高田文夫のおもひでコロコロ

2022.03.31

第30回『雀々の会、ゲストさんま』

ウクライナの子供たちに幸あれ。

それに反して日本は桜満開。さくら・サクラ・桜。桜が大好きである。「富士山と桜とカレーライスが好きなのを日本人という」この定義は正しいと思う。昔は桜というと軍国主義とむすびつけられた。うちの近所の靖国神社には標本木がある。「夜桜お七」あたりから美しい桜をストレートに楽しめるようになった。最も春らしい噺家東西。イラストの佐野クンがメンコにしてこんなのを作ってくれた。「あたま山」(大阪ではさくらんぼ)「愛宕山(あたごやま)」。春らんまんである。パッと咲いて喝采を浴びてパッと散る。「あっさりと 恋も命も あきらめる 江戸育ちほど 悲しきはなし」である。西の桂枝雀、東の古今亭志ん朝である(文句なし!)

この枝雀を最も愛し枝雀からも少し愛された男。弟子の桂雀々である。「雀々 芸歴45周年落語会」が大阪は新歌舞伎座でひらかれるときき おっちょこちょいな私は「さんぽ会」のメンバーに声を掛け大阪へむかった。雀々と私は毎年12月 三宅坂の国立演芸場で「チューチューネズミ会」トークをする間柄である。私のひとまわり下のネズミ年が雀々なのだ(多分清水ミチコと同い年)。

3月26日(土)昼の部・夜の部 ゲスト立川志の輔 27日(日)昼夜 ゲスト明石家さんま みごとなブッキングである。大阪の新歌舞伎座へ行くのも初めて。桜満開の中、花びらの中の雀さんである。

ここまで立派な会が開けるのもスタッフのお陰である。45年にしてまたしても喝采をあびるというのも小さい頃両親に捨てられたという 笑っちゃうくらい不幸な幼少期のお陰である。詳しくは名著「必死のパッチ」をどうぞ。

「一・二のさんぽ会」メンバーと26日夜 難波へ。美味・美酒で法善寺さんの近くで楽しい夜。つい先日、藤山直美と前川清の明治座芝居「恋の法善寺」をみたばかり。頭の中にはグルングルンと「月の法善寺横丁」(藤島恒夫)がレコード盤で廻っている。雨の中、水掛け不動に水を掛け よく分らないが私までビショビショ。ニュースで見たばかりだが お不動さんの顔の苔が たしかにザックリはがされていた。ひどい事をする奴が居るもんだ。ひどい事をするのはプーチンだけで 充分だ。

27日 昼の部へ。あっさりしすぎた構成に笑う。1部 雀々「さくらんぼ」40分 中入り休憩 2部 雀々と おめあて明石家のトーク 60分超。普通「記念落語会」と銘打ってたら このあともう1席雀々かと思うでしょ。違う。これでおひらき。さっぱり。胃に、もたれない関西人で ほどがいい。

着物に袴で登場したスーパースターさんま、若き日の落語家修業時代のエピソードが珍しくも おもしろい。「さんま兄(にい)さん」と呼んでいたから雀々が少し後輩なのだろう。「ヤングおー!おー!」でザ・パンダ(文珍・八方・きん枝・小染)で売れた小染に いつも連れまわされてた若き日のさんまの話が面白い。36歳で早逝した小染の人柄を語れる人は今や数少ない。

下は新歌舞伎座のポスター前。そしておなじみグリコ前の一同。グリコも我々もお手あげである。左より松村邦洋、私、わたなべプロデューサー補、石和のババちゃん、高野ペンギンである。

たしか、こんな句もあったよネ。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

結局みんな散ってしまうという話だ。

<追記>として・・・佐野クンが早逝した私の3人の盟友のメンコも作ってくれました。私が大学生のころから知っている男達です。みんな生き方もこざっぱりした江戸前でした。<大事な大事な3人の会>です。

今頃あちらで「高田の奴、遅ぇなぁ」と言ってることでしょう。

 

2022年3月31日

高田文夫

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筆者
  • 高田 文夫
    高田 文夫
    高田 文夫

    高田 文夫

    1948年渋谷区生まれ、世田谷育ち。日本大学芸術学部放送学科在学中は落語研究会に所属。卒業と同時に放送作家の道を歩む。「ビートたけしのオールナイトニッポン」「オレたちひょうきん族」「気分はパラダイス」など数々のヒット番組を生む。その一方で昭和58年に立川談志の立川流に入門、立川藤志楼を名乗り、'88年に真打昇進をはたす。1989年からスタートした「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は4半世紀以上経つも全くもって衰えを知らず。