高田文夫のおもひでコロコロ

2022.03.17

第29回『日記2』

ニュースを見ては苦しく 切なくなる。NO WARだ。たしか「ひまわり」という反戦映画があった。私が社会に出た頃だから1970年頃か。もう50年以上たつのか。延々と続く美しいひまわり畑。多分あれはウクライナで撮影されたものではなかったか。きれいなひまわり畑の下には たくさんのたくさんの死体が埋められているのだ。そう あの主題歌。あれが流れただけで涙々々。あゝソフィアローレン。何回見ただろうか。見る度に柄にもなく滂沱(ぼうだ)の涙。私の母も私が若き日、二人で晩酌しているとポツリと言った。「戦争はダメだねぇ。絶対やっちゃいけない。私の弟も戦争にもっていかれて沖縄で死んじゃった。フミオにそっくりだったんだよ」私は5人姉弟の末っ子で おふくろからは1番可愛がられていた。大学生の頃は いつも酒の相手だ。「お前みたいに面白い子で皆なの人気者でネ。いつも人が周りにいっぱい集まって、そうそうフミオと同じで落語が大好きで、粋な子だったねぇ」と なつかしそうに遠くを見た。可愛かった弟の姿を私に見たのだろう。「戦争さえなければフミオとも、こうして呑めたのにね。昔の東京のこといっぱい知ってるから話は面白いよ。戦争はいけないねぇ」きっと弟に会いたかったんだろう。私もそんな粋なおじさんに会ってみたかった。鳶(とび)の頭(かしら)の息子だから威勢もよかったろう。私はそんなおじさんの生まれかわりなのかもしれない。

前回の日記のつづきだ。

3月7日(月)「ラジオビバリー昼ズ」WITH松本明子。近頃はレンタカー屋のオーナーとして取材を受けることも多いとか。よく分らない。この日のスタジオゲストは私が最も信頼する爆笑王・吉幾三の弟子。たしか一昨年はレコード大賞新人賞の真田ナオキ。喋りの受け答えもドンピシャ。さすが吉直伝のトークと人柄。

ヒット曲は「恵比寿」、右はアルバム。すべて吉幾三の作詞作曲。そしてこの3月に出たのも吉作品で「渋谷で・・・どう?」恵比寿だとか渋谷だとか吉幾三は分ってるのかネ?津軽男だろ?ハァ~ッ テレビもねぇ 車もねぇ 収入ねぇ 信用ねぇ・・・だろ。オレが渋谷生まれだから。でも、まあいいお弟子さんをもってお師ッ匠さんも幸せだ。売れてみせるのが1番の”師匠孝行”だからネ。弟子の仕事は”売れて師匠にこづかいをあげる事”。たけしさんも最後はいっぱいお金をもって浅草に居た師の深見千三郎の所へ届けていたよ。見ていて微笑ましかった。

3月8日(火)松尾スズキ作品を2組で再演と話題の「命、ギガ長スw」。宮藤官九郎バージョンと三宅弘城バージョン IN下北沢のザ・スズナリ。

認知症気味の母と50歳のニートの中年息子。シリアスにして変なおかしみ。クドカン編を観る。クドカンは役者としても、もうすっかり左卜全の椅子を確保した感。ズビズバポジションだ。明治座のゆったりした椅子からスズナリの狭い痛いパイプ椅子まで どんな椅子でも座ってみせるという この私の心意気が素晴しい。下北沢へ芝居を見に行くと必ず寄る「古書ビビビ」なんだが なんとこの日、火曜だけ定休日だと生意気をぬかす。パンのひとつも貧乏夫婦に持って行ってやろうと思ったのに。それにしても下北沢という町もどんどん変っていくなぁ。私が小学校、中学校の時代は映画館も3軒あった。小田急線(旧)線路わきの交番の向かいにオデオン座、そしてグリーン座ともう1軒何て言ったけか。小学生の私はオデオン座で映画を2本見ると ふみきりを渡って「ホームラン」とかいったラーメン屋で必ずカレーライスを食べて並びのおせんべ屋で母におせんべのお土産を買って帰るのが週末のルーティンだった。パチンコ屋からはエルビスプレスリーの「GIブルース」やら松尾和子の「再会」などが流れていた。

