ニッポンチャレンジドアスリート

2025.11.24

下野勝也(パラカヌー)

1990年生まれ、鹿児島県出身の34歳。三建設備工業株式会社所属。2017年、事故で頚椎を損傷。車いす生活になり、リハビリの一環として車いすバスケットボール、車いすラグビーを始めました。2020年「ジャパンパラ車いすラグビー競技大会」に出場したのをきっかけに、本格的に車いすラグビー選手として活動。現在はパラカヌーに競技転向して、3年後のロスパラリンピック出場を目指しています。

◾️子どもの頃からスポーツが万能だった下野選手。陸上自衛隊に在籍していたこともあった。ところが2017年、事故で頚椎を損傷。2018年から、車いすスポーツに取り組むようになり、まずは車いすバスケットボールを始めた。

「車いすバスケットボールを始めたきっかけっていうのが、退院後もっと回復するために、自分1人でできるどんどん生活をしていけば、もっと回復するんじゃないかっていう気持ちがあって、まず1人暮らしを始めたんですね」

「そこで、もちろん1人体幹も効かないし、胸から上しか使えないんで、すごく苦労はしたんですけど、3ヶ月も経てばある程度普段の生活にも余裕ができてきて。これだけ余裕ができてきたら、もっと強度を上げたトレーニング、リハビリをしたいなっていうので、紹介してもらったのが車いすバスケットボールという競技で」

「鹿児島県に今住んでるんですけど、鹿児島県にも車いすバスケットボールチームがあって、たまたま1人暮らしを始めた地域の近くの体育館でバスケットボールの練習をしてるってことで、参加させてもらって。現在も続けてるというような感じですね」

◾️さらに2019年から車いすラグビーを始める。

「車いすバスケットボールの大会が熊本県であったんですけど、そのときにたまたま車いすラグビーの選手、熊本出身の選手がその大会を見に来ていて、声をかけてもらって、元々自衛隊のときにラグビーもやっていましたので、練習に参加させてもらったっていうのがきっかけです」

◾️車いすラグビーを始めるにあたって、まずは地元・九州を拠点とする「福岡ダンデライオン」に入団。鹿児島から練習に通った。体格の良さを買われて、2020年、日本代表の強化指定選手に選出された下野選手。この年に行われた「ジャパンパラ競技大会」がデビュー戦になった。

「すごく不安な思いが強かったんですけど、その中で同じチームになった選手たちみんなが笑いながら声かけてくれて「思いっきり走ればいいから」とか、すごく前向きな声をもらって、なんとかその大会を終えることができました」

◾️下野選手は、2024年1月に行われた日本選手権出場を最後に、車いすラグビー選手としては第一線から退くことを決めた。

「ここで一線を退いた理由は、3年に1度、クラス分けの再検査っていうのがあって。そのクラス分けを受けたときに、手の障がいがほとんどないに近い、等しいという判断を受けて、点数オーバーになってしまったんですね」

「手の障がいが回復したことによって、3.5点を超える障がいの軽さになってしまったので、国際大会に出ることができなという感じになって。世界を目指すことができないっていうので一線を退こうって決断しました」

「障がいが回復した理由なんですけど、体幹が弱い僕にとっては『僕のこの手を生かして、パスを確実にさばける選手になろう、そこで僕は勝負しよう』っていう風に考えて、一生懸命、手のトレーニングをしたんですね。指を動かしたりとか。そうやっていくうちに、どんどん機能が良くなって、ボールさばきも良くなってきたんですけど、それが仇となったというか、選手資格がなくなってしまいました」

「そもそも、回復するっていうことはいいことなんだけど、なんかいいのか悪いのかわからないなっていう気持ちが強くて。『なんなんだろう?』という気持ちが結構続きましたね」

◾️2024年1月、車いすラグビーの第一線から退いた下野選手。新たな競技・パラカヌーを始めた。

「車いすラグビーがダメになったときに、知り合いに『僕の障がいでもできる競技ってあるかな?』っていうのを話してたときに『パラカヌーはどうなの?』みたいな感じで話をしてもらって。ちょうどその人の知り合いで、当時の日本代表の監督をされてる方と面識があるみたいな感じで。で、連絡先を聞いて、すぐ問い合わせをしたんです」

「そしたら『ちょうど鹿児島県で日本代表の合宿をやってるから、よかったら見に来てみないですか』みたいな感じで誘われたのがきっかけですね」

「すぐ見学に行かせてもらったんですけど、行ったらもうそこにもカヌーが準備してあって・『せっかく来たから乗ってみれば』みたいな感じで。もちろんすぐ落ちました、水の中にです。そのあと何度かするうちに乗れるようになって『これは僕でもできるんじゃないかな?』と思って、それから通いだしたのが始まりですね」

