今年2014年を占う上で、政治の面からも経済の面からも、あるいは外交の面でも忘れてならないのは、春に予定されている消費税増税。これで景気が悪くなるのか踏みとどまるのか専門家の中でも評価の分かれるところですが、ニュースを見ていると強気で鳴らした財務省でさえちょっと弱気になって来たかなという印象があります。
こんなニュースがありました。
『予算繰り越し促す...財務省が異例の行動 手続き簡略化も検討』(産経新聞 2月12日)http://bit.ly/1eAKiic
財務省といえば、財政赤字が大嫌いなお役所。今までであれば、「年度内に予算を使い切れないような見積もりをするのなら、翌年以降は予算付けないぞ!」という姿勢だったんですが、今回ばかりは違うようです。記事によれば、<予算の単年度消化にこだわると公共事業の中止が増え、4月の消費税増税後の景気の落ち込みを防ぐために講じた経済対策の効果がそがれる>からだそうです。しかし、思い返してみれば財務省は「消費増税しても一時的な落ち込みはあっても、長期的に景気は落ち込まないことが、去年7~9月期のGDP成長率を見てわかった」として、総理に税率アップの決断を促したはずです。どうやら、見込み違いだったようですが、その理由が人件費の高騰や人手不足。これにより入札不調が繰り返されれば流し込んだ予算が景気回復に活きない、だから異例の予算繰り越しも許すんだというものですが、それで本当に景気を下支えできるのか?私は疑問に感じています。
そもそもなぜ公共事業が景気の下支えになるのかというと、それは手っ取り早く雇用を生む(と言われていた)から。今まで失業していた人が工事現場で働くようになり給料をもらうようになれば、そのお金で買い物をするなど消費するようになり、幅広い業種が潤うようになる。バラマキだとメディアからは批判されていましたが、過去にはこれが一定の効果を生んでいたことは統計を見れば明らかです。
問題は、これが今、どこまで効くのか?ということ。現在の土木工事の現場は、手っ取り早く雇用を生むものではなくなりつつあります。先日、帝国データバンクが発表した調査には、それがはっきりと数字で浮かび上がりました。
『人手不足に対する企業の意識調査』http://bit.ly/1eAM3Ml
これによると、建設業で人手が不足している部門、役割の項目を見ると、現場が75%強で1位ですが、それに続いているのが「高度な技術を持つ従業員」が52.2%に上っています。建設業全体のほぼ半数の企業が技術職の不足を挙げていて、さらに分析記事の中でも、<「建築・土木とも技術者が圧倒的に不足しているが、職能工はさらに不足している」(建設、千葉県)>という現場の声を取り上げています。当然、技術職は一朝一夕で育成できるものではありません。ということは、いくら財務省が複数年予算を認めようが、来年いきなり高スキルの作業員が大量に生み出されるわけはなく、どこまで景気の下支えになるのか疑問符が付きます。また、技術職こそ必要というわけですから、冒頭で挙げた産経新聞の記事の結びのように、<外国人労働者の受け入れ拡充など公共工事の円滑な執行に向けた環境整備が急がれる。>というのも、処方箋にはなりえません。
話は多少逸れますが、これを端緒に外国人労働者の受け入れを一気呵成に進ようというのは問題です。
さて、その上で、何が処方箋になり得るか?ヒントは、前回の3%から5%へ消費税の増税が行われた直後の小渕内閣の政策にあるのではないでしょうか。先程も書きましたが、景気を下支えるために公共事業を使うのは、雇用を生むため。ひいては、個人消費を拡大させて経済を回すためだと書きました。
結局、「景気の下支え=個人消費の刺激」と考えれば、4月に消費に使えるクーポン券を配るのはどうでしょう?それも、消費増税の影響が大きい4月~6月期に期間限定したものなら、貯蓄に回らず消費に回るでしょう。小渕政権の時に評判は悪かった『地域振興券』のような発想ですね。あの時も「バラマキだ!」とメディアから総スカンでしたが、データを見ると97年に消費増税があり、翌98年も落ち込んだGDPが、地域振興券を配った99年には反転しているんですね。この政策には持続性がない!一過性の物だったという批判が当時からありましたが、今回は「消費増税による駆け込み需要の反動減下支え」という一時的な下支えが目的ですから、効果と目的が一致しています。アベノミクスで経済は上向きなんですから、一過性で効いてくれればいいんです。
いずれにせよ、消費増税のマイナスを、あらゆる政策を動員して避けなければならない。私はそう思います。
公明党の山口代表がある党会合で発した言葉が、今週末マスコミを賑わしました。
