1985年生まれ、兵庫県出身の40歳。2005年、21歳のときに事故で右足を失いました。その後、アームレスリングを始め、関西チャンピオンに2度輝き、そこから脚に障がいがある選手によるベンチプレス競技、パラ・パワーリフティングに取り組み、2022年、全日本選手権・88キロ級で170キロを挙げて初優勝。今年3月の全日本選手権では自己新記録の190キロを挙げて4連覇を飾りました。6月のチャレンジカップ京都では、97キロ級に出場。195キロを挙げて日本新記録を樹立。3年後のロスパラリンピック出場を目指しています。
◾️2005年、大きな事故に遭い右足を切断することに。その後、アームレスリング、いわゆる「腕相撲」を始めたきっかけは?
「会社内にジムがありましたから、そこに1度顔を出して、会社の昼休みだけですけど、上半身を鍛えようと思って通い始めたのが、まず体を鍛え始めるきっかけです」
「ジム内にすごい体の人がいたので声をかけたら、アームレスリングをやっているんだと。そこで僕も上半身の競技ならできるなと思ったので、アームレスリングを始めることにしました」
◾️アームレスリングでは、70キロ級で2回、関西チャンピオンに輝いた田中選手。そこからパラ・パワーリフティングに出会ったきっかけは?
「関西オープン選手権で優勝できたことにまず満足していたことと、これ以上自分は伸びないんじゃないかっていう不安もありました。そこでリオ・パラリンピック、パラパワーリフティングを見て、これなら自分でもできそうだっていう風に思ったのと、まだまだ日本記録が当時低かったので、転向することに決めました」
◾️2018年、田中選手は福岡県北九州市で行われたアジア・オセアニア選手権に出場。この大会から階級を72キロ級に上げると、それまで超えられなかった130キロの壁を突破した。
「この大会で、130キロどころか140キロも超えて。第3試技ではみんな142キロに挑むんじゃないかって言われてたんですけど、そこを大幅に超える146キロに挑戦して成功したんで」
「140キロも練習では触ったことがなかったし、140キロが第2試技で取れただけでも十分満足だったんですけれども、その日のコンディションと、あとはコーチと相談して、146キロ行けるとアドバイスももらったし、自信もあったので挑むことにしました」
◾️「重量級でも、世界で戦っていける」という手応えを感じた2022年、韓国で行われたアジア選手権。この大会で田中選手は、ある“節目”の記録に挑戦した。
「パワーリフティングで175キロっていうのは1つのボーダーラインにしている人が多いと思うんですけれども、その理由は、バーベルにプレートを付けるんですけれども、プレートの1番重たいのが赤色の、25キロのプレートを付けるんですけれども。175キロっていうのは、その25キロのプレートを両側に3枚ずつつけたときの重量になるんです。この赤色のプレート3枚をつけると、やっぱり重量級だなっていう風に見えてくるので、これを自分があげたときに『重量級でもやっていけるな』と実感しました」
◾️88キロ級では国内トップの田中選手だが、2024年のパリパラリンピックには出場することができなかった。
「パリは実力的に8位以内に入れなかったことが1つと、最終選考会で192キロにチャレンジしたんですけれども、それを挙げ切ることができなかったことが敗因ですね」
◾️今年3月、海外の選手も招いて行われた全日本選手権では、88キロ級で自己新記録の190キロを挙げて、大会4連覇を達成した田中選手。
「第2試技で190キロを失敗してしまったので、第3試技でも190に挑むことになってしまいました。となると、予定していた200キロにチャレンジすることができなくなってしまったので、特別試技として第4試技で200キロに挑戦する流れになりました。大会の結果に関係ないんですけれども、日本記録に挑む場合は、挑むことができるっていう試技です」
「その次の大会に向けて200キロの感覚を大会で味わっておきたかったので、崩れることは分かっていたので、あまりこう落ち込むこともなく『触ることができて良かったな』という印象でした」
◾️今年6月に行われたチャレンジカップ京都では、88キロ級よりさらに上の97キロ級に出場。195キロを挙げ、再び自己新記録を更新した。
「パリで負けたことが、やっぱりこう、1つの階級で戦うよりも2つの階級で攻めたいなと思っていたので、体重的には88キロ級ぐらいだったんですけれども、無理やりお腹に食べ物と飲み物放り込んで97キロ級に出て。ま、枠を2つ取ろうという作戦で行きました」
「計量としては1番最初、87.5ぐらいだったんですけど、緊急で水と食べ物入れて。ぎりぎり88.1、100グラムぎりぎり超えることができて、試合に出ることができました」
「88キロ級で出ても、これぐらいは挙げられるんだ、っていう自信になりました」
◾️2028年のロスパラリンピックに出場するための条件は?
「世界ランキング8位以内が出場条件になっています。まだパラランキングというのは反映されてなくて。来年から反映されるんですけど、今、世界ランキング的には11位12位ぐらいのところにいます」
「階級としてはまだ88キロ級で戦っていきますが、ロスが近づいてくると97キロ級での記録も残しておきたいので、やっぱり2つの枠で攻めるっていうのは間違いないんですけれども、メインは88キロ級になると思います」
◾️田中選手にとって、パラ・パワーリフティングの魅力とは?
「そのたった3試技、胸の上でバーを止めるあの一瞬、あそこにみんなの気持ちが詰まっています。みんなの気持ちを背負って、みんなの力でバーを押し上げている姿。あそこに魅力があると思います」

2025.12.08
田中翔悟(パラ・パワーリフティング)
1985年生まれ、兵庫県出身の40歳。2005年、21歳のときに事故で右足を失いました。その後、アームレスリングを始め、関西チャンピオンに2度輝き、そこから脚に障がい...

2025.12.01
西山乃彩(ブラインドサッカー女子日本代表)
2000年生まれ、埼玉県所沢市出身の25歳。先天性の目の病気のため、右目は義眼、左目は弱視の状態です。4歳からサッカーを始め夢中になり、2021年から弱視の選手がプレ...

2025.11.24
下野勝也(パラカヌー)
1990年生まれ、鹿児島県出身の34歳。三建設備工業株式会社所属。2017年、事故で頚椎を損傷。車いす生活になり、リハビリの一環として車いすバスケットボール、車いすラ...

2025.11.17
平岡早百合(デフバレーボール女子日本代表)
1999年生まれ、神奈川県出身の26歳。耳がきこえにくいため、普段は補聴器をつけています。小学3年生のときにバレーボールを始めました。高校2年生から聴覚に障がいのある...

2025.11.10
古崎倫太朗(車いすバスケットボール)
2001年生まれ、福井県出身の24歳。先天性ミオパチーにより、生まれつき両足に機能障がいがあります。小学2年生から車いすバスケットボールを始め、15歳でU23日本代表...