スポーツ伝説

11月13日~17日の放送内容

【サッカー 鈴木隆行選手】

 強豪ひしめくヨーロッパにおいて、一番乗りでワールドカップ出場を決めたベルギー。この強豪国と過去4度対戦して、2勝2分けとなぜか相性がいい日本代表は、ここ2試合は連勝中で、直近の2013年に行われた敵地での試合でも3対2と競り勝っています。その中でも最も印象深いベルギー戦といえば、2002年 日韓ワールドカップのグループリーグ初戦です。日韓ワールドカップは自国開催ということもあり、決勝トーナメント進出が至上命題だった日本代表。初めて出場した1998年 フランス大会はグループリーグ3戦全敗に終わり、ワールドカップ初勝利はおろか、勝ち点も得たことがない状況で強敵ベルギーを迎えました。
 この試合で一躍その名を轟かせたのが、フォワードの鈴木選手。グループリーグ突破のため、なんとしても勝ち点が欲しい日本でしたが、1点を先制される厳しい展開。そんなピンチを救ったのが、鈴木選手のつま先でした。先制点を許した直後の後半14分、後方でボールを受けた小野伸二選手から、前線に送られたロングボール。このボールにいち早く反応し、ディフェンダーを置き去りにした鈴木選手は、とっさに利き足ではない右足を伸ばしました。その懸命に伸ばしたつま先が相手ゴールキーパーよりも一瞬早くボールに触れ、コースを変えたボールはそのままゴールへ。この同点ゴールが選手たちを勇気づけ、日本はワールドカップ史上、初の「勝ち点1」を手にすることができたのです。そしてこの引き分けが、決勝トーナメント進出につながりました。


 
【野球 稲葉篤紀監督】

 これまで侍ジャパンの指揮を執ってきた小久保裕紀前監督が、今年3月の第4回WBCを最後に退任。代わって指揮官に選ばれたのが、稲葉新監督です。
 現役時代はヤクルト・日本ハムと、セ・パ両リーグで主砲として活躍し、どちらのチームでも日本一を経験。また日本代表として、2008年の北京オリンピックとWBCに2度出場。09年の第2回WBCでは主軸バッターとして活躍し、世界一に貢献しました。指導者としても、15年春からWBCまで、侍ジャパンの打撃コーチを務めていた稲葉監督。監督経験こそないものの、国際経験と兄貴分として選手たちに慕われていた人柄を買われ、指揮官に抜擢されました。
   

   
【野球 宣銅烈監督】
 
 今年7月、野球・韓国代表の指揮官に就任したのが、中日ドラゴンズの守護神としても活躍した、韓国プロ野球界の英雄・宣(ソン)新監督です。
 韓国に戻って指導者となり、2005年からサムスン・ライオンズの監督に就任。就任から2年連続リーグ制覇を果たしました。今年3月に行われた第4回WBCでは韓国代表の投手コーチを務めましたが、韓国代表は2大会連続で1次リーグ敗退。宣監督はチームの立て直しを依頼され、韓国代表では史上初の専任監督として就任しました。監督経験は豊富ですが、韓国代表を指揮するのは今回の「アジア プロ野球チャンピオンシップ」が初めて。侍ジャパンの稲葉新監督とは“初陣対決”ということになります。

   
  
【スキージャンプ 伊藤有希選手】

 平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを来年2月に控え、ここからますます注目度が増すウィンタースポーツ。中でもメダル有力といわれているのが、女子スキージャンプです。金メダル候補は、ワールドカップ個人総合優勝4回を誇る“絶対女王”高梨沙羅選手ですが、日本にはもう一人、有力なメダル候補がいます。昨シーズンのW杯個人総合ランキングで高梨選手に次ぐ2位につけた、伊藤選手です。
 2007年3月、当時小学6年生だった伊藤選手は、早くも国際舞台で頭角を現します。国際大会「コンチネンタルカップ」で3位。史上最年少で表彰台にのぼったのです。11年、女子ジャンプのオリンピック種目採用が決定すると、伊藤選手は競技に集中するため、高校卒業と同時に尊敬する同郷の先輩・葛西紀明選手が監督を兼務する、土屋ホームへ入社します。翌14年のソチオリンピックでは7位入賞でしたが、ワールドカップでは安定した成績を残し、総合3位という好成績。昨シーズンはこれまで未勝利だったワールドカップで5回も1位に輝き、その他の大会でも安定した成績で、総合順位は高梨選手に次ぐ2位。世界選手権では3位の高梨選手をおさえ、銀メダルを獲得しました。もはや日本の女子ジャンプは高梨選手と伊藤選手の“Wエースの時代”といっても過言ではありません。
   
  
   
【スキージャンプ 伊東大貴選手】

 前回の2014年ソチオリンピックで、長野大会以来16年ぶりのメダルとなる団体銅メダルを獲得した日本ジャンプ陣。当時41歳ながらメダリストとなった“レジェンド”葛西紀明選手が注目を浴びましたが、20代から40代まで、年齢が幅広かったジャンプ日本代表のまとめ役となったのが、当時28歳のエース・伊東選手でした。
 ソチオリンピックの大会直前、伊東選手は左ヒザ痛を発症。足がまっすぐ伸びない状態が数日続き、トレーニングもままならない苦しい状況にありました。そのため、個人ノーマルヒルは欠場。ラージヒルには出場したものの、満足のいく結果は残せませんでした。しかしすべてをかけて臨んだ団体戦で、130m超えの大ジャンプを連発。メダル獲得に大きく貢献したのです。
  

         
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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