「安倍晋三首相と私の間にはちょっと隙間があるけれど、風は吹いていない」
『公明代表「首相との間にちょっと隙間」』(日本経済新聞 2月2日)http://s.nikkei.com/1eph7EW
その後、山口代表も自民党幹部も釈明に追われる一幕がありました。山口代表がある会合でで、
「まったく、口は災いのもとですね。今国会はあまりニュースがないので、まるでピラニアに食い荒らされるようにメディアに報道されてしまいました。」
と、苦笑しつつ挨拶していました。
たしかに、去年の参院選でねじれが解消してからというもの、盛り上がりに欠ける国会。臨時国会は特定秘密保護法案一色に染められ、紛糾しましたが、今国会は今のところ補正予算案の審議が滞りなく進み、いきおいメディアにとってはさしたるニュースがないということになっています。それゆえ取り上げられたニュース、取るに足らない発言なんですよというのが与党サイドの言い分ですが、実はこの隙間風が今国会の大きなテーマにもなりそうなのです。
自民党と公明党で割れているといえば、繰り返し報道されるのが『集団的自衛権』。これに関する憲法解釈を変更し、安倍総理の外交方針『積極的平和主義』を体現していこうというのが官邸サイドの意向です。一方の公明党は、平和の党を標榜しているだけに非常に慎重です。
『公明代表、集団的自衛権の「国会論戦は時期尚早」』(産経新聞 1月30日)http://on-msn.com/1e2TMCI
官邸サイドとしては、これを足掛かりに憲法改正も視野に入れているだけに、対立点が分かりやすい。それだけに、これこそが自公の間に吹く隙間風だと思われていますが、実は隙間はこれ一つではありません。
今日、政府税調の総会が行われ、本格的議論が始まった法人税減税。
『法人税減税を本格論議へ 政府税調、課税範囲拡大も』(北海道新聞 2月5日)http://bit.ly/1epmwMb
総理が意欲をしめすこの法人税減税について公明党の山口代表は昨日の定例会見で答えています。党としてまだ正式に決定していないと前置きしたうえで、
「中長期的な視野でこの課題は検討していくべき。法人実効税率の引き下げということは、あって然るべき一つの目標であるという考えは持っていますが、その効果やタイミングについては慎重な検討が必要だと思います。財政健全化の中での意味を考えなければいけませんし、また、経済成長を促進するという点でも重要な意味を持っていると思います。総理のダボス会議での言及というのは、今年度の税制改正で盛り込んだ措置をしっかりアピールされているという点が主だった。一般論として議論の課題であろうと思います。」
ニュアンスとしては、法人減税にはかなり慎重。むしろ反対というような口ぶりです。この法人税減税は、安倍政権の成長戦略の目玉の一つです。それに対して、公明党は慎重。しかも、その理由として「財政健全化」を挙げているのは、財務省の慎重姿勢とそっくりです。ある政界関係者は、
「消費税を10%に増税するときに軽減税率導入を公明党は主張している。それを呑むから、法人税増税は反対してくれと財務省がかなり公明党サイドを口説いているらしい」
と解説してくれました。法人税減税をめぐる対立はアベノミクスの成否を左右しかねない対立だけに、こちらの隙間風の方がむしろ深刻かもしれません。
さらに、昨日与党ワーキングチームが発足した教育委員会改革も隙間風となりそうです。
『教委改革:「首長に教育行政の責任案」公明に根強い慎重論』(毎日新聞 2月5日)http://bit.ly/1eprWH3
この教育委員会改革に関しては、去年、中教審(=中央教育審議会)が下村文部科学大臣に改革案を答申しています。改革案には、これまで教育委員会にあった教育行政の決定権限を自治体の長に移す案(A案)と、決定権限を教育委員会に残す現行制度に近い案(B案)が併記されていて、記事にもある通り、公明党の山口代表はこのうちのA案に対して慎重な姿勢を見せています。一方、政権側は「与党はA案を中心に議論してほしい」(下村文科相)と明言しています。
この発言は、月曜の衆院予算委員会の中で飛び出しました。記事にはありませんが、この発言を引き出したのは日本維新の会の中田宏衆議院議員。維新の会はこの自公の隙間風、すれ違いを広げるべく、虎視眈々と狙っています。というのも、大阪・橋下市長の辞任の原因を見るまでもなく、維新にとって公明党は宿敵。「浪速の仇を江戸で討つ」というわけです。さらに、旧太陽系と大阪系の確執も噂される維新にあって、公明党に対するスタンスは双方一致できる数少ないポイントなだけに、党内の結集の意味もあるんですね。
