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2025.01.17

俳優の升毅さん、俳優デビューから50年で思うこと。

升毅さんに俳優の道に進んだきっかけや

升さんの俳優人生に大きな影響を与えた佐々部清監督との出会い、

主演映画『美晴に傘を』や2月上演の主演舞台『殿様と私』の見どころも伺いました。

 

※ 下にスクロールしていただくと放送内容をご覧いただけます。

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1月24日公開の主演映画『美晴に傘を』

公式サイト コチラ

2月上演の主演舞台、まつもと市民芸術館プロデュース『殿様と私』

詳しくはコチラ

 

映画 『美晴に傘を』 

主演映画『美晴に傘を』が公開。

自分は、9年前、60歳を超えてから

初めて映画で主演をさせていただいたとても遅咲き。

今回もなんとなく、背負ってやらせていただいた。

北海道余市町での撮影だった。漁師の役。

台本を読んだ時、自分がこの役をやるというイメージでは

あんまり読まずに、1つの作品として読めた。

今の時代にとてもいい話だなっていうのが第一印象。

その次に来たのは、美晴っていう子がどなたがやるにしても、

難しいなあと思い、これをどう表現していくんだろうというのが

すごく興味深かった。

自分の頭の中では一応こんな感じかなっていうイメージがあったが、

実際に美晴を演じた日高麻鈴ちゃんが、そのイメージを軽く超えてきて。

なんて素敵な才能だろうと思った。

実際に本を読んだらどうこうよりも、その印象が強かった。

この作品の監督は渋谷悠さん、

「傘」で世間の荒波や苦労などいろいろ表現をしている。

人間ドラマが丁寧に描かれている作品。

 

 

舞台『殿様と私』

2月に、まつもと市民芸術館プロデュース 舞台『殿様と私』を

長野県の松本と大阪で公演する。

マキノノゾミさんが文学座に書き下ろした作品で、

以前上演されたときは違う人が演出されていて

今回初めてマキノさん本人が演出をする。

『王様と私』がモチーフになってる。

明治19年頃の鹿鳴館がすごく盛り上がってる時代の話

維新についていけない殿様が、時代が変わっていく、

文化が変わっていく、いろんなものが変わっていく中で、

自分は、頑として変わらないでいるところに、

自分の家のものが、ちょんまげを結っていたことで、

他の人たちからそれを揶揄された。

それは許せないということで、「討ち入りだ」と言ったら、

息子に「もうそういう時代じゃない」となだめられ、

「勝負をしたいのだったら、鹿鳴館に行って、

ダンスで勝負したらいいじゃないか」といわれ、

売り言葉に買い言葉で、「じゃあやってやろうじゃないか」ということになる。

なので、物語の中でダンスを踊らされる。すごく笑われた。

ダンスは自分の劇団とかではやっていたが、それとは全然違うダンス。

後輩の水夏希さんからビシビシと鍛えられながらやっている。

物語の中でも踊らされるが、本当に稽古場でも踊らされる感じで、

その受け身の感じがとっても居心地がいい。

 

 

俳優の道に進むきっかけ

中学、高校でよくあるモテ期があり、キャーキャー言われていた。

キャーキャーいわれる仕事はアイドルだということで。

アイドルになりたいと言ったら何馬鹿なこと言ってんだみたいな話だった。

当時は誰でもアイドルになれる時代ではなく、

選ばれた人たちだという感じだった。

アイドルより俳優の方が現実的と思って俳優を選んだ。

演劇の勉強はそれを思い立った高校3年生の時から。

勉強が嫌だったので大学受験を回避したくて。

そのための手段として、俳優になるので、大学受験をしないという、

自分の中では方程式ができてた。

しかし、父親から「俳優になるというのは全然構わない。

だけど、現役で大学に入学して4年で卒業しなさい」

という条件がついて。結局、大学受験をしなくてはいけなくなった。

飽きっぽい性格を親がわかっていたので、

どうせ辞めるだろう、だったらきちんと大学に行って

就職できるようにということだったと思う。

でもその期待を裏切って続いてしまった。

俳優デビューから50年になる。 自分の中には何か10年の区切りがあり、

最初の10年目は、自分で新しい集団を作りたいというのがあった。

そこから10年やってるうちに、お呼びがかかって、東京呼ばれた。

そこから10年後に 朝ドラで大きい役をいただき、

さらにそこから10年で、恩師にあたる映画監督さんと出会い、

今年また新しい10年目が始まる。

 

 

佐々部監督との出会い

若い頃と比べて、仕事の向き合い方が変わった。

50歳ぐらいまでは、イケイケではないが、

自分の持ってるエネルギーだったり、

若さを武器にするみたいな役作りだったり、

自分が年を重ねていくことにちょっと抗っているというか

少しでも若い役をやりたいっていう、そういう欲がすごく強かった。

50歳を超えて、 このままでいいのかなと、ずっと考えながら。

60歳になるときに、佐々部清監督と出会った。

そこで、“佐々部イズム”を受け入れてから考え方が変わった。

2014年に初めてご一緒する作品があって。

佐々部監督が自分の芝居を全否定したとこからスタートしている。

最初に本読みをしたとき「ちょっとやりすぎです」と言われた。

でも、巨匠、佐々部清監督の言うことなので、

これは全部受け入れてやってみようと。撮影までに準備をし

撮影は抑えて抑えてやり続けたが

出来上がったものを見た時にすごく腑に落ちた。

監督の言ってたことはこういうことだったなと思って、

もうここから先はもう100%この佐々部イズムでいこうと決めた。

監督も言ったら、ちゃんとやってくれる俳優だってことが分かったらしく、

『八重子のハミング』へ繋がっていった。

だから、そこからはずっと監督の「やりすぎです」を

常に思い浮かべながらやるようになった。

 

 

これからの夢・生き方

現在、9年ぶりの主演映画『美晴に傘を』が全国公開中。

北海道の小さな漁港の漁師の役。

若くして息子と決別し、全く音信不通だった息子が

癌で亡くなり、その嫁と娘たちが突然四十九日を前に訪ねてくる

というとこから、話が始まる。

人と人の出会いだったり、コミュニケーションをとることによって、

人間は少しずつでも成長していくということを描いた映画。

小さい、町の中のどこにでもいるような人たちがたくさん出てきて、

誰が見ても、親しみを持てる、そういう映画になってると思う。

さらにまつもと市民芸術館プロデュース 舞台『殿様と私』。

「王様と私」を明治の初期の日本に舞台をうつした話で、

その殿様を演じている。

踊らされている升毅を是非見ていただきたい。

今年俳優デビューから50周年。やはり毎年1つずつ年を重ねながら、

61歳になったら、61歳の表現、70歳になったら70歳の表現。

またここから80歳に向かってできたらいいかなとは思う。

割と慎重派で、やる前に考えてしまうが、

新しいことにビビらずに、チャレンジできることはチャレンジしていく。

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