◾️パラカヌーを始めて2ヵ月後、2024年3月に行われた日本代表選考会に下野選手は最も障がいの重い「クラス1」で出場。いきなり優勝を飾った。

「勝ち負けは全然気にしてなくて、まずしっかりスタートラインに入ってゴールすることが目標だったんですね。ゴールしたっていう記憶を残すために、安全に落ちずにゴールするっていうことだけを目標にやった大会だったんですけど、思いのほか、まっすぐ行って優勝することができました」

◾️優勝して代表資格がもらえるはずだったが、大会後に突然、下野選手は障がいが軽いクラスに変更。パリパラリンピックの代表枠からは外れてしまった。

「またクラス分けでな何かあるんだ、っていうような。ラグビーに引き続き。もう笑いしか出てこなかったんですけど」

「僕はその後、病院に行って、MRIとかレントゲンとか撮ったり、筋電を測ってもらってとかして、情報をたくさん集めたんですね。再検査をお願いしたんです。そしたら翌年にクラス1で日本代表で活動できるように、今年度からですね、なりました」

「もちろんパリに出られなかったのは悔しい。そのことがあったおかげで、去年1年はすごく競技に対して色々考えるようにもなりましたし、結果的にプラスになったなという気持ちはあります」

◾️下野選手は現在、三建設備工業株式会社に所属。パラカヌーに競技を転向してからも、会社からはサポートを受けている。

「ラグビーをしていたとき、私、市役所で勤務していたんですけど、強化指定選手をもらってから、仕事とスポーツの両立がすごく厳しくなってきて。みんなに相談したりしていると『アスリート雇用になったらいいんじゃない?』っていう話を聞いて。スポーツを仕事として活動できる制度というのがあるっていう話を聞いて、やってみようかなというので会社を探していたところ、今の会社を見つけて、採用していただくという形になりましたね」

「スポーツ活動を業務として活動しています。あと、競技に必要な道具、カヌーだったり、カヌーを漕ぐパドルだったり、あと体に合った装備、シートとかですね。……を提供してもらって、それを使って今競技をしています」

「元々車いすラグビーの方で雇用してもらったんですけど、国内のチームで活動できるんだったら、そのまま続けてもらってもいいですよっていう風にすごく言ってもらったんですけど、僕の中でアスリートとして活動していく中で、やっぱり世界を目指せるスポーツで頑張りたいなっていう気持ちが強くて。なので競技転向を『パラカヌーの方に転向したいです』という話をしたところ、会社の方にも快く受け入れてもらって、今新たにパラカヌーの方をメイン競技として活動しています」

◾️3年後、ロスパラリンピックに出場するための目標タイムは?

「今年、世界選手権、8月にミラノに行ってきたんですけど、そこで優勝タイムが58秒でした。優勝タイムが58秒、世界基準タイムが大幅に速くなったんですね。私はその大会で、自己ベストを更新する1分16秒っていうタイムでゴールをすることができたんですけど、次の3月に日本代表選考会があるので、それまでにあと1分12秒切らなきゃ来年度世界選手権に行けないっていう状況になってて。基準タイムがどんどん上がってて、厳しくなっているっていうのは現実であります」

「1分12秒っていうのは、全然僕の中では目指せないタイムでもないですし、もっとその1分を切るっていうのも3年後には視野には入れてますし、自分の動きを分析したりしてトレーニングしています」

◾️下野選手の夢は?

「カヌーに限らずなんですけど、今ですね、車いすバスケットボールも継続し続けていますし、ラグビーはトレーニングの一環としてすごく大事なものだということにも理解はしているので、今年度から競技者として……趣味としてなんですけど、活動しています。その中で『こういう競技があるんだよ、こういう競技でどういうことができるんだよ』っていうのを、競技に関わる機会がない人、障がい者もそうですけど、健常者もそうです。たくさんいると思うんですね。そういう人たちにいろんなことを伝えられたらなっていう」

「もっとそうして、機会のない障がい者に機会を与えるきっかけとなればいいなと思いますし、また、健常者に対しては、サポートが必要だったりとか、いろんな形で関われることもありますので。多くの人にパラスポーツというものを知ってもらいたいなっていう、そういう気持ちで今後もどんどん活動していきたいなっていう風には思っています」

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