高田文夫のおもひでコロコロ

2022.03.14

第28回『「断腸亭日乗」より「浣腸亭日常」』

黙っていられるよりメッセージをくれた方が嬉しい。”マスコミ”というくらいでコミュニケーションがメシの種。曰く「ブログの更新速すぎます」「”ブログの女王”と言われた全盛期の眞鍋かをりより量産してます」「昔の話が多いんだよ」「これは”今昔物語”というより”こんにゃく物語”ですネ」「戦争反対」「”お見送り”より”金の国”の方が面白いぞ」「MLB早く始まれ」「志らくコロナ?高田氏ゲストの会、3度目の延期かよ。次の候補日は4月18日?チケット取らなきゃいけないし その後の飲み屋予約しなきゃいけないんで こっちはこっちでもう大変なんだよ。週刊ポスト編集部」

色んな声があっていい。まさにギョロメだけに「目安箱」?オレは将軍吉宗か。古いお噂ばかりでは年寄りになってしまう。アップデート?「おもひでコロコロ」とは言っても いまの中にまた昔があったりする。御大・永井荷風先生にならって日記文学「断腸亭日乗」ならぬ「浣腸亭日常」。今回は日記形式であれこれつづっていく。コロナ予防キャンペーンで伍代夏子がニュースの中で言っていた。「芸能界とは人が集まってこそ成り立つお仕事なんです」その通り。人が人を呼び人と打ち合せ人に見せ作りあげていく。1人で引きこもって何か書いてても”芸能”の神様は見向きもしてくれない。大衆芸能にニートはあり得ない。コロナの中だがやはり人と会いたい、喋りたい、喜ばせたいという心持ちが芸能のすべてなのだ。早くコロナに打ち勝ち、早くウクライナに平和を   。3月に入ってからも魅力的な人々にたくさん会った。それが芸能財産。

2月27日(日)「おもひでコロコロ」の作詞集篇を一気に書く。200字の原稿用紙に40枚。肩がこわれそう。明日ニッポン放送の石Pへ渡すとキレイに仕上げてくれる。珍しいCDジャケットもいっぱいあるので分かる人には喜んでもらえると思う。「ひと目あがり」で一句思い付く。”1・2・三茶から 四谷五反田 六本木”うまい?三四五六と順に入ってるでしょ。

夜、「加山雄三復活ドキュメント」のTV見る。たしか84才?伊東四朗・山藤章二らと同い年。やっぱり「蒼い星くず」はいいネ。加山がリハビリの散歩で公園のベンチで休んでいると小学生の女の子が2人「サイン下さい。父が野球好きなんで」「おじさん野球やんないけどなあ」など言いながらサイン。子供達向こうの方へ歩いて行きながらコソコソ。「絶対あの人 長嶋さんだよね」

2月28日(月)11時30分から「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」有楽町ニッポン放送 生放送。途中(2012年)倒れたりもしたけどスタートして33年間は凄い。誰も言い出さないけど”復活10年”である。この日のゲストは もうすぐ銀座で展覧会がある画家(大家 たいか)城戸真亜子画伯。久しぶりに会ったが びっくり仰天。美しくもカッコいい着物姿(渋い大島で決めている)。髪もすっかりショートカット。女性はこうして人生を2度楽しめるからいい。思えば遠い昔TBSに「3時に会いましょう」というワイドショーがあって草野仁さんと城戸さんで毎日MCをやっていた。私は なぜか週に1回ワンコーナーのレポーターみたいなこともやっていて 曰く「高田文夫の世間みじん切り」だとさ。

ニッポン放送 生放送終って帰り麴町の家から3分の所にある”高田文庫”へこもり「週刊ポスト」の連載「笑刊ポスト」を書く。今回は亡くなってしまった”御三家”西郷輝彦の話。夜は先日会ったばかりの前川清のNHK「ファミリーヒストリー」。クリスチャンであるお母様の素晴らしい生き方。すっかり売れた前川が外国へでも親孝行で連れていこうとすると「金、送ってくれ」。その言葉にせっせと送金すると みんな困ってる人などの為に寄付をしてしまう。お母さんがスッカラカン。心やさしき人だ。私は いま5枚のアルバムがBOXで出た「前川清 マイ・フェイバリットソングス コンプリートボックス」を毎日きいている。

