1995年生まれ、大阪府出身の30歳。千葉ホークス所属。3歳のときに事故にあい、車いす生活に。小学生から車いすバスケットボールを始め、高校時代はU23日本代表に選出。2017年からA代表に選ばれ、障がいが重いローポインターながら、当たり負けしない貴重な選手として活躍しました。2018年から株式会社Gunosyに入社。拠点を関東に移し、国際試合でも活躍しています。
◾️緋田選手3歳のとき、事故で下半身に障がいを負った。ひと通りパラスポーツを体験したなかで、最終的に選んだ競技は、車いすバスケットボールだった。最初は地元・大阪のスポーツ教室でプレーしていた緋田選手。ある日、当時兵庫県の「姫路ポテト」というチームに誘われ、大人と一緒にプレーをするようになった。
「まず体がやっぱり子供でちっちゃかったので、筋力的にやっぱりシュートも届かないし、動きも遅いしっていうなかで大人とプレーすることもあるので。最初は必死でしたね。楽しいっていうのはもうちょい先だったかもしれません」
「大人にもちろん勝てるわけがないというか、やっぱり体格差もすごいし、経験値の差もあるので。でもやっぱり何かでは勝とうっていうのはずっと思っていましたね。毎回両親に車で送ってもらって、毎日やってるわけではないんですけども、週1回か月に2回ぐらい。練習自体は神戸のあたりでやってましたね」
◾️大人と一緒にプレーしたことで、スキルが磨かれていった緋田選手。高校生になると、U23日本代表に選ばれた。
「選ばれた瞬間っていうのはそんなに、特に、こう気合が入ったとか、そんなことはなかったんですけど。いざ大会が始まって現地に着いて、海外の選手を見ると『これが同年代?』っていうような感覚になって。これは頑張らないとなって思ったのは覚えています」
「元々は遊び感覚から始まって、そんな天才な感じではないんですけど、だんだんレベルアップしていって。海外の海外でプレーする経験をもらって。やっぱり大会が大きくなっていくにつれて、周りで支えてくれている人とか、応援してくれている人が増えていくっていうのは感じましたね」
◾️2016年、大学時代に開催されたリオパラリンピックのときは、代表の最終候補まで残ったものの、惜しくも選ばれなかった。
「この頃は、まだそんなに代表のなかで活躍できるという自信も別になかったので。頑張ってはいましたけど。あまり悔しいっていうことはなかったです。それよりも、次に向けて、という感じでした」
◾️その後も、日本代表を支えるメンバーとしてプレーをした緋田選手。2017年に行われたアジア・オセアニアチャンピオンシップスの準決勝、イラン戦では、故障した選手に代わって重要な場面を任された。
「その試合は僕の競技人生のなかでも、すごい大きな分岐点じゃないですけど、プレイヤーとして大きく成長した試合であることは間違いないんですけど。試合の内容っていうのはあんまり覚えてなくて。ローポインターはディフェンスからってよく言われていたので、まずはディフェンスでチームに貢献して。そのあとオフィスではチャンスをどんどん作っていくっていう役割を与えられていました」
◾️この大会では一度も勝っていなかった強豪・オーストラリアに初めて勝った。
「とにかく必死にがむしゃらにやってたんですけど、結構うまいこといくことが多いなっていう印象は覚えています」
◾️2019年夏には、一時代表落ちも経験した緋田選手。しかし3ヵ月後、アジア・オセアニアチャンピオンシップスで代表に復帰した。
「自分が入ることによって、またその分違う、プレースタイル。チームとしての何か役に立てるかなっていう気持ちはありました」
◾️2021年の東京パラリンピックには、残念ながら出場できなかった緋田選手。
「日本代表が東京パラリンピックで銀メダルを取ったことは、正直すごく複雑な気持ちでした。自分もその舞台で戦いたかったって思うと、やっぱり悔しい気持ちもあるし。自分じゃない12人が行ったからこそ、成し遂げられた結果なのかなっていう、認めないといけない部分もあるしっていう気持ちで。すごい複雑でした」
「パラリンピックはやっぱりずっと車いすバスケをやってきた人間としては、やっぱり1つの目指すべき目標だと思っています。でも今、車いすバスケでは日本代表活動の方はもう辞退して、昔ちょろっとだけやっていた車いすマラソンの方もちょっと挑戦しようかなって考えている時期です」
◾️いよいよ来月、3月6日から車いすバスケットボールのクラブ日本一を決める「第51回天皇杯」が行われる。大会は今年から、江東区青海に新設されたTOYOTA ARENA TOKYOで開催される。緋田選手は、千葉ホークスの一員として、頂点を目指す。
「もちろん個人的には負けたくはないので、やっぱり優勝ということにはなりますけども。ちょっと正直まだ早いかなっていうのもあるので、今年の天皇杯は、より良い成績残せるように、より自分たちの力が発揮できるように、調整して臨んでいきたいと思います」
◾️緋田選手は2024年12月、大分国際車いすマラソンに参加。ハーフマラソン・男子で52分46秒、14位に入り新人賞を受賞した。
「昔、車いすマラソンをやっていたときに一緒にやっていた選手が今、東京にいるので、その人と一緒にいろいろトレーニングしてもらっていて。大分マラソンは大きい大会でもあるし『遊び感覚でいいから出なよ』って言ってくれたことがきっかけで出場しました」
「思ったよりは良かったかなと思います。52分46秒は。ただ、車いすマラソンをやっていた、昔やっていた時の最後の方に出たハーフマラソンのタイムが多分もう少し良かったので。当時中学生ぐらいだったんですけど。なので、もうちょっと頑張らないとなとは思っています」
「マラソンはやっぱこう、自分しかいないので。孤独というか、自分と戦うというか、そういう感覚はあります。やっぱり気持ちの強いとかポジティブなタイプではないんですけど、逆にここで諦めたらダサいなとか、ここでやめるのは違うな、って。もうそれだけですね。逃げてはいけないって思って頑張って走りきりました」
「もう少しハーフマラソンでタイムを縮められてきたら、フルマラソンの方に挑戦しようとは思っています」
◾️緋田選手に、これからの夢を聞いてみた。
「パラリンピックに出たいという気持ちはやっぱりまだあるので、それがマラソンになるのか、他の競技になるのかわからないですけど。これからも車いすスポーツの中で生きていこうと思っています」

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