スポーツ伝説

11月28日~12月2日の放送内容

【Jリーグ チャンピオンシップ93年 川崎vs鹿島】
 
 1993年に開幕したJリーグ。その初代年間王者を決めるチャンピオンシップが行われたのは、年明け94年1月のことでした。この時は現在のチャンピオンシップとシステムが異なり、ファーストステージとセカンドステージの優勝チーム同士が対戦。2試合を行い、トータルの成績で年間王者を決めるシステムでした。初年度は、ファーストステージを制した鹿島アントラーズと、セカンドステージで優勝したヴェルディ川崎が対戦。当時の鹿島は、ブラジルの英雄だったジーコ選手がチームの中心メンバーで、CMでも人気を集めたアルシンド選手が前線でゴールを量産し続けました。一方、ヴェルディ川崎は、“カズ”こと三浦知良選手やラモス瑠偉選手・北澤豪選手・武田修宏選手など、日本代表のスター選手たちを擁し、人気・実力共にJリーグの象徴とも言える存在でした。
 注目のチャンピオンシップ初戦は、東京・国立競技場に5万人以上の大観衆を集めて行われました。試合は、2対0でヴェルディ川崎が勝利。初代王者に王手をかけます。第2戦も国立競技場で行われましたが、先制したのは、もう後がない鹿島でした。しかしジーコ選手の退場処分などの波乱もあり、試合は1対1の引き分け。2試合合計で1勝1分けのヴェルディ川崎が、初代Jリーグ年間王者に輝いたのです。
   

 
【Jリーグ チャンピオンシップ97・98・01年 鹿島vs磐田】

 90年代後半から2000年代前半にかけ、3度にわたってJリーグチャンピオンシップの舞台で激突、Jリーグの覇権を争った宿命のライバルが、鹿島アントラーズとジュビロ磐田です。最初にこの両雄がチャンピオンシップで対戦したのは97年のこと。前の年に年間王者となり、この年もファーストステージを制した鹿島に、セカンドステージを制した磐田が挑みました。結果は、“ゴン”こと中山雅史選手が2試合で3ゴールを挙げる活躍を見せ、磐田が2連勝。初のJリーグ年間王者に輝きます。両チームは、翌98年もチャンピオンシップで激突。この年は2試合とも1点差の接戦の末、鹿島が2連勝。前年の雪辱を果たし、王座を奪い返しました。99年のチャンピオンシップは、磐田が清水エスパルスを下し、再び王座を奪還。2000年は鹿島が横浜F・マリノスを破りまた奪還と、交互に年間王者に輝いた両チーム。三度、チャンピオンシップで相まみえたのが01年でした。
 この年磐田は、当時、日本代表の司令塔を務めた名波浩選手を中心に、5人の中盤で構成する新フォーメーション「N-BOX」を考案。中山選手と高原直泰選手のフォワード陣もゴールを量産し、圧倒的な強さでファーストステージ優勝を果たします。ところがセカンドステージでは、チームの要である名波選手がケガで離脱。高原選手も海外挑戦でクラブを離れてしまいます。その隙をついて鹿島が抜け出し、勝ち点わずか1の差で磐田を振り切って、セカンドステージを制覇。こうして3度目のライバル対決が実現することになりました。雌雄を決する01年のチャンピオンシップはまさに死闘となりましたが、鹿島はこの年6度目の対戦でついに磐田を破り、前年に続いて2年連続年間優勝を達成しました。敗れた磐田はこのシーズン、年間を通じて負けた試合はたった3試合。年間総合の勝ち点でも鹿島に大差をつけながら、最後の最後に屈辱を味わうことになったのでした。
  