3月1日(火)「銀ぶら百年」(泉麻人)「関東芸人のリーダー」(渡辺正行)「シティポップの基本がこの100枚でわかる!」(栗本斉)を早めくりで読みランチ会へ。立川志ららが勝手に段取って「まぁ 皆なで集まって キョリをとって話しましょ」的な昼下り。我が家と陳平さんの家の近く。食事は離れてテーブルに。写真の時だけ こうして集合。

写真左より志らら、松村邦洋、野末陳平(90才)、高田、神田伯山。どんなメンバーなんだ。結局話の中心は陳平センセイと松村の「最近おすすめのAV女優」論でありました。昼 日中(ひなか)に90才と50をすぎた独身男のする話はこんなもの。私は「芸談」から「メディア論」「コンプライアンス問題」「ウクライナ侵攻」など語り合いたかったのだが・・・。

古本屋で私が見つけた本。この表紙の5人の内 生きているのは陳平センセイのみ。ありがたいよ。表紙 右上が野末陳平、左が永六輔、右下が野坂昭如、大橋巨泉、青島幸男。「テレビをダメにした早稲田五人男」どれだけ売れてたんだ?こんな本が書かれるほどマスコミスターだったのだ。あの頃マスコミ(大衆文化)は すべて早大卒業か中退だった。私もこの5人に憧れ早大をめざしたが脳ミソが少し足らず日芸へ。私の1年後輩に森田芳光。高田・森田がマスコミで話題になると こぞって文化指向は早大から日芸へ。爆笑問題、三谷幸喜、立川志らく、宮藤官九郎それに春風亭一之輔もそうだ。テツ&トモまで居るのだ。勿論 林真理子、吉本ばなな、中井美穂なんてところもそうだ。

松村と千鳥ヶ淵など歩き「ミニさんぽ会」。夜「アナザーヒストリー」で”フォーライフレコードの秘密”をじっくり見る。ニュースを見る度、ロシアの手口に腹が立つ。心を落ち着かせる為、CD (のちに彦六の正蔵「淀五郎」円遊「堀の内」)きく。大学生時代いつもきいていた2人だ。

3月2日(水)11時開演の明治座「前川清 藤山直美公演」へ。お芝居と歌謡ショー。1部「恋の法善寺横丁」2部「前川清オンステージ」舞台上をうろつく池乃めだかも見られて得した気分。一番小さいのは誰なのだろう?池乃めだか、なべやかん、猫ひろし、ナイナイ岡村、爆問田中、プチ鹿島・・・昔は白木みのる、空飛び小助なんて、いいのがいたなあ。

浜町から新宿へ出て小さな食事会。ロシアのせいでカニが食べられなくなるからカニ中心。夜はNHKのドキュメント「アントニオ猪木復活」イノキ・ボンバイエである。胸しめつけられる。

本をパラパラ読み。「ぼくらが好きだった昭和アクションスター列伝」(鈴木義昭)「今だから!植木等」(高田雅彦)「違和感ワンダーランド」(松尾貴史)「日本懐かしテレビ大全」などをひろい読み。下は明治座のチラシ。右はブルータス。

充実。ブルータスがやってくれた。「全世代に捧げる歌謡曲特集」である。あらゆる角度から取りあげていてお見事な編集。「新御三家」からは この西城秀樹が。「御三家」からは西郷輝彦が。3人の内ひとりずつ「西」の付く人が亡くなってしまった不思議。

3月3日(木)清水ミチコが冬休みとかで私はニッポン放送へ行ってナイツと野郎3人組でひな祭りDJ(?)。塙の芝居を称して私が「流れるような棒読み」と形容したので”災い転じて福”とばかりに塙、なんと「劇団スティック」を立ちあげる。スティック⇒棒ということか。「あしたのジョー」のように立ち上がってくる男だ。塙が副会長をつとめている「漫才協会」の私は「外部理事」である。

