スポーツ伝説

2024.04.26

2024年4月22日~26日の放送内容

【プロ野球 間柴茂有投手】
 今年、球団創立50周年を迎えた日本ハムファイターズ。半世紀に及ぶ歩みの中で球史に輝く連勝記録を樹立したピッチャーといえば、1980年代を中心に活躍したサウスポーの間柴投手です。もともと、大洋ホエールズに入団した間柴投手。70年にデビューして以来、勝ち星に恵まれず、プロ3年目までに7連敗を喫した“連敗男”でした。プロ5年目の74年にようやく初勝利を挙げると、翌75年は開幕から6連勝。そこから再び連敗トンネルに突入し、77年まで足かけ3年で13連敗。大洋時代は一度も勝ち越したシーズンはありませんでした。
 しかし77年オフに日本ハムファイターズに移籍すると、投手コーチの一言で流れが大きく変わります。移籍3年目の80年、プロ11年目にして初めて2ケタの10勝を挙げました。 81年、間柴投手は前半戦、打ち込まれる場面も多かったものの、味方の援護などで黒星はつかず、順調に白星を積み重ねていきます。迎えた9月13日の阪急ブレーブス戦。間柴投手は152球を投げ抜き、6連続完投勝利で開幕から14連勝を達成。日本プロ野球の開幕連勝新記録を樹立したのです。そんな間柴投手の快進撃もあってこの年、前身の東映フライヤーズ時代以来19年ぶり2度目、日本ハムファイターズとしては初めてのパ・リーグ制覇を達成。間柴投手も連勝記録を15まで伸ばし、シーズン15勝0敗。勝率10割と負け知らずのままシーズンを終え、初のタイトル「最高勝率」を獲得しました。

  
 
【プロ野球 トミー・クルーズ選手】
 これまでチームを支え、盛り上げてきた個性豊かな外国人選手たちが中でも、80年代のファイターズを語る上で外すことができない助っ人外国人といえば、1980年に来日し、6シーズンにわたって安定した成績を残したクルーズ選手です。来日1年目の80年当時、パ・リーグは前期・後期の2シーズン制でした。クルーズ選手は変化球が多い日本のピッチャーに苦しみ、前期は低迷しますが、後期に入ると7月末から8月にかけて、5試合連続ホームランを記録。8月はホームランを9本、9月には6本打ってこの年26本のホームランを放ちました。そんなクルーズ選手の代名詞といえば、ヘルメットが吹き飛ぶほどの豪快なフルスイングです。それでも三振は意外に少なく、1年目はわずか44個。チームプレーに徹し、二塁打が多いのも特徴でした。
 2年目の81年は、持ち前のミート重視のバッティングで主に3番打者を務め、この年リーグ最多となる30本の二塁打を記録。日本ハムファイターズとして、初めてのリーグ優勝に貢献しました。そんなファイターズでのキャリアの中で、もっとも華々しい成績を収めたのは、5年目の84年です。同じ年に入団したトニー・ソレイタ選手が、前年限りで退団。助っ人として果たすべき役割がこれまで以上に大きくなる中、クルーズ選手はヒットを量産。首位打者争いを繰り広げます。この年、三冠王に輝いた阪急ブレーブス・ブーマー・ウェルズ選手には及びませんでしたが、リーグ2位の3割4分8厘をマーク。ホームラン29本、96打点といずれも自己最高の数字を残しました。翌85年には、打率3割2分1厘と好成績を残しますが、ホームランは19本に減り、長打力を求めた監督の方針からオフに惜しまれつつ退団。在籍6シーズンで、4度の打率3割超えを記録しました。

     
 
【プロ野球 西崎幸広投手】
 日本ハムが北海道移転前のエースといえば、1980年代後半~90年代中盤に活躍した西崎投手です。プロ1年目は日本ハムが後楽園球場を本拠地とした最後の年、87年。前半戦で4勝を挙げると、7月には2試合連続完投。8月にはプロ初完封勝利をマークして破竹の10連勝を飾ります。この年は近鉄バファローズのルーキー・阿波野秀幸投手も大活躍を見せ、2人のハイレベルな新人王争いは注目を浴びました。2人は共に15勝を挙げ、防御率は2点台。最終的に最多奪三振のタイトルを獲得した阿波野投手が新人王に選ばれますが、西崎投手も新人王と同等の活躍をしたとして、史上初めてパ・リーグ会長特別賞を受賞。西崎投手は2年目も15勝を挙げ、阿波野投手に先んじて最多勝のタイトルを獲得し、パ・リーグを代表するエースに成長します。長身で細身だった西崎投手は、当時人気のトレンディドラマに出て来るようなイメージから、〝トレンディエース”と呼ばれ、プロ野球の新たなファン層拡大にも貢献しました。
 プロ入りから5年連続で2ケタ勝利を挙げるなど、コンスタントに勝利を重ねた西崎投手。そのハイライトは95年です。4月に東京ドームで行われた西武ライオンズとのデーゲーム。西崎投手は7回までノーヒットピッチングを続け、許したランナーはフォアボール2つのみ。ところが8回、平凡なセンターフライに打ち取ったはずの打球が太陽の光を受けた東京ドームの白い天井に溶け込んでしまい、外野手がボールを見失って三塁打に。まさかの形で大記録を逃した上に、続くバッターをフォアボールで歩かせたあと同点スリーランを打たれ、勝利も逃してしまいました。しかし西崎投手はこの悔しさをバネに、再び大記録に挑みます。3ヵ月後の7月、東京ドームで行われた西武戦に先発すると、伸びのあるストレートと切れ味鋭い変化球を武器に西武打線を翻弄。与えたフォアボールは1個だけ。奪った三振の数は12という圧巻のピッチングで、今度こそノーヒットノーランを達成しました。97年のオフにトレードで西武へ移籍しますが、日本ハムでは在籍11年で7度も2ケタ勝利を挙げ、本拠地が東京時代のファイターズを代表するエースとして一時代を築きました。