       
【プロ野球 新語・流行語大賞】

 今年の新語・流行語大賞が発表になりました。今年は、25年ぶりのリーグ制覇を成し遂げた広島カープ・鈴木誠也選手の神懸かり的なバッティングを表現した「神ってる」が大賞となり、去年の「トリプルスリー」に続き、2年連続で野球界から大賞が生まれました。
 新語・流行語大賞が始まったのは1984年のこと。2年後の86年には、「新人類」という言葉が、現在の年間大賞にあたる流行語部門・金賞を受賞。その代表として、工藤公康投手・渡辺久信投手ら、西武ライオンズの若手選手たちが表彰式に招かれました。翌87年には、連続試合出場記録で当時の世界記録を更新し、国民栄誉賞も受賞した広島の衣笠祥雄選手が「鉄人」で特別賞に輝いています。94年には、プロ野球史上初のシーズン200本安打を達成したオリックス・イチロー選手が、「イチロー」で大賞を受賞。翌95年には、日本人メジャーリーガーのパイオニアとして旋風を巻き起こしたロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手も、「NOMO」で大賞に輝きます。また95年といえば、阪神・淡路大震災が発生した年でもあり、この年のオリックス・ブルーウェーブの合言葉だった「がんばろうKOBE」も大賞を受賞しました。96年は、首位・広島に最大11.5ゲーム差をつけられながら、奇跡的な逆転優勝を果たした巨人軍の長嶋茂雄監督の「メークドラマ」。98年には、横浜ベイスターズを38年ぶりの日本一に導いた守護神・佐々木主浩投手のニックネーム「ハマの大魔神」が、それぞれ大賞を受賞しました。99年は、1年目からいきなり20勝を挙げてセ・リーグ最多勝に輝いた巨人の上原浩治投手の「雑草魂」、高卒1年目で16勝を挙げ、パ・リーグ最多勝に輝いた西武の松坂大輔投手が「リベンジ」で、共に大賞に輝きました。大賞以外でも、2003年、阪神・星野仙一監督の「勝ちたいんや」、06年、日本ハムを日本一に導いたトレイ・ヒルマン監督の「シンジラレナ〜イ」なども印象に残る言葉です。記憶に新しいところでは、14年も「カープ女子」が流行語トップテンに選出されています。
  

    
【柔道 ベイカー茉秋】
 
 柔道の国際大会・グランドスラム東京2016が開幕しました。この大会での注目選手の一人が、リオデジャネイロ オリンピック男子90キロ級で日本人初の金メダリストとなった、ベイカー選手です。自宅が柔道の総本山・講道館に近かったこともあり、柔道を始めたのは6歳の時でした。その後、柔道の強豪校・東海大浦安高校に進学すると、時には1日7食、ウエイトトレーニングにも取り組み、66キロ級から90キロ級まで階級を上げたベイカー選手は、高校トップの選手に成長しました。東海大学に進学すると、子どもの頃から憧れていた、シドニーオリンピック100キロ級金メダリスト・井上康生さんのゼミに入り、さらに実力に磨きをかけ、ついにオリンピック代表の座をつかんだのです。
 ベイカー選手が出場した男子90キロ級は、日本勢が金メダルを獲得していない唯一の階級で“未踏の階級”といわれていました。その90キロ級で、日本人初のオリンピックチャンピオンに輝いたベイカー選手。4年後の東京オリンピックでも再び金メダルを獲得し、柔道王国復活をアピールしたいと切に願っています。

   
  
【Jリーグ J1昇格プレーオフ】

 上位リーグと下位リーグの間で、毎年入れ替えがあるJリーグ。トップリーグのJ1からは毎年、年間順位の下位3チームがJ2へ自動降格となりますが、J2から自動的に昇格できるのは年間順位の上位2チームだけ。残る1つの枠を、年間3位から6位までの4チームが、トーナメント方式で争います。試合は上位チームのホームスタジアムで行われますが、負けたら終わりの一発勝負。上位チームが敗れる波乱も多く、最も順位が低い年間6位のチームが昇格する、いわゆる“下克上”が過去4年で2度も起こっています。その最初の例が、実施初年度の2012年です。この年、年間6位の大分トリニータは、準決勝で3位の京都サンガFCと対戦すると、森島康仁選手が4得点を挙げる活躍で決勝進出を果たします。迎えた昇格プレーオフ決勝。相手は、こちらも上位チームを破って勝ち上がった5位のジェフユナイテッド千葉。5位と6位による決勝戦になり、大分は6位からの下克上昇格を果たしたのです。
 その2年後の14年にも、準決勝でJ2年間4位のジュビロ磐田と、6位のモンテディオ山形が対戦。後半のアディショナルタイムに山形のゴールキーパー・山岸範宏選手が、コーナーキックからまさかのヘディングゴールを決め、劇的な決勝進出を果たします。Jリーグ公式戦でのゴールキーパーの得点は7例目ですが、ヘディングによる得点は史上初でした。3位の千葉との対戦となった決勝では、山岸選手が本業の守備でファインセーブを連発。見事に完封勝利を飾り、4年ぶりのJ1昇格の立役者となりました。


   
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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