これまで挙げてきたとおり、今国会で取り上げられる政策テーマの中にはいくつもの隙間風があるわけですから、維新の会にとってはまさに攻め手に欠かない展開。自公の隙間風と、それをあおる維新の会。今国会の隠れた注目ポイントです。
都知事選が告示されました。それとともに、また、いつも通りの報道規制が始まりました。いつまでたっても変わらない、世間が選挙で政治に興味を持つタイミングで報道がほとんどなくなってしまうというジレンマ。特に今回の都知事選は、やれ『争点なき選挙』、『議論なき選挙』と批判されています。たしかに、選挙前恒例、青年会議所主催の討論会も、日本記者クラブ主催の共同記者会見も行われませんでした。それゆえ、本来であれば各候補者の主張を紹介し、批判に対する答えを紹介するべきなんですが、残念ながら従来のメディアはその期待に応えられずにいます。なぜ、こうなってしまうのか?選挙の話題を避けるのはどうしてか?去年の7月、参議院選挙前に考えた、選挙前の報道についての拙ブログをもう一度引いておこうと思います。
2013年07月04日
【選挙期間中は、政治の話ができない?】
『(前略)まず、選挙というと思い浮かべるのが公職選挙法。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html
しかし、公選法という法律は、基本的に「選挙される側」、「候補者側」を縛るもの。
放送事業者を縛るものではありません。唯一放送について言及されているのは第150条、151条の2つ。
(政見放送)
第百五十条 衆議院(小選挙区選出)議員の選挙においては、候補者届出政党は、政令で定めるところにより、選挙運動の期間中日本放送協会及び基幹放送事業者(中略)のラジオ放送又はテレビジョン放送(中略)を無料で放送することができる。この場合において、日本放送協会及び基幹放送事業者は、その録音し若しくは録画した政見又は候補者届出政党が録音し若しくは録画した政見をそのまま放送しなければならない。
(選挙放送の番組編集の自由)
第百五十一条の三 この法律に定めるところの選挙運動の制限に関する規定(第百三十八条の三の規定を除く。)は、日本放送協会又は基幹放送事業者が行なう選挙に関する報道又は評論について放送法の規定に従い放送番組を編集する自由を妨げるものではない。ただし、虚偽の事項を放送し又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない。
※筆者注 第138条の3の規定とは、「人気投票の公表の禁止」の規定である
法律文を見ると難しく見えますが、150条では政見放送のやり方が書いてあり、そして、151条の3では、虚偽の事項や事実をゆがめない限り、編集の自由も保障されています。
というわけで、選挙期間中の放送について縛る法律はないわけです。
政治と放送の間で基本となる法律は、放送法となります。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html
(目的)
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
この1条2項の「不偏不党」、4条2項「政治的公平」、そして同4項「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」というところに照らして選挙報道は出来上がっているようです。しかしながら、この法律も期間を定めているわけではありません。すなわち、選挙期間中にあんなに放送内容を縛る根拠にはなりません。むしろ、この放送法の条文を厳格に運用すれば、普段から選挙前のような報道しかできないことになってしまいます。
と、ここまで調べて分かったことは、選挙期間中に放送内容を縛っている法律は存在しないということ。では、何を根拠に放送内容はきつく縛られているのか?それは、我々民放の場合は、民放連の放送基準というガイドラインでした。
http://www.mro.co.jp/mro-info/minkankijun.html
この第2章「法と政治」、11条、12条が当てはまります。
(11) 政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する。
(12) 選挙事前運動の疑いがあるものは取り扱わない。
公職選挙の選挙運動は、放送に関しては選挙期間中における経歴・政見放送だけが認められ、それ以外の選挙運動は期間中、期間前を通じて一切禁止されている。したがって、期間中はもとより期間前においても、選挙運動の疑いのあるものは取り扱ってはならない。
現職議員(地方議会議員を含む)など現に公職にある者を番組に出演させる際には、その必然性および事前運動的効果の有無などを十分に考慮して判断すべきである。
