スポーツ伝説

2024.02.10

2024年2月5日~9日の放送内容

【MLB 野茂英雄投手】
 体を大きくひねるトルネード投法からの威力のあるストレートと落差のあるフォークで、1年目から4年連続で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。近鉄バファローズのエースとして活躍した野茂投手は、1994年オフに任意引退の形で近鉄を退団すると、翌95年にマイナー契約でロサンゼルス・ドジャースに入団しました。メジャーリーグは94年、選手会のストライキのためシーズンが途中で中止となり、続く95年も通常よりおよそ1ヵ月遅れで開幕。そんな中、野茂投手は実力でメジャー昇格を勝ち取り5月に初登板。かつてサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした村上雅則投手以来、史上2人目の日本人メジャーリーガーとなりました。その後は6月にメジャー初勝利を挙げると、前半戦に6勝する活躍を見せ、その独特のフォームから“トルネード旋風”を巻き起こします。日本人選手として初めてオールスターゲームに出場。先発投手を務め、「NOMOマニア」という熱烈なファンも現れるなど、野茂投手はストライキの影響でファン離れが進んでいたメジャーリーグを救う救世主となったのです。
 メジャー1年目は13勝6敗で、日本人選手初の最多奪三振と新人王のタイトルを獲得。2年目の96年9月には、コロラド・ロッキーズ戦で偉業を成し遂げます。マウンドがぬかるむ中、トルネード投法を2回で封印。セットポジションからのピッチングに切り替えた野茂投手は、ロッキーズ打線を最終回まで翻弄。標高が高くて空気が薄いため打球が飛びやすく、バッター有利といわれる敵地・クアーズ・フィールドで、ノーヒットノーランを達成したのです。日本人投手では史上初。この球場でも初となる偉業でした。チームの柱となった野茂投手でしたが、4年目の98年、シーズン途中の6月にニューヨーク・メッツへトレードされ、ドジャースを退団。その後、様々なチームを渡り歩いた後、2001年のオフに再び古巣ドジャースに舞い戻ります。ドジャースで通算7シーズン投げ、81勝をマークした野茂投手。日本人選手がメジャー移籍する道を切り拓いたパイオニアでもありました。

 

【MLB 石井一久投手】
 ヤクルトスワローズの左のエースとして、5度のリーグ優勝と4度の日本一に貢献した石井投手。2001年オフにメジャー
リーグへの挑戦を表明すると、翌02年、ポスティングシステムに入札があったロサンゼルス・ドジャースに入団します。この年は野茂英雄投手が古巣ドジャースに復帰。2人はチームメートになりました。メジャーデビューは、02年4月6日、開幕から5戦目のロッキーズ戦です。本拠地・ドジャースタジアムで行われた試合に先発した石井投手は、3回まで1人のランナーも許さないパーフェクトピッチングを披露。6回ツーアウトまで投げ、2安打無失点・10奪三振という堂々たるピッチングでメジャー初先発・初勝利を挙げました。
 その後も順調に白星を積み重ね、開幕6連勝を飾った石井投手。4月は5戦負けなしで月間最優秀新人に輝き、前半戦だけで11勝をマークします。ところがシーズン終盤の9月8日、アストロズ戦で強烈なピッチャーライナーを頭部に受け、頭蓋骨を亀裂骨折。そのままシーズンを終えましたが、石井投手はメジャー移籍1年目から、野茂投手の13勝を1つ上回る14勝を挙げました。翌03年も前半で8勝を挙げながら、後半は左ヒザの故障もあってトータル9勝と2年連続2ケタ勝利は逃します。しかし3年目の04年は13勝を挙げ、しっかり実力を示した石井投手。7月31日のパドレス戦では、3回にライトスタンドへ飛び込むメジャー初ホームランも。石井投手はヤクルト時代にも通算3本のホームランを放っていて、日米両方でホームランを打った、初の日本人投手となりました。
  
  
     
【MLB 斎藤隆投手】
 横浜ベイスターズのエースとして活躍し、1998年、38年ぶりの日本一にも貢献した斎藤投手。“ハマの大魔神”佐々木主浩投手がメジャーへ移籍すると、代役で抑えを務めます。先発に戻った2003年以降は故障に悩まされ成績が低迷しましたが、現役最後に夢をかなえたいと、05年のオフにメジャー挑戦を宣言。06年2月、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結びました。この時、36歳目前。年齢的にも厳しいだろうと見られていた斎藤投手の入団会見は、ドジャースタジアムの駐車場で、日本人記者数人による囲み取材が行われただけでした。開幕は3Aでスタート。しかしこの年、ドジャースは開幕から故障者が出たため、斎藤投手はリリーフ要員として急遽メジャーに昇格します。デビューは4月9日のフィリーズ戦。同点で迎えた8回、1アウト一・二塁のピンチをピッチャーゴロ・ダブルプレーに仕留めて、みごとピンチを切り抜けました。
 徐々に信頼感を築いていった斎藤投手。この年ドジャースは、守護神のエリック・ガニエ投手が故障で離脱。代わりの抑えがリリーフに失敗するケースが続き、斎藤投手にチャンスが巡ってきます。横浜で抑えの経験がある斎藤投手は、5月15日のロッキーズ戦で初セーブを挙げると、安定感のあるピッチングで守護神の座を勝ち取り、6勝2敗24セーブという成績で1年目を終えました。この間、ストレートの球速が上がり、時には160キロ近い剛速球を投げることも。36歳という年齢では極めて珍しいことです。ドジャースに08年まで3シーズン在籍して、12勝81セーブを挙げた斎藤投手。年齢の壁を越え、憧れのメジャーで大輪の花を咲かせました。

