スポーツ伝説

2024.03.15

2024年3月11日~15日の放送内容

【高校野球 高橋奎二投手】
 2014年春のセンバツ高校野球で、当時歴代最多となる38回目の出場となった京都の名門・龍谷大平安高校。チームの強みは強力打線と、レベルの高い4人の投手が揃っていたことです。その投手陣の中でも注目を浴びたのは、現在東京ヤクルトスワローズで活躍する高橋投手です。高橋投手は当時まだ2年生。メジャーリーグの名投手ノーラン・ライアンのように足を高く上げる独特の投球フォームから“古都のライアン”と呼ばれていました。高橋投手の初登板は、2回戦の八戸学院光星高校戦。先発として8回3分の1を投げ、2失点という安定感のある投球を見せます。準々決勝ではリリーフで好投を見せると、続く準決勝の佐野日大高校戦では、現在オリックス・バファローズで活躍する田嶋大樹投手と対戦。高橋投手はこの大会屈指のサウスポー対決を制し、1失点で完投勝利を収めました。
 14年の時点で、夏の甲子園は3度の優勝を経験していた龍谷大平安高校ですが、春のセンバツはベスト4止まり。悲願の初優勝をかけ、決勝で対戦したのは大阪の履正社高校でした。龍谷大平安は、初回に2点を挙げ先制すると、4人のピッチャーをフル活用する継投策に出ます。先発の高橋投手を3回途中で2番手にスイッチ。4対2と2点リードの8回、ワンナウト満塁のピンチを迎えると、3年生のエース・中田竜次投手が4番手でマウンドに上がり無失点に抑えます。継投策が見事にハマった龍谷大平安は最終回にダメ押しの2点を挙げ、6対2で悲願のセンバツ初優勝を成し遂げました。京都勢のセンバツ優勝は66年ぶり。龍谷大平安にとっては春夏通じて70回目の甲子園出場という節目の大会で、大きな成果を挙げたのです。

 

【高校野球 林謙吾投手】
 記念大会のため例年より4校多い36校が出場した昨年のセンバツ高校野球。開会式直後の開幕試合に登場したのが、山梨学院高校です。エースの林投手が1失点完投の見事なピッチングで、勝利を飾ります。実は林投手、秋の関東大会の時点では背番号は10でした。しかし冬の間に1日150球の投げ込みと筋トレに励んでひと冬で大きく成長。続く2回戦も9回1失点の好投で2試合連続の完投勝利を収めると、3回戦・準々決勝はリリーフ投手の援護を仰ぎ、いずれも100球近くを投げて勝利に貢献します。迎えた準決勝は、広島の名門・広陵高校と対戦。実は過去の春のセンバツで「山梨県勢は準決勝の壁を突破できない」というジンクスがありましたが、エース・林投手はこれに果敢に立ち向かい、9回を1失点。142球の熱投でみごと準決勝の壁を突破してみせました。
 決勝戦の相手は、兵庫の強豪・報徳学園でした。林投手のコンディションはベストとはほど遠い状態でしたが、5回までを2点に抑えると味方打線が奮起します。その裏、フォアボールと5連打で一気に逆転に成功。なおもランナー二塁で打席に立ったのは、キャッチャーの佐仲大輝選手でした。ここまで林投手のボールを受け続けてきた相棒が放った打球は、レフトスタンドに飛び込むツーランホームランに。これで7対2と5点のリードをもらった林投手は、その後の報徳打線を1失点に抑え、4度目の完投勝利を達成。山梨学院が山梨県勢春夏を通じて初の全国制覇を果たすと共に、林投手はセンバツ史上初の6勝を挙げ、696球を投げる鉄腕ぶりを発揮しました。

  
     