(後略)
ここで問題になるのは、放送では「経歴・政見放送以外の選挙運動」を取り扱ってはならないというところ。では、「選挙運動」とは何なのか?東京都選挙管理委員会によると、
「特定の選挙に、特定の候補者の当選をはかること又は当選させないことを目的に投票行為を勧めること。」
とされています。
http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/qa/qa03.html
すなわち、民放連のガイドラインで禁じているのは、
「○○選挙区の△△さんは素晴らしいから当選させましょう!」
というように投票を呼び掛けたり、
「××さんは議員の資格なし!投票しちゃいけません!」
なんて呼びかける行為であって、各党の政策や主張を論評すること自体は「選挙運動」に該当せず、放送を禁止されているわけではないようです。つまり、あれだけきつく放送内容が縛られていたのは、我々放送局側の自主規制に過ぎなかったのです。
一方、今回の参院選ではネットでの選挙活動が解禁となりました。先日、ニコニコ動画で与野党9党の党首を集めてネット党首討論がありました。今回は主催者側の判断で中小政党も含めて登場したわけですが、法律論でいえば、ネット上では選挙運動が解禁されたので中立公正を貫く必要がなくなったわけです。すなわち、全ての党を呼ぶ必要はない。与党と主要野党のみを呼んで、消費税増税や憲法など、ワンイシューでじっくり話し合うというようなこともできるわけです。
放送局は全ての党を呼ぼうとするから、結果として視聴者・聴取者の欲しい情報が出てこない。
ネットはその縛りがないので、有益な情報が出てくる。
どちらが国民の知る権利に応えているかは一目瞭然でしょう。となると、ネット選挙が定着すると、放送における「中立公平」というものそのものが問われてくると思うのです。
これについては先行事例があります。アメリカでも、かつては現在の日本のように放送の中立公平を定めた条文がありました。対立する問題では、双方の意見を紹介すべしという「フェアネスドクトリン」というもの。そして、1970年代から、アメリカではケーブルテレビが普及しチャンネル数が爆発的に増えました。そのときアメリカでは、爆発的に増えた全ての放送局でフェアネスドクトリンを実行するよりも、各々の放送局が独自の主張を放送することで、全体として多様な意見が世に出て、結果的に中立公平が保たれるという意見が増えていったんですね。で、1987年、連邦通信委員会はフェアネスドクトリンを廃止しました。
アメリカの場合はケーブルテレビによる多チャンネル化が触媒でしたが、日本の場合はネットによる選挙活動の解禁が触媒となるのか?ネット選挙で一番変わるのは、地上波放送局なのかもしれません。』
(原文 http://www.1242.com/blog/iida/2013/07/)
残念ながら、ネット選挙が解禁されても今のところ地上波放送局は変わっていません。一方で、ネットメディアの方がよっぽど「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を実践しています。たとえば、ジャーナリスト・津田大介さんが編集長を務めるポリタス。
http://politas.jp/
各界から、毎日3~4人の方々が様々な角度から今回の都知事選を論じています。中には、特定の候補者を応援するようなものもありますが、様々な意見がある分、読んでいる方は右に左に揺れながら、全体として中立のところに落ち着いていくのではないでしょうか。
ポリタスなどを読んでいると、いつになったら日本の既存メディアは、教条的な「中立公正」から抜け出すことができるのか?それがなければ近い将来、既存メディアは見捨てられるのではないか?危機感を覚えずにはおられません。
海上自衛隊の護衛艦おおすみが広島県大竹市沖で漁船と衝突し、漁船の船長と乗客の2人がなくなった事故。2人の方が亡くなった痛ましい事故であり、海上保安庁による事故の解明が待たれるところです一方で、この事故もまた、秘密保護法案から先週の都知事選へと続く、新聞の社論の違いで報道の仕方が全く違うニュースとなりました。
保守系のメディアは比較的穏当で、護衛艦、漁船双方に落ち度がなかったか冷静な原因究明が待たれるというスタンスです。産経新聞の社説にあたる主張欄でも、
『「おおすみ」事故 海の安全には何が必要か』(1月18日)http://on-msn.com/1aAvVdo
法的には船の大小に関係なく、お互いに注意を払わなければならないし、追い越しといった事例の場合には追い越す側に回避義務があることも認めています。