  
【MLB 黒田博樹投手】
 メジャーリーグに挑戦する前の広島カープで通算103勝を挙げ、エースとして活躍した黒田投手。2007年のオフにFA権を行使して、ロサンゼルス・ドジャースに移籍します。08年4月、開幕直後のパドレス戦で、33歳にしてメジャー初登板・初先発。この試合では、大学時代にも対戦している井口資仁選手をノーヒットに抑えるなど、7回3安打1失点の好投を見せ、メジャーデビュー戦でみごと初勝利を飾りました。黒田投手がメジャーで成功する最大の武器となったボールは、キャッチャーが電光石火を意味する“エレクトリック”と呼んだ、鋭く曲がるスライダーです。このスライダーを効果的に使い、6月のカブス戦では9回を4安打無四球、11個の三振を奪う好投でメジャー初完封勝利を飾ります。さらにその1ヵ月後、7月のブレーブス戦では、打たれたヒットは1本だけ。許したランナーもその1人だけ。準完全試合の快投を演じてみせました。
 4年目の11年には、黒田投手の奮闘とは裏腹にチームは低迷。プレーオフ進出を目指す複数の球団からトレードを打診されましたが、拒否権を行使して、シーズンの最後までドジャースで戦う道を選びます。チーム愛を重視する黒田投手は「キャンプからずっと一緒にやってきたメンバーと戦い抜きたかった」と、この年13勝を挙げ、2年連続2ケタ勝利を達成。メジャーでは自身初となる、シーズン200イニング登板も成し遂げました。14年オフ、メジャー球団からの高額オファーを蹴って古巣・広島復帰を決めた黒田投手の男気は、ドジャース時代からすでに発揮されていたのです。

 

【MLB 前田健太投手】
 広島カープ時代の9年間で通算97勝。沢村賞にも2度輝くなど、エースとして活躍した前田投手。メジャーリーグに移籍した2016年、最初にプレーした球団がロサンゼルス・ドジャースでした。カープ時代と同じ背番号18を背負い、メジャー初登板の試合で前田投手は衝撃のデビューを飾ります。投げては6回無失点と好投を見せ、メジャー初登板・初勝利を達成。打っては、レフトスタンドへホームラン。ドジャースの投手がメジャー初登板の試合でホームランを打ったのは、実に69年ぶり。日本人投手では史上初の快挙でした。前田投手のメジャー1年目の成績は、16勝11敗。この年、ケガ人が続出したチームでただ1人先発ローテーションを守り、地区優勝に大きく貢献しました。
 前田投手は続く17年にも13勝を挙げ、メジャー移籍1年目から2年連続で2ケタ勝利を達成。日本人投手では史上5人目の記録でした。ドジャースに在籍した4年間で3度の2ケタ勝利を挙げ、通算47勝と安定した成績を収めた前田投手。もう一つ忘れてはならないのは、ポストシーズンでの活躍です。メジャー2年目の17年。プレーオフではリリーフに回り、地区シリーズとリーグ優勝決定シリーズで合計5試合に登板。いずれも1人のランナーも許さない完璧なピッチングを見せ、29年ぶりのワールドシリーズ進出に貢献します。アストロズとのワールドシリーズでも4試合に登板しましたが、チームは惜しくも3勝4敗で敗れました。続く18年も、前田投手はレッドソックスとのワールドシリーズでもマウンドに。2年連続ワールドシリーズ登板は日本人初の快挙でした。

  
来週のスポーツ伝説は……
 2/12(月) サッカー 大迫勇也選手
 2/13(火) サッカー 武藤嘉紀選手
 2/14(水) サッカー 樋口雄太選手
 2/15(木) サッカー 伊藤敦樹選手
 2/16(金) サッカー 西川周作選手
                お楽しみに!!

    パーソナリティ
    • 滝本沙奈
      滝本沙奈
      滝本沙奈

      滝本沙奈

      生年月日:1984年6月6日
      出身地:東京
      学歴:青山学院大学文学部英米文学科卒
      趣味:マリンスポーツ(ダイビング、サーフィン、釣り)
      資格:PADIオープンウォーターダイバー、おさかなマイスターアドバイザー

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