夜は近くに住む二男坊夫婦の家へ行ってお節句。長男(孫)はアニメに夢中、1歳の女の子はやっと歩き出しケタケタ。しかし私の顔を見るとプイッとむこうへ行ってしまう。

3月4日(金)今日も「ラジオビバリー昼ズ」金曜日は松村邦洋、磯山さやかと。ペーとパー子以来、この2人で「ものまねコンビ芸」をさまざま開拓。籠池夫妻なんて旬の時は爆笑だったネタもやる。松村のレパートリーの広さは業界内でも有名だが この節 磯山の腕というかのどに磨きがかかって もの凄い。フワちゃん、ののかちゃん、上沼恵美子、淡谷のり子まで掌中に収める。恐るべし、クソ度胸。茨城魂。

高田文庫にて資料しらべやらロシアのニュース。「大衆演劇へようこそ」(おーちようこ)読みだす。そして長いタイトルの「落語会を自腹で五十回続けた七十二歳の私が考える落語の魅力」(大竹永介)ながいこと出版社につとめていた人で趣味が高じて会もやっていた。落語に関しては素人なりの見方の良さもある。私と仕事をした想い出も書かれていてその本が下のもの。子供に向けた落語の本である。一番下の左の方に「監修 高田文夫」の文字がみえる。大竹の本を読んで知ったが初版(2008年)から毎年、版を重ね2021年6月には16刷に達していると書かれていた。おいっおいっ16刷?これは監修の人間には印税ってのは100円でもいいから入らないものなのかネ。クゥ~ッ絵本なんだから絵の1枚も描いておけばよかった。

 

 

3月5日(土)ロケット団の独演会(正式には「ロケット団定例集会 其の一〇四」)にゲスト出演。両国の江戸東京博物館なんていうお相撲さんしか歩いてないような場所。私がゲスト出演と発表したらチケット即完。まだまだ生トークがききたい昔からの高田フェチが相当生き残っている。客席はあたかも2年ぶりに開かれたBTSの有観客ライブのような有様。写真、目を細めて見ればいっぱい入っているのが分るでしょう。この会 以前は新宿末広亭の深夜寄席でやってたものだがコロナの影響でできなくなりこの場所へ逃げてきた。いわばポーランドのような状態だ。次回は亀有の方へ行くようだ。だんだん東京都心から離れていく。このロケットは湿気っているのか なかなか火がつかない。本当は漫才協会的にはナイツと一緒にワッと売れなきゃいけなかったのに。ニッポン放送での30分番組もそこそこ評判。春以降どうなのかネ。追っかけで来ていた我が”さんぽ会”のわたなべプロデューサー補と終演後「ビール1杯呑もう」と両国中45分探し歩くも1滴もビールにありつけず。「お前のせいだ」と国技館の前でなぐり合う。次回の散歩会は番外篇で大阪。新歌舞伎座で我が悪友”ちゅうちゅうネズミ会”の「桂雀々 45周年落語会」、ゲスト明石家さんま。この会へ、ソーシャルを保ちながら行く予定。

3月6日(日)「東京マラソン」走ろうと思ったが松村みたいになったら大変なのでTV、ビデオ、読書とリハビリ生活。10年前に心臓が8時間も止まり、私だって人には言わないが大変なのだ。つらい顔を見せない”やせ我慢”こそが江戸っ子の美学。周りに余計な心配をさせないという気遣いだ。今日も今日とて「ラジオリハビリー昼ズ」なのだ。我々には”多目的トイレ”が必要なのだ。コジマーッ 許さねぇぞ。

夜は「R-1」。みごとと言うか やっとこさ「お見送り芸人しんいち」が優勝。私は周りにお見送りが優勝だろうなとはすでに言っていた。何故ならば半年以上前にニッポン放送の下の駐車場でギターを持って送られたことがあるからだ。あのサンドウィッチマンの子分の様な男だ。手を打って来週のビバリーにいち早くゲストで来ることになっている。

つかれたので今日はここまで。下の写真は「ロケット団の会」と「お見送り芸人しんいち」が3月11日にスタジオへ来た時の模様。R-1の優勝トロフィーと共に。全員マスクしてて、よく分らないが左より磯山、お見送り、トロフィー、私、松村。

次回分は早めに書きます。乞う御期待。

 

2022年3月14日

高田文夫

 

  • ビバリーHP導線
筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。