一方、<海上で守るべき交通ルール>も紹介しています。私も、この事故が起こってすぐ、船舶免許を持っている方々に話を聞いたんですが、彼らが口を揃えて言うのが、
「あれだけの大型船と小型船じゃ運動性能が全然違うから、小回りのきく小型船が先に避けるのが海の常識だよ。第一、海の上であのプレジャーボートみたいな漁船から見たら、おおすみなんて『山』だよ。普通は恐くて近寄れないけどなぁ」
これについてはネット上でも様々なサイトに書いてあり、少しでも船に乗る人にとっては常識中の常識なのです。たとえば、(一財)日本海洋レジャー安全・振興協会のホームページにある『海洋レジャーハンドブック』(http://bit.ly/KjrwF2)ここの3ページに、大型船の特性について1ページを割いて書いてあります。
また、前述の海の男たちは、こんなことを言っていました。
「大型船と並走すると、自然と引き寄せられることがあるんだよ」
これについても、このハンドブックの3ページに載っています。
<◆大型船の附近では造波や吸引作用により船の操縦が困難になります。
大型船に近づくと船首附近では大型船の造波の影響を受け、小さな船が波に押されて操縦が困難になり、船側では2船間の水の流れが早くなるため吸引作用が働き、小さな船は吸い寄せられることになります。>
船側では吸引作用が働く。今回、衝突痕が残るのはおおすみの左舷中央部。まさしく船側。さらに、こんな記述も。
<速力の大きい場合や水深の浅い場合には船側の水の流れが早くなるため、影響が特に顕著になります。>
現場は阿多田島の東1キロの海上。水深は浅い...。条件としてはぴったり合うわけですね。もちろん、これは可能性の一つに過ぎませんし、海保の捜査結果を待ちたいと思いますが、海のルールについては、現場から遠く離れた東京でもこのぐらいは取材が可能ということです。それを思えば、捜査中の案件でもあり、護衛艦、漁船双方の見方を伝えるなり、第三者的に海のルールを紹介するなり、中立な立場からでも出来ることはたくさんあると思うんですね。
ところが、リベラルメディアは違いました。普段から自衛隊の存在をあまり快く思っていないその感情が、紙面に乗っかってしまっています。直後の東京新聞の社説では、
『自衛艦衝突 見張りは十分だったか』(1月16日)http://bit.ly/KjwhP9
と、見出しからして護衛艦側に責任があるかのような書きぶり。さらに本文では、イージス艦あたごが房総沖で漁船と衝突した事故や潜水艦なだしおが釣り船と衝突した事故をを引き合いに出し、
<「まさか」よりも「またか」と言いたくなる。自衛艦の衝突事故は、これまでも相次いできた。>
として、
<死者を出した両事故以外にも、この十年で五件の衝突が起きている。実に二年に一件という割合だ。海自に厳しい目が向けられるのもやむを得まい。>
と、原因究明が済んでいない内から早くも海自責任論一色でした。
その後の報道でも、事実を並べるだけだが、その並べ方で自衛隊の責任を匂わせるという高等テクニックで、受け手を導きます。共同通信のラジオ・テレビ向け原稿ですが、ネットには上がっていないので該当部分を引き写しますと、
『衝突前に10㌔加速 自衛艦、航跡記録示す 広島沖の衝突』
<広島県沖で海上自衛隊の輸送艦と釣り船が衝突し2人が死亡した事故で、事故の通報の十数分前に、輸送艦が時速10キロほどスピードを上げていたことが分かりました。
(中略)
船の針路や速度などを数分おきに知らせる船舶自動識別装置の発信データの記録によりますと、おおすみは15日午前7時43分、島の間の狭い航路を抜けると、その後の6分間で時速およそ21キロから32キロまで加速し、その後、十数分の間ほぼ同じ速度で航行しました。しかし、おおすみから第6管区海上保安本部に事故の一報が寄せられた8時1分には時速およそ12キロまでスピードを落としており、事故の発生を受けて救助のため減速したとみられます。釣り船に乗っていて救出された寺岡章二さん67歳は「おおすみがスピードを上げて右から当たってきた」と話していて、海上保安本部はおおすみの乗組員からも当時の状況を聞き、衝突原因の解明を進める方針です。>
並べられているのは事実のみ。でも、その並べ方で自衛隊側に責任があるかのような印象にする。見事な技術です。本来はおそらく、<島の間の狭い航路を抜け>たので速度を巡航レベルまで上げていったというのが真相でしょう。ところが、速度を上げたという一文の後に、釣り船に乗っていた方のコメントを引いていて、まるでスピードを上げたことが事故の原因のような書き方です。これを印象操作と言わずして何と言うのでしょうか?