こんな事コツコツ書いていて大丈夫なのか。これがのちのち大衆文化の貴重な資料となる事を祈って・・・。一銭にもならないのに よく書くなオレ。

3月9日(水)月刊「Hanada」の連載「月刊TAKADA」4ページ分書く。今回は”歌うスポーツマン”について筆を走らせる。増位山「そんな女のひとり言」やらビューティペア「かけめぐる青春」などを想い出すまゝ書いてみる。志ららより連絡あり。師匠志らくがコロナだそうな。来週16日に開催予定の「志らくの会」(ゲストは私)は延期になったと。この会これで3回目のお流れだ。すぐに段取りをつけて4月18日(月)にやる事と決定。前売りあります。どうぞ。場所は銀座ブロッサム中央会館。東銀座にある大きい所だ。私のトーク、サクレツです。多分。

書斎(高田文庫)ひきあげ家でTVつけるとBSで高倉健「大脱獄」。健さんの映画はほとんど見ているつもりだったが これは見落としていた。雪の札幌、小樽、函館、走るD51。グラサンの健さん(サングラス)、毛皮の文太、白目の田中邦衛。関西ストリップの踊り子旅回りをする木の実ナナ。いやぁ見てなかったなぁ。もうけ。高田文庫にも健さん方面の本もいっぱいありますが ひとまず下の2冊を紹介しておきます。

「健さんを探して」(相原斎・青志社)「高倉健 隠し続けた七つの顔と継の養女」(森功・講談社文庫)

3月10日(木)なじみになった近所のおばちゃんのマッサージへ。異様な肩こりと腰痛。なで肩のせいか。スッキリして散歩がてら。英国大使館も半分更地で工事へ。開新堂、宝島社、大妻の女子大、JK。左へ行くと家。まっすぐ行くと書斎。その前に仕事を忘れていた。靖国神社へ行って開花予想。標本木と今日も語り合うが「もう少し待ってくんねい」とのこと。あと1週間くらいのようだ。ウクライナの惨状を見ると癒してくれるのは桜だけのようだ。書斎へ行き連載の「週刊ポスト」内「笑刊ポスト」を書く。今回は病気と闘うアントニオ猪木へエールをこめて。佐野クンのイラストも力が入る。イノキボンバイエだ。

3月11日(金)「ラジオビバリー昼ズ」へ行ってR-1チャンピオンお見送り芸人しんいちに「どうしてもトロフィーにさわってほしい」と言われ、なでてやる。その後LFの会議室に大人が集まり この夏あたりのイベントの打ち合せ。こんな時期だからこそ色んなことをやっていった方がいい。1Fの駐車場へ降りると嬉しそうな面したマキタスポーツにバッタリ。来週2日間草月ホールで独演会ライブの予定。勿論私も行くが「ライブの告知に来たのか?今頃ラジオで宣伝してるって事はチケット売れてねーな?」(ドキッとして)「なんでそんな本当の事を大人が言うんですか」だと。この節はドラマの脇役としてもキラリ光るものが   あまりない。アハハ。こいつも西村賢太の映画「苦役列車」で脚光を浴びた。

夜は「日本アカデミー賞」をTVで見る。「ドライブ マイ カー」の独占だが唯一私が大絶賛していた鈴木亮平が「孤狼の血LEVEL2」で最優秀助演男優賞をとる。いい。いやぁ恐ろしい男を演じてたものなァ。怖いのだ。あの時のヘアスタイルは若き日の狂気のビートたけしの髪型を真似たんだとか。「失敗した」と言っていた。

<目で見る大衆芸能史>としては珍しいものを。あまり皆様の目にはふれていないと思うので御笑味ください。あまり世間には出まわっていない<漫才協会カレンダー>です。2022年度版は中吊り広告になっております。今年1月分はこれ。

思えばこの時はまだ昭和こいるさんはご健在だったのだ。看板が揃う1月と12月分。年の瀬は若手のスター揃い(?)だ。

なかなか豪華なラインナップ。ナイツ、ロケット団、宮田陽・昇、U字工事、ハマカーンら。ここへこの度カミナリも入ったから心強い。爆笑問題はいつ入るのか。

 

2022年3月18日

高田文夫

 

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。