高田文夫のおもひでコロコロ

2022.09.23

第45回『幸せ丸十年』

まずは前回のつづきから。

 

「ビートたけしの幸か不幸か」

(昭和60年12月・1985)

この頃は もう日本中の男子の口調が たけし節。鳥取の奥の方へ行こうが北海道のロシア寄りに行こうが口調が「バカ野郎!」「オイラはよ」「○○だっつーの」「この幸せ者!三国一!」日本中が足立区だった。この年 TVでは「たけしくん ハイ」がドラマ化。映画では高倉健の「夜叉」が話題。たけしの”シャブ中”最高。撮影中に名曲「浅草キッド」生まれる。

 

 

 

「ビートたけしの不幸中の幸い」

(昭和61年12月・1986)

この年は「日本アカデミー賞」の式に鞍馬天狗の格好で出ていったら大すべりした。

 

 

 

 

 

 

「ビートたけしの全面幸福」(昭和63年5月・1988)

ン?いつも年に1冊ずつ12月に出していた この「幸せシリーズ」なのに63年の5月? そう その間に夜中に どこかの出版社へ軍団と言っちゃった訳さ。番組も半年休み。あれこれ じたばたあって私もゼェゼェつないだりなんかして やっと復帰。その頃の裏話が山盛りの1冊。

「そこに傘と消火器があったから 12月8日は たけし記念日」(田原町下車)。

こう書いても俵万智からクレーム1本こなかった。余談ですが「サラダ記念日」へのオマージュです。

 

 

「ビートたけしの その男 幸せにつき」

(平成2年1月・1990)

とうとう9冊目にして元号も昭和から平成になっております。第1回監督作品「その男 凶暴につき」が いよいよ完成公開という歴史的な瞬間だ。私も よく深夜の生放送10年も伴走したよ。これだけのANN本を書きながら放送台本も あれこれ書きなぐり私名義の出版物も次々と出し雑誌連載もつづけた。たけしも高田も偉い!ここいら辺から「世界のキタノ、関東だけのタカダ」と言われ始める。「たけし軍団」と「関東高田組」である。少し下がって「大川興業」。

 

 

 

 

「ビートたけしの 幸せ丸十年」(平成2年11月・1990) 

丸10年走りつづけた豪華記念本。大型で430頁もあるタウンワークがちな本。これにて10年10冊完結。青春も終り。10年も「オールナイト」をやって これで当分誰も この記録は破れないだろうと ほくそえんでいたら「ナイナイ岡村」「オードリー」らが楽々とクリアして行った。チックショーー by小梅太夫。おまけにワカチコ ワカチコだ。

「オールナイトニッポン」の公式本的なものは以上だが番組終了後18年も経っているのに未練がつのって「どうしても出したい」と言われ力づくで出されたのが次の本。これがなかなか中身が充実。松尾スズキが中心になって作られた。

 

「ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!」

(平成20年2月・2008)

第1回の放送やら「戦メリ」カンヌ落選などのリアルな速記が今でも死ぬほど笑える。

 

 

 

 

 

 

 

 

松尾スズキのイラストがまた絶妙。圧倒的支持を受けた「たまきん全力投球」のコーナーを叫ぶたけし。私が夕飯を食べLFへ向かう時 テレビでやっていたのが売り出し中の田原・野村・近藤の「たのきん全力投球」。「これだ!」と手を打ち たった1文字変えただけで男子の大好きなド下ネタへ。「たまきん」を深夜に ひとりシコシコする「全力投球」の あらゆるテクニックを募集したのだ。ハガキ職人の皆様 それは見事なイラストで描いて送ってくれました。みんなで こすって大きくなったコーナーです。

松尾スズキが描く私、高田先生。本当に丸10年間こうしてずっと笑ってる感じだった。この笑い声が松村邦洋には「バウバウ」ときこえ大ヒットギャグともなった。

「オールナイト」が忘れられず「テレビでも二人で喋って」と始まったのが深夜のフジテレビ「北野ファンクラブ」。そうこうしている内に2018年「オールナイトニッポン」本体自体が50周年だというので意味も分からず出しちゃったのがこの本。

「ビートたけしのオールナイトニッポン2018 幸せ元年」(平成30年7月・2018)

その「ANN」もこの秋で55周年だというのだから月日の流れはチョロQよりも速い。

 

2022年9月23日

高田文夫

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。