とはいえ、ニュースの編集権は報道機関の側にあります。問題は、全ての人が3紙も4紙も読み比べることは出来ないということです。1紙のみの人が大半。2紙取っていれば上出来でしょう。ネットがあるから取ってないという人も多いと思います。そうした場合、一方の意見のみをシャワーのように浴び続けるわけで、同じ事故でも理解されたイメージは全く異なることになります。これで、国民の「知る権利」に応えたことになるのでしょうか?普段言い募る「中立公平」だと言えるんでしょうか?私には疑問に覚えてなりません。
猪瀬直樹前都知事の辞任に伴う東京都知事選の告示日が迫る中、リベラルメディアを中心に今回の選挙の争点を「脱原発」だとする報道が増えてきています。特に、かねてから「脱原発」を主張してきた細川元総理が出馬へ意欲を見せ始めた先週から、その流れが顕著になりました。さらに、小泉元総理が細川氏に同調する構えというような観測記事もあり、「脱原発」が争点というのはもはや既成事実になりそうな勢いです。
しかしながら、私は非常に違和感を感じます。この「脱原発」と称されるエネルギー問題は、東京都が抱える問題なのでしょうか?安倍総理が外遊先で指摘するまでもなく、これは国政レベルの問題だと素朴に思うのです。
『安倍首相、「脱原発」争点化に警戒感 都知事選』(1月13日 朝日新聞)http://bit.ly/1ezO3GO
さて、国家の在り方にもさまざまな考え方がありますが、その中に国家の役割を最小限に抑えるという「夜警国家」という概念があります。
『夜警国家』(goo辞典)http://bit.ly/1a1Se15
国家は国防や治安維持、最低限の福祉を行って、あとは民間に任せれば世の中は上手く回るのだという自由主義的な考え方です。その是非については議論がありますが、そうした国家の役割を極力限定するという考え方の中でも、エネルギーを含む安全保障は国家の仕事であるとされています。それをなぜ、一都道府県の首長選挙の争点にできるのでしょうか?
こう言うと、「東京都は東電の大株主だから」という反論が来ることもあります。人によっては筆頭株主だから変えられるんだという意見まであります。しかし、調べてみると東京都はもはや筆頭株主ではありません。
『株式等の状況』(東京電力ホームページ)http://bit.ly/1ezNexH
もちろん、大株主には違いありませんが、第4位株主で発行済み株式の1.20%。確かに、2012年の株主総会の時には筆頭株主でしたが、それでも持ち株比率は2.66%でした。
『東京電力 主要株主構成(平成24年3月31日現在)』(コストダウン)http://bit.ly/1a1TiBX
ちなみにこの時は、当時の猪瀬直樹東京都副知事が東電病院について経営陣を追及したときです。
たった1%足らずの持ち株比率で、どうやって「脱原発」しろというのでしょうか?そもそも出来っこないことが、なぜ選挙の争点になるのでしょうか?東京都知事候補は、東京都の将来を語っていただきたい。都民が今回の選挙に望むことは、この一点なのではないでしょうか?
1981年12月5日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。O型。
2004年、横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。
現在、ニッポン放送アナウンサー。
ニュース番組のパーソナリティとして政治経済から国際問題まで取材活動を行い、ラジオでは「議論は戦わせるものではなく、深めるもの」をモットーに情報発信をしている。
趣味は野球観戦(阪神タイガースファン)、鉄道・飛行機鑑賞、競馬、読書。
■出演番組
≪現在≫
・「飯田浩司のOK!COZY UP!」
≪過去≫
・「ザ・ボイス そこまで言うか」
・「辛坊治郎ズーム そこまで言うか」
■Twitter
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