでなく店内の隅っこに笑芸人たちの白黒プロマイドがあったはず。誰も買わないから近々処分されてしまうだろう。私が買い占めておかねば・・・。「笑い」の歴史といっても私は「エノケン」「ロッパ」を楽しむほど古くはなく最初の目覚めは「森繫久彌」「三木のり平」である。この御大2人については映画・演劇の専門誌もいろいろあるし後日に私もふれたいと思う。前回この8月にやる明治座の公演の発表をしたら圧倒的反響でうれしい悲鳴。まだまだ若い者には負けない現役感。

☆  ☆

そこで妄想。今から40年前50年前に私がプロデュースしていたら・・・してみたかったライブをマルベル堂で買ったプロマイドで紹介してゆく ぜいたくなアイディア。

<激突! ツービートVSセントルイス>

1980年当時 日本列島は「漫才ブーム」。やすしきよし、B&B、紳竜、ぼんち等関西勢に立ち向かっていた関東勢はこの2組(また、この2チームが仲が悪かったアハハ。お互いから悪口を流し込まれた)。「赤信号 みんなで渡れば こわくない」ツービート。「田園調布に家が建つ」星セント・ルイス。

この80年の漫才ブームの15年ほど前テレビには「トリオブーム」というのがあった。けん引したのは この2チーム。東京喜劇の大看板となった三波伸介と東八郎がリーダーをつとめる「てんぷくトリオ」と「トリオスカイライン」である。

タキシードでキチンとスタジオ撮影してるのが嬉しい。左が「てんぷくトリオ」。中央 三波伸介 左に伊東四朗 右に戸塚睦夫 座長三波とは私「スターどっきりマル秘報告」「三波伸介の凸凹大学校」「特番」などで いつも台本を書かせてもらった。芸ごとをイロハから教わった。右が「トリオスカイライン」東八郎は今の東MAXの父親。東さんの家はその昔浅草のビルの1階のバーみたいなものもやっていて駆け出しの私は そっとカウンターの隅で水割りをごちそうになっていた。駆けずり回るガキが居て こいつが幼少期の東MAX。10円札で汗をふいていた。水を運んでくれるのが「にゃんこ金魚」の金魚ちゃん。

全国区とは行かなかったが忘れちゃいけない3人組「ギャグメッセンジャーズ」と「トリオ・ザ・パンチ」

「ギャグメッセンジャーズ」スに点々でスッテンテン。こんなフレーズもあった。中央にいる須間がアイディアマンで いつも不思議な小道具を作っていた。息子もコメディアンになった。右は「トリオ・ザ・パンチ」。一瞬セントが入った時の写真。リーダーは内藤陳。「ハードボイルドだど」と言ってガンプレイをみせた。

この時代の”トリオブーム”については5月25日に発売される「月刊Hanada」内の連載「月刊TAKADA」で4頁にわたって書いている。佐野クンのイラストは先日亡くなった岸野猛の居た「ナンセンストリオ」。そうです”親亀の背中に子亀を乗せて~”です。

そんな時代の忘れちゃいけないコンビは「ラッキーセブン」「晴乃チック・タック」「青空はるお・あきお」です。

レギュラーをやっていたのでラッキーセブンのコントは私50本くらい書きました。ホラ吹きのポール牧と一升びんが似合う関武志です。一番最初に若い女の子のキャーキャーが付いたアイドル的人気の芸人は晴乃チック・タック。「いいじゃなーい」と鼻を広げりゃ もう爆笑です。「ウィークエンダー」やら役者としても売れた青空はるお・あきお。

その時代ピンは居なかったのかって?なんたって牧伸二が居ました。「大正テレビ寄席」の超人気司会者です。ウクレレを持って”あ~ゝ やんなっちゃった あ~ゝ おどろいた”と社会を風刺していきます。(どうでもいい事ですが牧伸二は立川談志の中学の時の少し後輩で共に水泳部でした。)牧伸二と人気で張り合ったのが東京ぼん太。その右が牧野周一、その右が宮尾たか志、そして桜井長一郎です。

「東京ぼん太」のトレードマーク”唐草模様”。風呂敷からジャケット、傘まですべて唐草。キャッチフレーズが「東京の田舎っぺ」。栃木を前面に打ち出しての「ユメもチボーもないもんね」「いろいろあらーな」が必殺のフレーズ。芸名は売れない時代腹をすかして東京駅に居た大みそか、どこからともなく除夜の鐘が「ぼーん」。これだ!すぐに「東京ぼん太」としたときいたが本当か。賭博事件やら色々あって47才という若さでの死去だった。元祖栃木芸人。「牧野周一」天下一品の漫談家。「牧野」から1文字あげた弟子が「牧伸二」。その牧伸二の弟子にウクレレの代わりにギターを持たせた泉ピン子が居る。ピン芸のピンである。若き日の談志が名人牧野周一に嚙みついて「漫談なぞ芸にあらず」とやってケンケンゴーゴー。日比谷にあった「東宝名人会」がよく似合っていた。都会派スケッチ。「宮尾たか志」漫談(色っぽいネタ)と歌謡司会で売った。父は三代目柳家つばめ。歌舞伎座での三波春夫公演の司会を6年連続でつとめた。弟子に宮尾すすむが居る。宮尾すすむはずっとサラリーマンで30をとうに過ぎて芸界入り。レポーターにTVで起用し喋り方、手、顔のアクションなど私がマンツーマンで指導した。不器用な人だったが かえってそれがお茶の間に愛された。「ハイッ ワタクシ ミヤオシュシュム」。「桜井長一郎」声帯模写の第一人者。自ら演題を「声のスタイルブック」と名付けた。長谷川一夫、山本富士子など天下一品。桜井先生の流れの中に はたけんじ、佐々木つとむ、片岡鶴太郎から今の松村邦洋あたりが居る。余談だがそれまで声色(こわいろ)とか ものまねと呼ばれていた芸を”声帯模写”と名付けたのはインテリ古川ロッパである。

☆  ☆

いかがでしたか?私が買い占めた”マルベル堂”芸人プロマイドシリーズ。また機会をみて探してみます。

前回急告した「明治座5公演(8月19日から21日)」もう予約してくれましたか?なにやらチケット争奪戦の模様です。間違っても あわてても私の口座に4千万以上振込まないで下さい。ネットカジノに走りますよ。そこでまた、ここだけの嬉しいお知らせ。チケット発売は5月27日。これはオリジナル手拭いが当日もらえる特典付きチケット。

『第5回 オール日芸寄席・おっと天下の日大事!』7月23日(土)12時30分開演 有楽町よみうりホール。

いよいよ爆笑問題太田光登場です。晴れてウラではなくオモテから入ってきてくれます。

出演は いつもの私と志らく・白鳥。一之輔が旅に出ていて出られないので なんと商学部だというのに喬太郎が日大精神、ちゃんこ田中精神で駆けつけてくれます。晴れて日大オモテとなった太田光の のびのびトークがさくれつです。乞御期待!

昔の芸能から今のライブまで幅広すぎな73歳ではある。

 

2022年5月20日

高田文夫

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    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。