【MLB 松井秀喜選手】
 “ゴジラ”の異名を取り、読売ジャイアンツの主砲として活躍した松井選手。その松井選手がニューヨーク・ヤンキースでプレーを始めたのは、2003年のことでした。1年目から全試合に出場し、地区優勝に貢献。翌04年は、ヤンキースが松井選手のかつてのホームグラウンド・東京ドームで開幕シリーズ2連戦を行うことに。日本のファンにとっては、2年ぶりに松井選手のプレーを生で観られる絶好のチャンスになりました。開幕2連戦の初戦、松井選手は2番・レフトで先発出場し、1回表、ワンナウトランナーなしの場面で早くも打席が回ってきます。注目の初打席でアウトコースへのストレートを弾き返すと、打球は右中間を破るツーベースヒットに。日本のファンの前で04年初ヒットを記録した松井選手は、直後に先制のホームも踏んで観客を大いに沸かせました。
 松井選手のツーベースで幕を開けたものの、その後逆転を許し、開幕戦を白星で飾れなかったヤンキース。松井選手のバットが、第2戦で火を噴きます。まずは1点を追う3回、ライト前へのタイムリーヒットを放ち、同点に追いつくシーズン初打点を記録。さらに5回、ワンナウト一塁の場面では、推定飛距離130mの特大凱旋アーチを披露します。松井選手に続けと打線が爆発し、大量12点を挙げたヤンキースがシーズン初勝利。松井選手はこの年、メジャーリーグで日本人初となるシーズン30ホーマー超えを果たしました。

  
【MLB 松坂大輔投手・岡島秀樹投手】
 “平成の怪物”と呼ばれ、西武ライオンズで活躍していた松坂投手が海を渡り、ボストン・レッドソックスへ移籍したのは2006年オフのこと。1年目の07年から15勝をマークし、ワールドシリーズでも白星を挙げてシリーズ制覇に大きく貢献しました。翌08年、レッドソックスは開幕シリーズをオークランド・アスレチックスと東京ドームで開催すると発表し、松坂投手の日本凱旋が決まります。3月25日の開幕戦、先発のマウンドに上がった松坂投手。メジャーリーグで日本人が開幕投手を務めるのは、04年の野茂英雄投手以来2人目でした。松坂投手は初回、2番バッターに先制のソロホームラン。さらに3連続四死球で満塁のピンチを作ると、ピッチャーゴロの間に1点を失い、2点を献上してしまいます。それでも2回以降は得点を与えず、5回まで投げ抜いた松坂投手。6回に味方打線が3点を挙げて逆転に成功し勝ち投手の権利得て降板しますが、リリーフ投手が再逆転を許したため、凱旋勝利は消えてしまいました。
 1点を追う9回、レッドソックスは土壇場で若手のモス選手が同点ホームランを放って追い付くと、その裏にマウンドに上がったのは岡島投手。北海道日本ハムからレッドソックスに移籍し、1年目の07年は3勝2敗5セーブ27ホールドと、中継ぎとしてチームに欠かせない存在になっていました。長年在籍した巨人のホーム・東京ドームで大歓声に迎えられた岡島投手は、みごと9回裏を無失点に抑えます。試合はそのまま延長戦に突入し、延長10回に2点を挙げてレッドソックスが勝利したため、岡島投手が凱旋勝利。日本人投手2人の活躍に、ファンは大いに沸きました。

 

【MLB イチロー選手】
 日本開催のメジャーリーグ開幕戦に日米両方で活躍したレジェンド・イチロー選手が初めて凱旋出場したのは、2012年のことでした。当時シアトル・マリナーズに在籍していたイチロー選手は、3月28日、東京ドームで行われたオークランド・アスレチックス戦に3番打者としてスタメン出場。前年の11年に発生した東日本大震災の復興支援も兼ねていたこの試合は特別なものになると、イチロー選手は気持ちを高ぶらせました。第1打席、叩きつけた打球が高くバウンドして内野安打となり、ファンを沸かせます。第2打席も俊足を飛ばし、再び内野安打で出塁。第3打席はセンター前にヒットを放つと、第5打席もセンター前へタイムリー。5打数4安打1打点と、開幕戦勝利に大きく貢献しました。
 18年、他球団への移籍を経て6年ぶりにマリナーズに復帰したイチロー選手。復帰2年目の19年3月20日、東京ドームで行われたアスレチックスとの開幕戦に9番・ライトで先発出場しますが、2打席で途中交代になります。翌日の第2戦も9番・ライトで先発出場しますが、この日も快音は聞かれず。4打数ノーヒットに終わった上、試合中にイチロー選手が第一線を退く意向のニュースが流れ場内は騒然。試合が終わっても帰らないファンのために、再びグランドに現れたイチロー選手。イチローコールが響きわたる場内を一周しながら、最後の別れを告げました。

  
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!

    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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