 
【プロ野球 田中幸雄選手】
 ファイターズひと筋22年。〝ミスターファイターズ”と呼ばれた田中選手は、高校野球の名門、宮崎県の都城高校から1985年のドラフト3位で入団しました。まだ本拠地が東京・後楽園球場だった時代です。86年、プロ1年目から1軍で14試合に出場した田中選手。2年目は、チームの若返りを目指す高田繁監督が田中選手を開幕からショートのレギュラーに抜擢します。大きなチャンスを得た田中選手でしたが、西武球場で行われた開幕戦での悪送球が尾を引き、イップスに陥ります。1試合で3つのエラーを記録することもあり、この年はパ・リーグ最多の25失策を記録。イップスを克服するため、田中選手は試合後に猛練習。寮に寝泊まりしていた猿渡寛茂内野守備走塁コーチの指導のもと、ボールを捕って投げることを何千回と繰り返します。やがて悪送球は大きく減り、田中選手はゴールデングラブ賞を通算5度受賞する守備の名手となりました。
 守備が安定した一方、田中選手のプロ2年目の打率は2割3厘と低いまま。転機となったのはプロ3年目の88年、中日ドラゴンズから37歳のベテラン・大島康徳選手が移籍してきたことでした。大島選手からいろいろ学んだ田中選手はこの年、打率が2割7分7厘に上昇。以降、91年まで4年連続で全試合に出場しました。93年には外野にコンバート。94年から再び3年連続で全試合に出場し、ショートに戻った95年には4番打者も務めて80打点をマーク。オリックス・イチロー選手、ロッテ・初芝清選手と並んで打点王に輝きます。97年には、プロ野球史上3人目となる、1番から9番まで全ての打順でホームランを打つという珍しい記録、全打順ホームランを達成。チームが北海道に移転した後も現役を続け、2006年にはプロ21年目にして初のリーグ優勝と日本一を経験。07年5月17日、通算2000安打を達成した球場は、移転前に慣れ親しんだ東京ドームでした。

 

【プロ野球 金子誠選手】
 東京ドームが本拠地だった1993年、日本ハムにドラフト3位で入団したのが、茨城の常総学院高校出身・金子選手です。強打の大型ショートとして期待されながら、1軍に定着できなかった金子選手。今年ダメならもうやめようと開き直った3年目の96年。セカンドでレギュラーをつかみ、主に2番打者として117試合に出場した金子選手はリーグ最多の38犠打を記録し、チームの2位躍進に貢献して新人王に輝きました。金子選手は守備の名手に贈られるゴールデングラブ賞を、セカンドとショートで計3度受賞しています。その時のチーム事情によって二遊間を両方こなしたのは、必要とされる場所で全力を尽くそうとした証しです。9年目の2002年からはショートを守っていた田中幸雄選手がサードに転向したため、代わってショートに。背番号も、阪神へ移籍した片岡篤史選手がつけていた8番を自分から希望して譲り受けます。
 03年、外国人のトレイ・ヒルマン監督が就任すると、出塁率など数字を重視する監督と、数字に表れない働きで勝負していた金子選手は時に衝突することもありました。それでも金子選手はヒルマン監督と何度も会話を重ね、いい関係を築いていきます。06年からは選手会長に就任。チームを1つにまとめ、試合では主に9番打者として上位につなぐ役割を果たします。この年、日本ハムは25年ぶりのリーグ優勝と44年ぶりの日本一に輝きます。金子選手は第2戦での7回に、中日ドラゴンズ・山本昌投手から逆転のタイムリーヒットを放ち、チームはそこから4連勝。シリーズの流れを変え、日本一に導く貴重な一打となりました。続く07年はキャプテンも兼任して、リーグ連覇を経験。09年には自身初の打率3割をマークして、北海道移転後3度目のリーグ優勝に貢献するなど、ファイターズを支え続けました。

 

来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!

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    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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